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詩集「アフリカ」解説

このページは詩集「アフリカ」内の詩の解説を、
あとがきから抜粋したり、書き加えたりしたものです。
本HPでは、「前半部」「後半部」「シュルレアリスム編」と分けてますが、HP構成上のものであります。
詩編の順番は意図したものですが、前後半部にも、シュルレアリスムの詩はあります。




 
          表題作「アフリカ」について


 この作品は、私が十九歳最後の夏に書いたものである。それまでにもノート一冊分の詩を書いてはいたのだが、およそ詩とは呼べない代物で、自分でも納得のいかないものだった。ただ、「アフリカ」だけは、価値のある作品だと認識していた。この作品は、夏の暑い夜に夢を見、それがあまりにも鮮明だったので、起きてすぐに書いた夢の中の物語である。その後の事を思うと、偶然出来た物か、必然だったのか、不思議な感はある。従って、当時は「アフリカ」が最初で最後の作品だった。なぜなら、二十歳になった時、「アフリカ」だけを残して全部捨ててしまったのだ。そして、社会に出て働いた。職人の仕事に憧れていたのだ。もう、文学、芸術に関わらず、暮らしていこうと誓い、仕事に熱中した。文学、芸術に限らず、絵画、音楽、すべて、作る側よりも、受け取る側で楽しむ事が理想的だと感じ始めていた。
 そして、あらゆる意味で自分は変わった。大人になったというよりも、社会というもの、この世界というものが理解でき、肉体労働者に徹して生きた。
 それが、どういう理由か詩を書き始めたのは、仕事にも慣れてきた二十六歳の時の事。ある雑誌でブルース・スプリングスティーンが、セカンドアルバムを作った時、自分が何者であり、どう在りたいのか、解り始めた、という記事を読んだ時だった。
 うらやましかった。それは、自分とスプリングスティーンがどうこうという事ではなくて、しばらくその言葉が私の頭から離れなかった。自分には何があるのだろう。自分は何者なのだろう。その問い掛けは、私を詩に向かわせるきっかけとなったのだ。
 詩を書いてみよう。成長した今なら、あの時とは違ったものが書ける。私には「アフリカ」がある。それを自信に、十代では表現しきれなかった、捨てられた言葉達を、もう一度、今の自分の力で復活させてやろう。
 そうして、六年振りに書いた詩が「まぼろし」である。以下、コツコツと三年間に書き上げたものが、この詩集に収められている。



          「まぼろし」について


 この詩の中に出てくる、死の島という言葉は、アルノルト・ベックリーンという画家の絵の題名に使われている言葉である。



              「秋の印象」について


 この詩は唯一、書き直しが多かった詩である。未だに迷ってもいる。詩集には、一連の恋愛詩の中に収まっているが、元々、恋愛詩として書くつもりは無かった。今の形がもっとも原初に近い。
 私の詩作は、映画のように、ストーリーと映像とが、ほぼ出来上がった形で、私の頭の中に現れたり、すでに、出来上がっている全体の言葉が、最初から順にスクロールするように、頭の中に見えてきて、それを追いかけ、書き留めるといった方法で書いてきた。手直しは少ない。
 それが、この詩だけは違った。
 前半部分の言葉に、取り憑かれてしまったのだ。例えば、西洋館や崖や光が、「それぞれの冬に向けて身構える」といった表現は、今までした事がなかったからだ。この頃は、まだ、ロートレアモンや、アンドレブルトンといった作家達がお得意とする、このような表現の詩に触れていなかった。
 次が浮かばない。焦った。そして、とうとう、ほっぽり出してしまった。
 どこからが、最初に出来上がっていて、どこからが、後から書き足したかは、言いたくはないので、書かないが、他の詩を書いているうちに、初心に戻る事ができ、やっと完成させる事が出来た。その頃には、呪縛も解けたようだった。だが、冒頭でも書いたように、完成した事は完成したが、未だ迷いのある、私にとっては唯一の不思議な作品である。
 この詩は元々、堀口大学訳のランボーの詩「海景」を、自分なりに解釈し、書いておきたかった詩で、若い時にしか出来ないと思った。よく、若手の映画監督が、ヒッチコックを真似し、自分の映画に取り入れているが、それは、やっても許される時期にやっておかないと、歳をとってからでは、恥をかくからだと考える。そして、影響を受けるだけ受けて、取り入れるだけ取り入れ、やり尽くしたその後にこそ、新たな自分自身の表現が確立する事を迫られるのだ。


