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<2016/1/2>
『ミッシング』の「旅人」を、更新する。
「時間」について明かす。
<2011/11/23>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2011/11/4>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2011/5/29>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2010/11/2>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2010/4/27>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2010/4/16>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2010/1/12>
『夜話(Various talk)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新する。
<2009/12/12>
『名言集2』に、未到散人様から教えて戴いた、
小林一茶の俳句を載せる。
<2009/12/7>
『夜話』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、全面的に修正する。
<2009/9/16>
『ミッシング』に、「旅人」の続きを、書き込む。
<2009/7/12>
『詩集 アフリカ 前半部』に、
「特異点」と「永遠」を追加する。
<2009/5/8>
『詩集 アフリカ 前半部』に、
「新世界」を追加する。
<2008/12/27>
『ミッシング』に、新作「旅人」或いは「賢者と旅人」
の続きを、未完のまま書き込む。
<2008/12/20>
『ミッシング』に、約6年振りの新作「旅人」或いは「賢者と旅人」
を、未完のまま書き加える。
<2008/8/24>
『名言集2』に、浅野晃の名言を追加する
<2008/4/25>
『詩的思考回路』に「尾崎豊について」を書く。
<2007/9/19>
『意訳』に「メトロポリタン」を追加する。
<2007/7/5>
『意訳』に「都市郡T」を追加する。
『意訳』の解説ページを、作成する。
<2006/12/2>
『意訳』に「王権」を追加する。
<2006/6/29>
ミスターシービーさんが、『意訳』について、
感想文の続きを載せてくれました。
感謝です。
現在は公開終了。
<2005/3/29>
『意訳』に「陶酔の午前」を追加する。
<2005/3/24>
夜話「中原中也」を書き終える。
<2004/12/6>
「酔いどれ船」の解説を、書く。
<2004/10/25>
『意訳』の「酔いどれ船」が完成する。
<2004/10/3>
ウェブ上でいつも親しくさせてもらっている、
tonbori博士のブログで、『夜話』を紹介してもらいました。
時勢に即した話題が豊富なので、
上質な新聞を読んでいるようなブログです。
是非、立ち寄ってみて下さい。
↓
http://tonbori.exblog.jp/
<2004/8/24>
『意訳』に「酔いどれ船」の
つづきを書き込む。
***
<2004/7/15>
ミスターシービーさんが、『意訳』について、
感想文を載せてくれる事と相なりました。
現在は公開終了。
<2004/5/8>
海月氏から頼まれていた、
音楽アルバムの感想文を書く。
現在は、公開終了。
<2004/3/3>
『意訳』を加える。
<2003/11/02>
『作者夜話(Various talk)』を加える。好きな作家のよもやま話や、
その他、興味のある対象の事などを、
書いていこうと思う。
<2003/8/9>
書き溜めていた、「今日の一言」を、
編集して加える。
<2003/4/23>
詩的思考回路に、
「ジュディアンドマリーについて」を、書く。
<2002/1/10>
HPを立ち上げる。
<2000/6/30>
詩集『アフリカ』を自費出版。
原稿自体は、1999年春には完成済。
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2016年
10/15
■ボブ・ディランが、ノーベル文学賞を取った。
長く、彼を知っている者ならば、当たり前である。
米では、ディランが受けるかどうか、心配? の声が上がっているという。
日本では、村上春樹ではないのか? という声も上がっているが、ディランとは格が違う。
受賞が、ノーベル文学賞というのがいい。
ディランは、当初から、黒人の人権問題にも触れ、その功績は多大なものがある。ノーベル平和賞でも受賞資格があるぐらいに思っている。だが、その人権に対する功績を認められ、平和賞の受賞となると、これは明らかにディランの不本意であろう。
文学賞という、堂々とした作品自体の評価である。それならばである。
2012年、ディランは「大統領自由勲章」を受け取ったが、長く拒否していたらしく、やっとの受賞であった。式は、不愛想なディランと、それを知ってのオバマ大統領の、そっけのない授賞式であったように覚えている。
今のところ、沈黙を貫いているらしいが、それで十分。ディランが沈黙している、というだけで、やはりかっこいい。でも、たぶん受賞するんじゃないかな。
私事:暫く更新しなかったが、結構書く事はあったりする。
実際、恋をしていると、詩などは書く気が起きないものだ。それも、ほぼ、終わったといえる(どういう事だ(-_-;))
それにしても、ガーネットクロウの詞は、溜息が出るくらい、もう素晴らしすぎる。
「彼方まで光を」は、今の自分にとって、本当に染みる。
下記6/22の日記は、意識して文章を難解にしている。
私は普段、詩集でもそうで、解りやすさをモットーに書いているのだが(それでも、私の詩が難しいという人がいる。単に、詩の読み方を知らないだけなのだが)、難しい文章というものは、簡単に書けるのである。
主語を省けばいい。それだけ。更に、主題をすり替えればいい。
例えば、「詩を書く立場から言わせてもらうと、詩を産む事が出来る人間は、経験がなくとも、分かる時がある。感覚が鋭いから。だが、全てが分かる訳ではない。この詞のように、誰もが経験してなくても、大勢の共感を得るという事は、また事実である」のように、
詩を書く立場の人間は、経験がなくとも、分かると言っておきながら、全てが分かる訳ではないとして、次には、書き手の視点を替えて、誰もが経験してなくても、大勢の共感を得る事もある、としている。これは、前半に、作者の視点で書き、急に、一般論へ移行したから、分かりづらくなっている。何が言いたいのだ? と。
これは、それぞれの立場、状況が違えば、また、結論も違ってくる、という事があり得るからである。
また、「私もよく若者を見て思う。自分はいいが、自分のようになっては駄目だよ、と。変わり者の人生なんて、特殊なだけであるから、本来の人並みの幸せを選ぶ方がいいに決まっている。私はただ、孤独が好きなだけ。
正義と天文の女神アストライアの気持ちがよく解る。昔は地上で人間と暮らしていた神々は、一人ずつ天に帰って行った。アストライアは、最後まで地上に残ったが、やがて彼女も人間に失望し、自ら天に昇って乙女座となる」のように、自分みたいになっては駄目だ、人並みの幸せを選ぶ方がいいに決まっている(一般論)、としているのに、私は孤独が好きなだけ(持論)、と言い出す(笑)
そして、急に、アストライアの話に移り、人並みの幸せがいいと言っておきながら、人間に失望し、天に帰っていったアストライアの気持ちが分かると、締めくくる。
なぜに、こうしたか? それは、自分の弱さや本性を、語りたくなかったからである。隠したかった故、わざと、さり気無く(笑)
難しくしたのだ。
実は、作品「旅人」も、そうなのだが、あの作品の核となるものは、私自身の経験と、私自身の物語を書かかないと、成立しない。
にもかかわらず、「私」を、あまりさらけ出したくないという気持ちから、結構難しく書いているのである。
6/22
■ドライブミュージックを探して、ネットを彷徨っていたら、なんとなく辿り着いた、「愛はかげろうのように/シャーリーン(歌詞付) 」
リンク先の、動画を作った人は、画像センスもよく、また和訳歌詞の選別もセンスがいい。
直訳は、かなり私小説的現実感があり、言わば高級コールガールの話しなのだが、人生辿り着いたら、こう考える、という経験の詩であろう。
時折、芸術には、娼婦を描くものもあり、典型はバーン・ジョーンズの絵のモデルである。
こういったものは、意図的に娼婦を選ぶと、作為的であるが、「美しかったから描いた。それがたまたま娼婦であった」とするなら、芸術の名のもとに許されよう。
和訳歌詞の感想としては、経験者の言葉だからこそ、説得力がある。だからこそ、未経験の若い人に教えてあげたい、という気持ちが書かれている。
でも、若い人には分からないだろう。結局は、経験しないと納得する事が出来ない。
詩を書く立場から言わせてもらうと、詩を産む事が出来る人間は、経験がなくとも、分かる時がある。感覚が鋭いから。だが、全てが分かる訳ではない。
この詞のように、誰もが経験してなくても、大勢の共感を得るという事は、また事実である。
「あなたもきっと 偽りを繰り返してきた心を 癒したいのではないかしら ニースやギリシャの島で ヨットに乗りながらシャンパンを楽しんだ日々もあった モンテカルロでは ジーン・ハローみたいに 華やかに振舞ったし でも そんな楽園を味わってはみても 結局 私には自分というものがつかめなかった」
私もよく若者を見て思う。自分はいいが、自分のようになっては駄目だよ、と。
変わり者の人生なんて、特殊なだけであるから、本来の「人並みの幸せ」を選ぶ方がいいに決まっている。私はただ、孤独が好きなだけ。
正義と天文の女神アストライアの気持ちがよく解る。昔は地上で人間と暮らしていた神々は、一人ずつ天に帰って行った。アストライアは、最後まで地上に残ったが、やがて彼女も人間に失望し、自ら天に昇って乙女座となる。
4/28
■「旅人」の解説を、書き加えました。
2/16
■ちょっと時間に、余裕が出来たので、昔のVHSビデオを、BDに焼き直ししたりしていたのだが、随分と古い映画が入っていて、??となった。
映画の場合、今まで観ずに、録画だけしておいたものが多く、結構こういう事は多いのである。
邦題は「黙って抱いて」というフランス映画。特に古いフランス映画は好きなので、録画したのだろうが、恐らくJ・P・ベルモンドが出ていたからだろう。
他に目的が無かった筈であるが、主演の女優に惹かれてしまった。
ミレーヌ・ドモンジョ。
なんて、可愛くて綺麗なんだろう!!