           「南東から来た男」について

 この作品は原作があって、十六歳の時に観た映画を基にしている。その時に一回観たきりなので、この作品を作る前にもう一度観たら、また違ったものになっていたと思う。テレビでもビデオでも、いまだ、お目にかかってない。映画の『南東から来た男』は、主人公が自分は宇宙から来た人間だと名乗り、彷徨うようにストーリーが展開する映画だ。宣伝用のポスターに惹かれて、なんとなく観に行ったのだが、その設定に、最初は食わせもんの映画だと思い、損をしたと思った。それが、だんだんと観ていくうちに、退屈どころか、その雰囲気と芸術性に、すっかり引き込まれてしまった。この映画は、はっきりとした芸術映画である。当時、いろんな若手監督やら、芸術的映画が出て来たが、この映画ほど、解り易く、素晴らしい芸術映画は無かった。もう一度観たいのだが、なんとかならないものか。
 ちなみに私の作品は、少し似ている程度で、映画をそっくりそのまま作品にしてはいない。
 それと、本文中にある「丘には不思議な建物があり、・・・・・・光る槍のような物を投げつけた」というくだりまでは、左敷二郎氏の『知られざる超常世界』という本から引用させて戴いた。映画が主人公を「宇宙から来た人」としているので、その頃読んでいた超常現象の話にシンクロしてしまったのだ。それは、ロサンゼルスに住むジェス・ロングという人物の体験談で、いわゆるアブダクティと称される人の、非常に興味をそそる言動だった。昨今のTVムービーでも有名になった、宇宙人に誘拐されたという人達の話である。私は宇宙人など、まるで信じてはいないが、精神医学を通して語られる彼等の体験談に、真実性よりも芸術性を感じてしまうのは私だけだろうか。



          「さよならピエロ」について


 私はこの作品を、あまり重要視してなかった。嫌いではないが、好きではなかった。
 この詩を読んだ母親は「私をピエロにしてっ!」と、何故か嬉しそうに怒っていた。
 まさか、私は母親をピエロとした訳ではない。何故なら、この題名のピエロとは、私自身であったから。

 幼い頃、私はピエロが好きだった。更に、ルオーの絵画に観られる、一連のピエロ作品は、悲哀が漂い、幼心に何故か惹かれてもいた。
 云わば、作品中に語られている幼心に対しての決別を込めて、「さよならピエロ」としたのだ。

 それにしても、今、改めてこの作品を見直すと、幼心に抱いた疑問や、視点、それぞれが非常に重要な心情を書き起こしていると感じる。
 これを書いた時は、そういうつもりはなかったのだが、わからずやの子供に対して、月がどこまでも離れずに・・・・・・、という件は、明らかに母親=月であり、けっして母親がピエロではないのですよ、母上。



           「プロローグ」について

 この詩からシュールレアリスムが、始まる事を示したものだ。従って、エピローグはまだ無いのである。

 とはいえ、この詩以降の作品全てが、シュールレアリスムという訳でもなく、この詩以前の作品にも、シュールレアリスムは含まれている。サイトの構成上、分けただけに過ぎない。


           「或る鳥の歌」について

 この詩の詩集に於ける題は、「神の鳥の歌」だったが、それは、『リグ・ヴェーダ讃歌』の歌の一節を参考にして、作ったからだ。
 誤解を受けそうなので、今回から変えた。
 
 ただ、参考にして作ったというよりも、この「謎の歌」に対する、「答え」として、この詩を書いたようなものではあるが・・・・・・。

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       謎の歌                        
われ愚かにして知らざれば意(こころ)に問う、これら秘められたる神々の足跡を。
詩人たちは成長したる子牛に七条の綱をかけたり、織らんがために。
われ理解せざれば、理解せる詩人たちにここに問う、われ知らざれば、知らんがために。
これらの六空間を分かち支えたる不生者の形を取る、唯一物はそも何ぞ。
つれだつ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり。
その一羽は甘き菩提樹の実を食らい、他の一羽は食らわずして注視す。
黒き道を、金色の鷲たちは水をまといて、天に向かって飛翔す。
彼らは天則の座より帰り来たれり。そのとき実に地はグリタ(雨)によってうるおさる。

                                『リグ・ヴェーダ讃歌』岩波文庫




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