最近よくよく分かった事だが、かなりなタイプである(笑)
でも、今が
だとして、
歳を取られた、ドモンジョ様は、
であるという事で(あれだけ美しかった人が・・・、非常に失礼ではあるが)、諦めを付けるとしよう。
このままだと、本当に失礼なので、なんというか、現在のドモンジョ様も、大変良い歳の取られ方をしていらっしゃるようなら、今も美しく、素敵だと思える訳で、決して歳を重ねる事に、否定的ではありません。
女性美への諦め・・・、仏教的かな(笑)
1/2
■明けましておめでとう御座います。
さて、詩集アフリカに、「さよならピエロ」と、その解説。それと、「メランコリア」を、書き写しました。
メランコリアとは、ドイツ語でして、英語にするとメランコリーであります。
ざっと、詩集を読み返してみて、まだまだ書き写さなければならない作品の多い事。地道にやるしかないか。
そして、「旅人」のつづきを書きました。さてさて、神の正体とは?
解説も書いたので、信じないで下さい(笑)
それにしても、恋ってつらいよなぁ。忘れていたよ。。。
2015年
11/16
■作品を生み出す作家について、世間の理解が薄いと感じたので、私の考えを述べてみる。
例えば、ミュージシャン。アルバムと次のアルバムのブランク期間が長いというのは、それだけ生みの大変さがあるからなのだが、そこらへんどうしても世間では、その期間何もせず遊んでいるように感じているようだ。作品を作るという事は、産みの苦しみと同じだ。いくら才能があっても大変なのである。
それを、ビジネスとして継続しなければならない、という考えは、作家に当てはめたらいけないと思う。継続的なビジネスとは、根本的に違うからだ。
才能だって、その発揮には量的限界がある。いつでも、優れた作品を、ポコポコ生み出せるものではない。
中には、継続的に作れる作家もいるが、それは、作っているからである。産んでいないからなのだ。
漫画家を例にとると、更に分かりやすいか。
ストーリーを考え、台詞を考え、更には絵まで描かなくてはならないのだ。その労力たるや、半端ではない。それを、週刊で描く凄まじさ。体力と知力の消耗があれば、休載したって当たり前ではないか。それなのに、世間ではブランクがあると、怠けているようにすら捉える。酷いものだ。
学生の頃、週刊少年ジャンプを読んでいたが、『亀有公園前派出所』など、今も連載を継続している作品もある。だが、その作品は、「作っている」のである。
無論、その作品や作家を否定しているのではない。作品を生み出す作家とは、タイプが違うという事を言いたいだけである。
サラリーマンを、否定する訳ではないが、仕事の中味が違うのに、サラリーマンと同じように働けというのは、お門違いだ。サラリーマンとは違うのだ。
ジャンプのような、才能を消耗品扱いする出版社が一番悪い訳だが、じゃあ編集者が週刊連載してみればいい。出来ないだろう。「私には才能がありませんから」で、終わりである。
出版社としては、ビジネスなのだから、制約をつけるのはしょうがないが、扱っている対象、会社から見れば、それは労力ではなく、作家でありアート作品を扱っているのだから、継続的な生産は元々出来ないものだという認識を持って然るべきである。継続生産を押し付ける方が間違っている。
個人事業と企業との社会的契約なのだとしても、儲けるだけ儲けたって、作家に対する保障はしない訳だし、利益は会社全般に行き渡るのに、作家に対しての扱いが、消耗品扱いにしか見えない。
最たる例が、江口寿史だ。こういってはなんだが、描けないものは描けない、としている作家の方が、作家としては当たり前だと、私は思っている。
10/5
■お久しぶりです。
忙しさも落ち着いてきましたが、疲れが尾を引きます。
最近なんとなく、思う事。。。それは、理系の頭の持ち主達の事。
典型的な文系の私とは、物事の視点が違う為、全く考え方が合いません(笑)
ふと思い出すのは、昔、TVタックルで、理系出身の人達が「文系なんて、世の中に必要ない」と言っていた場面。実は、私も一瞬そう思った。なぜなら、理系的考え方の方が、仕事全般に於いて、非常に有利だから。文学的思考は、仕事に於いて邪魔ですらある。
がしかし、そこで一喝したのは阿川佐和子氏。
「論理的が、必ずしも偉い訳ではない!」
目が覚めました(笑)
特に資本主義の競争原理な社会に於いて、確かに理系的頭脳は有利です。がしかし、無論、理系だけでは成り立たない筈。そこでよくよく、分析してみたのですが、恐らく、理系は情報から論理的(方程式や型にはまった)解釈をするのみで、言わば発明(突飛な発想)がないのではないかと・・・。
例えば、「こういうシステムなら、こういう形にしか結果はならない」などと、決め付ける事が多い。確かに、大抵は、それで合っている。が、現実は、例外がある。例外を考えずに、遂行するから、例外が発生した時、すぐに対処せず、なかなか結果を認めない。更には、例外によって起こった自分のミスが決定的になったら、反省もせずに、爆弾を落とした後の攻撃機のように、すぐ離脱する(笑)
何事も無かったかのような態度をして、その場を流す。
仕事を遂行する上では有利だが、トップに立つとワンマンであり、成功しているうちはいいが、失敗や地位の下落が伴うと、人が付いて来ないタイプが多いのではないかと。そして、本人は自覚が無い。
文系は、やはり人間性に重きを置き、理系ほど仕事に対する遂行力は無いにしても、柔軟な理解力の広さから、人と人との繋がりが重要な仕事に於いて、力を発揮するような。
先に、理系は発明がないと言いましたが、例えばアインシュタイン。相対性理論など、20世紀の大発明であります。でもその内容はというと、非常に文学的。たぶん、理系脳といえども、文系脳の比率も高かったのだと思われます。だからこその天才かなと。
証拠に、アインシュタインが、バスに乗った時、運賃のおつりを間違えて計算し、運転手がおつりを誤魔化したと怒り出したものの、運転手の方が合っていて、運転手に馬鹿にされたというエピソードからも、それが伺えます(笑)
作家のジョージ・バーナード・ショーの言葉。
「知的な人は常に、何が正解かは分からない、と考える。 何かに強い確信を持つのは、いつも知的ではない人の方だ」
6/6
■詩人は仕事をしてはいけないな(笑)
中原もそうだったし、ランボォは、文学をやめてから商人になったし。
自身が世に出てもいけない訳で、世俗人と気が合う訳もなく、世に出るのは作品のみでいいという事だろう。
そんなに働かなくてもいい環境を目指していかなければならない。
いくらでも、趣味があるし、まだまだ興味事を探せば、夢中になれるものもあるだろう。
早く世俗から離れたい(笑)
今日の午前中は、「旅人」の続きを書く意欲があったのだが、その意欲すら今は忘れてしまった。。。でも、意欲がまだ湧いてくる事は確認出来たから良しとしよう。続きは「あらゆる宗教の秘密」が明かされるといってよい。まぁ、聞けばどうという事もない答えだが、解析すればなるほどと・・・、なる。
阿呆な新興宗教に、騙される人が少なくなるように(祈)
詩集『アフリカ』も全編載せないとなぁ。と、思いつつ意欲が^^;
それにしても、芸術的美顔の持ち主、早見あかり嬢を街中で見掛ける事、見掛ける事(ディスプレイなどでね)。
スタッフ受けが宜しいのでせうな。
それと、前々からチェックしていた山本美月も、何気に売れ出したなぁ。
こういう事を書くと、「そういう女性がタイプなんだ」と、大抵は思われたり、言われる。が、そうではない。早見あかり嬢は、芸術的だというだけで、元ジュディマリのYUKIもそうだが、好みという訳ではない。芸術的だと言っているだけ。
「美」を語るなら限定される。芸術的でもあるが、ひたすら美しさを求めるというなら、映画「カサブランカ」の時のバーグマンや、「陽の当たる場所」の年齢時のリズ・テイラー。三十代前後時の吉永小百合。。。美人、麗人、華人全て当てはまる。
好みはとなれば、最近は遺伝子が危機を感じているのか、昔より幅広くなったけれど(笑) 松下奈緒さんや武井咲、長澤まさみ、山本美月は確かに、好みです。
現実的には、けっこういるタイプ(失礼)、「ゲスの極み乙女」の、ほないこかちゃん(笑) ああいう目のパッチリとしたカワイイタイプには弱い。
美人は三日で飽きる、というが、それは美人がカワユくないからではと最近ふと思った。男が、女に求めるもの。いや、ずっと好きでいられる理由は? カワイイにあると思う。言動や仕草、笑顔などなど。。ただし、意図的なブリッコは駄目。
ハーフだと十代の時の宮沢りえが究極だけど、ハーフは皆綺麗ですよね。最近ではマギーとか。
でも、自分で少々びっくりしたのはダレノガレ明美。。昔はああいう目がキツイ子は好みじゃなかったんだけど、あの娘は結構性格がいいんですよ。ある番組で、皆が非難していたインチキ臭い占い師の女の子を庇っていた。
私も占い師は好きではないが、番組に出ていた子は、確かに悪気がない感じで、皆がそこまで非難するのはどうか? と思っていた矢先、ダレちゃんだけが「この子普段はそういう子じゃないよ」と、一人庇っていた。強きをくじき弱きを助ける。
彼女の言動を、結構聞いてきたけど、性格も含めて考え方が合う。良い子だよ(笑)
4/15
■お久しぶりです。なにせ年度末の仕事が忙しすぎて、更新する時間などあろう筈もなく、更新する気が全く無かった(笑)
下記、11/6の日の「つづき」を書きましたよ。なんともはや(苦笑)
1/5
■こんなスタンドアローンなサイトで、明けましておめでとうもないのだが、今年は言っておく事とする。
明けましておめでとう御座います。
今年は、のんびり正月を過ごせたのだが、腰の筋を捻ってしまい、文を書くのも苦痛。
TVづけの正月だったが、ぼんやり観ていたら『消滅都市』というCM。
「誰だ!? この美少女は!?」と、またぞろ驚いていたら、以前、ここで紹介していた早見あかり嬢。。。ホント、この人は画によって違う面を出す。いいぞ!
2014年
11/6
■ロッド・スチュワートって、渋くなったなぁ。今は、こんなオッサンになりたい。
https://www.youtube.com/watch?v=2oX2FSv4Rys
昔は、よく知りもせずでしたが、こういう派手なミュージシャンは嫌いでした。
大体、ボブ・ディランやスプリングスティーン好きなのですから、よくお分かりだと思われます。渋い人が好きなんですよ、基本的に。声もハスキーな。
で、たまたま、車で聴きたい曲として洋楽を探していた時、ふと、ロッド・スチュワートなら声はハスキーだし、車で聴くだけならいいかも、と思い検索していたら、上記リンクに辿り着いた訳です。
「Have You Ever Seen The Rain 」って、元々、アメリカのCCRの曲で、本家の方がもっと渋くて良いのですが、ロッド・スチュワートって、カヴァー曲の歌手としても、有名になっているそうで、CCRもいいですが、ロッドの声も洗練されていて、なかなかいいです。
なにより、動画での彼のマイクスタンドの使い方。日本人には出来ませんね。
んで、ロッド・スチュワートの、経歴を見たら、初期はジェフ・ベック・グループにいたとは。
ジェフ・ベックのファンが、「どのアーティストを辿っても、ジェフ・ベックには辿り着かない」ってよく言うけど辿り着いちゃった。それだけ、ロッド・スチュワートは特別な存在という事なのかな。だからといって、ジェフ・ベックには行かなかったけど^^;
ジェフ・ベックよりも行ってしまったのは、ロッド・スチュワートを検索しまくっていた時、「マイケル・ジャクソン、ジョーン・ジェット、ロッド・スチュワートらが参加、78年米オールスター大運動会『ROCK-N-ROLL
SPORTS CLASSIC』のフル映像がYouTubeに」・・・なんてタイトルの動画を、なんじゃコレ??的に、ついクリックしてしまったのだが、冒頭の参加アーティストの紹介の時、下のアルバムジャケットが映し出され、曲が流れた。
その瞬間! 久しぶりに心動かされた。
そのアーティスト名はBOSTON。曲名はアルバム『幻想飛行』の一曲目「More Than
A Feeling」だった。
アルバム製作は1976年!! って、今まで何故知らなかった!?(笑)
「More Than A Feeling」って、独特のエコーコーラスなので、聴いていると、まさに目の前の世界&宇宙の空間が広がっていくよう。
Wikiで経歴を読んだら、更に納得。アナログ方式で何年も掛け、地下でアルバムを製作するとは。。。詳しくは
Wikipediaを読まれたし。
時間を掛けた作品は、それに見合った内容と、深みが増してくる。
すでに、ほとんどのアルバムを買ってしまった。聴いた。素晴らしい!
「More Than A Feeling」だけ良いのかと最初は思ったが、全アルバムにBOSTONサウンドというものが一貫してある。
BOSTONの曲を聴くと、何故か元気になるんだよなぁ。
しかも、最近来日していたし。。。行きたかったが、仕事が忙しすぎてというのもありつつ、ブラッド・デルプがいないのであれば・・・。
9/7
■コクトー・ツインズよ永遠に。
https://www.youtube.com/watch?v=L_Tj4bJ0VFw
曲名「Iceblink Luck」
当時のミュージッククリップが観られるとは、、、。ネット時代様々だ。
エリザベス・フレイザーの、なんと幻想的な事!! 白銀の彫像が歌っているよう。
ちなみに、初めて聴く曲というものは、ある程度大音量で聴いた方がいいです。小さい音で聴いて、良さが伝わらず興味が湧かなく、あとで「あの時から追いかけておけばよかった」等、後悔する事が多々あります(笑) CDで聴いたらもっと凄いですよ。
この曲が入っているアルバム「Heaven or Las Vegas 」がリリースされた1990年に於いても、ビデオクリップ等、コクトー・ツインズの映像は、日本で観られる事はほとんどなく、私も初めて観るものばかりです。
「Iceblink Luck」が、私的には、コクトーツインズ最後の曲(実際は違います。あくまでも、私的にという事で、1990年当時、この曲の入ったアルバムが出てからは、暫くコクトー・ツインズの情報が皆無だったので)という印象。当時も、今聴いても曲が色褪せない。コクトー・ツインズにしては現代的であり、未来的。そして、リズに子供が生まれた時期と重なり、喜びに満ちた曲。
このメロディラインは、90年代に入って様々なミュージシャンに真似されまくったもの。革新的といっていい。
エンヤ、サラ・マクラクラン、アラニスモリセット、クランベリーズより以前に、歌唱が確立した3rdアルバム『Treasure
』(1984年)を発表しており、1984年以降に流行ったケルティックなボーカルの元祖がまさにコクトー・ツインズであり、エリザベス・フレイザーなのである。
最初に生み出した人、云わばオリジナルは強い。リズの声に勝るボーカルはいない。独断であるが、リズの歌声を知っているので、エンヤなどは色褪せてしまう。
自分自身、エンヤの良い所を探そうとはした。アルバムを買ったりしたのだが、どうしても心に届かない。やはり、リズの歌声をエンヤより先に知ってしまったからだろうか。
それに、リズは高音も低音もリズ本人と判るのだが、エンヤは別人のようで、コーラスも本人が歌っているのだが、やはり別人がコーラスしているようにしか聞こえない。これはどういう事かというと、メインの歌声とコーラスがチグハグなのである。無論、普通の音楽でも、女性ボーカルメインで、女性コーラスが入ったりするのだが、今まで聴いてきた音楽で不自然だと思った事はなかった。だが、エンヤは不自然なのだ。ボーカルの印象も薄くなっているように感じる。調べると、エンヤはコーラスも、音源をかなり多重録音しているようだが、重ねすぎなのではないか?
あくまでも、私観である。好みの問題であるのも明らか(笑)
恐らくではあるが、エコーが効いてなければ、エンヤの声は・・・。
エンヤの曲は素晴らしいと思いますよ、ただ、声が好きになれない。
9/3
■なにげに、TVの番組表を見ていたら、BSで「モンティパイソン再結成公演」とあり、放送しているではないか!? しかも、後半とあるから前半を見逃している。。
モンティパイソンとは、イギリスのコメディ集団で、とにかくブラックジョークのオンパレード! いや、イギリスのブラックジョークとはこういうものだという事が学べる?? 下ネタあり、教会批判あり、なのだが、流石なのかギリギリ下品に感じない(笑)と思う。。。
そもそも、このモンティパイソンのメンバーに、テリー・ギリアムがいて、テリー・ギリアムが『未来世紀ブラジル』の監督だったので、パイソンファンとして『未来世紀ブラジル』を観に行ったようなもの。とはいえ、『未来世紀ブラジル』はシリアスな芸術作品だが、パイソンはギャグである。パイソンのアニメーションパートを、テリー・ギリアムが担当していたのは有名な話。でも、日本ではマニアックな存在だが、世界的には有名で、いやそれ以上かもしれない。もし宇宙人がいたら、モンティパイソンの再結成公演と聞き、わざわざ地球にぶっ飛んでくるかもしれない(ネタです)。
冒頭、ミック・ジャガーのマネージャーが「40秒でチケット完売」と言っていたのも本当かも。
昔は、ネットでも、なかなか手に入らなかったVTRが、なんと現在は手に入るではないか。良い時代だ、現代で過去の名作が手に入る。現在の新作は、あまり買わないのに(笑)
お奨めは『モンティ・パイソン・アンド・ナウ』から、『ホーリー・グレイル』へと、『ライフ・オブ・ブライアン』は、余裕があれば。。。ギャグなので、それぞれに当たり外れがあるから、人に薦めるのも難しいけど、『アンドナウ』は、ほとんど笑える筈。ちなみに、観るなら日本語吹き替え版の方がいいです。テンポと意訳が冴えているというか、字幕より笑えます。
8/1
■やっと仕事も休みが取れまして、久々の更新です。
ほんと、休みもままならず、疲れました。
この間、winXPのサポート終了などがあり、こうなったら意地でも使い続けてやる! と、思っていましたが、IEも最新Verに更新出来ず、ウィルスソフトも期限付きと、逆風ばかり。
ほんとは、win9まで待とうと思いましたが、仕様やアプリケーションが落ち着くまで、2〜3年かかるだろうし、win8は嫌だし^^;) という事で、win7買っちまいました。
某エイリアンウェアというゲーミングパソコンがあり、その性能は「宇宙No1」と謳われていましたが、よくよく某社のPCと比較すると??? そんなでもない(>_<) う〜ん、と悩んだ結果、某社の方を選び、BTOして某エイリアンPCを凌ぐ性能のPCを手に入れました。宇宙No1より凄いのです(笑)
それと、ノートPCは、熱対策しないと駄目でしたね。買い換える前のノートも、冷却台の上に乗せて動かしたら、明らかに以前よりパフォーマンスが上がりましたから。
それにしても、最近のサイトは重いとこ(Flash使いすぎ、画像貼り過ぎ)が多いので、ノート買うならゲーミングPCぐらいでないと駄目なんじゃないか!? と考え、ゲームなんか全くしないのにゲーミングPCを買っちまいましたよ。
ま、速ぇえ、速えぇ!! サクサク進むとはこういう事か! と笑いが止まりませぬ。。
とはいえ、64bitならここはもっと速い筈だろ! なんていうとこもありつつ、これが限界かと思いまする。だって、米人にはどうせ128bitCPUは作れないだろうし。でも、サポートが切れる頃には、パフォーマンスも落ちてくるのだろうな。
と、ここまでダラダラと購入したPCの話をなんでしたのかというと、、、IEは現在Ver11。これがかなり厄介でして、文字フォントの規格が変わって、我がHPが読みづらいのなんのって。。。その前に、win7でHPビルダーって、使えないじゃんっ、などと、新しいOSにする度、ほんと面倒だし、大変だし、かなりの時間を取られた訳です。
HPビルダーに関しては、ある程度新しいVerを買い換えないと駄目かなと思いましたが、裏技があり、無事起動。だもんで、こうして更新出来た訳です。
IEのVerが上がるごとに、見づらくなるというのは、米の仕様に合わせているというか、日本語の事考えてないのは当たり前か。
それにしても、MS社は迷走してますな。新しいOSが出る度不評の嵐。美麗画面&タッチ画面なんて、採用したがるのは分かるけど、ハードが追いつけなくなっているのに無茶な話です。だいたいPCをサーフェスと統合しようなどとは、ユーザー無視というか、アップルのせいというか(-.-)
win9も期待できない感じ。やっぱりXPが一番良かった。
現状win7でやるしかないが、XPに比べて、良い所もありつつ、不便な所の方が多い。XPから変化を付けたいのだろうが、不便になってどうする!? 迷走と言われても仕方ない。
とまあ、ここまでグチるのは、「意訳」ページのフォント修正に、やたらと時間が掛かったからです。それ以外は、標準フォントで作ってきたので、そのままにしてありますが、太字ぽくなってるし。。。
慣れるしかないのかなぁ。
まだまだ、書きたい事はあります。
ガーネットクロウのLIVEレポも書いてないし、尾崎豊のノーカット版「LIVE CORE」の事とか、中岡慎太郎のページも、あと三回は更新したいのですが、ぼやぼやと休んでいたら、また忙しくなりそうでして、さてさてどうなることやら。
唐突ですが、
「作品の完成は画家としての妥協だ」
画家の松井冬子氏のお言葉。いいこと言う。
未完成のデッサンの方が良い場合がある。ミロのヴィーナスは、未完成というよりも、壊れてしまったものだが、完成を想像した作品より今の方がいいという意見があり、私もそう思う。
さて、文学はというと、、、未完じゃ駄目かな(笑)
カフカの『城』という例が、あるにはあるが。
またまた唐突ですが、バンド「ゲスの極み乙女。」
仕事の後輩が、メンバーと友達だというので、動画で観てみた。ヒップホッププログレなんだそう。なかなか面白い。
それにしても、バンド名、もちっとなんとかならなかったのか。名は体を表す。いい感じの名前は、狙いすぎでなければ、可である。可もなく不可もない名前なら、ビッグになった時に、可になる。だが、不可の名前はビッグになりづらい。長年、競馬をやっていると分かる。G1勝つような馬に、不可の名前などない。
かつて、無名の頃のブルース・スプリングスティーンが、ボブ・ディランを尋ねた時、門前払いに合い、ガードマンに「そんな長い名前じゃ、売れない」と言われたという。だが、長いだけで名前自体はカッコイイではないか。可である。
「ゲスの極み乙女。」、、、これも慣れだろうか。。。(オチたかな)
4/30
■ふと、映画のチラシが目に入り、
この美少女は誰?となった。
調べると、「早見あかり」という、ごく美人な日本人の女の子であるが・・・、
様々な写真を見てみると、
「こ、これは! 生きたラファエル前派!!」
特に、バーン・ジョーンズの絵画と思わせるような写真もあり、また、メイクが変わり、角度を変えて撮影されると、同一人物とは思えない程、様々な面相を見せる。
単なる化粧美人ではない事は確か。
非常に骨格が優れているのであろう。彫刻のように。
演技とか、出自はもうどうでもいい。
様々な角度で、その「美」を、写真で見せ続けて欲しい。
その写真は、絵画であり、芸術的であるから。
1/23
■新年の挨拶もしないまま、2014年に入りましたが、ま、ロックな感じという事で、お許しを。
それにしても、忙しい、帰っては寝て、また仕事の繰り返し。
今年中には、停滞している諸々の作品の続きを書きたいものですが・・・。
結局、映画『BEATCHILD』は観なかった。尾崎のVTRは、ネットやBS−NHK等で観ているので、触手が動かなかったというのが本音なところ。忙しかったし(>_<)
2013年
10/18
■映画『BEATCHILD』かぁ。各アーティストの版権の問題からか、ソフト化は出来ないのだろう。
佐野さんも出ているし、観たいんだが・・・、う〜ん。今の自分は、なぜか気が乗らない。なぜか・・・。ちょいと昔なら喰い付きまくりであったろうに・・・。なぜ?
↑こういう人を、本物という。これこそ真の「魂の叫び」という。
あ、分かった。普通の映画ならともかく、フィルムコンサートみたいな、アーティストのうるさいファン達と一緒に観たくないからだ。もう嫌なんだよね、「周りが騒ぐ」のが。
それと、尾崎や佐野さん以外のファンと一緒に観たくないんだよね。
ま、フィルムコンサートみたいなもんだから、総立ちという事は無いんだろうけど、寺山修司的に言えば「しばらく地球を止めてくれ、僕はゆっくり映画が観たい」といった感じ。。。
特に尾崎に関しては、静かに一人で観たいんだよ。
う〜ん、でも気が変わったら行くかも(笑)
9/23
■中島信文氏が、邪馬台国について、またまた本を出されました。
勝負の本と言っておられました。
『露見せり「邪馬台国」 目を覚ませ!歴史学考古学よ』 龍鳳書房
すぐに買おうとしたら、Amazonは品切れでした。楽天で買えるかな。
いずれ、氏とは酒を飲みつつ、古代ロマンの話に花を咲かせたいものです。
なんにせよ、私の方で仕事が忙しくて^^;)
8/7
■それにしても、ガーネットクロウの初期楽曲「Jewel Fish」は、なんて美しい曲なんだろう。今までも、お気に入りだったが、最近特に深く気に入って、毎日聴いている。
「♪走り出したら 通り雨 もう一休みしている 待ちきれない君は飛び出して 振り返りもせずに 信号が変わる一瞬の間に もう離れ離れ ・・・雨の日は雨の 晴れた日は晴れの 過ごし方でいい 泳いでゆくJewel
Fish♪
・・・ありがちな絶望感に 形を変えて 目隠ししたまま 雨にうたれてる」
「Last love song」のカップリング曲である。もちろん、「Last love song」も、いい曲だ。
Azuki七氏の歌詞は無論絶妙、言う事無し! そういえば、ガーネットクロウのラブソングは、ただの(既存の)ラブソングとは、いつも違っていた。他のアーティストのラブソングが幼稚に聴こえる程。
中村由利氏の作曲は、なるほど、初期のこの「Jewel Fish」に於いて、佐野元春ラインのようだ。ただ、曲が先に出来ての、Azuki七氏の作詞であろうから、メロディに対する言葉の当て方で、佐野元春(それも初期佐野コード)サウンドのように、聴こえるだけかもしれないが・・・。
「Jewel Fish」の、サビ部分のじれったさ(なんというかねばりというか)が、特にそうで、クセになる秀逸さ。
佐野元春登場以降、最近に至るまで、歌謡曲とR&B以外の、J−POPは、全て佐野元春の敷いたレールに、乗らざるを得ないのだから(これから先もそうだ)、別段、批判している訳ではない。日本語を、速いビートに乗せるには、「詰め込み系」(日本語に於いては佐野元春の発明である)と呼ばれる、佐野元春方式しかないのである。吉田拓郎でさえ、「全部だきしめて」という曲は、完全に佐野元春方式なのである。
最近の、お気に入り曲(ものすごく切ない曲なのに、何度も聴いてしまう「JUDY」、元気になる「Smiley
Nation」、独特のテンポで歌い上げる「創世記T」)も良いのだが、「Jewel Fish」のような初期の曲(「Sky」や「A
crown」も素晴らしい)は、その世界観が本当に美しく、当時はこのままこの感じで行くと思っていたのだが、人や楽曲の成長とともに変わってゆくのは、もう仕方ないのだろう。尾崎豊だってそうだった。
ファーストアルバムから完成されてデビューしたアーティストなら、尚更なのだろうか。初期楽曲と後期では、方向性が変わってゆくのは当然か。変わらないという事は、いつまでも歳を取らないようなもので、およそ不可能なのだといえる。だからといって、後期のガーネットクロウの曲が良くないとは言っていない。むしろ、確実に進化してきたのだ。
ままなれば、初期ガーネットクロウの曲が、「美しすぎた」のである。
ガーネットクロウ解散については、また後日・・・。
7/4
■『ブレード・ランナー』(ファイナルカット版)のメイキングビデオの中で、リドリー・スコット監督が「コミック界の父であり、最高の作家だ」と言う、ジャン・ジローとは、フランスのバンドデシネ(漫画)作家の巨匠、メビウスこと、ジャン・アンリ・ガストン・ジローの事です。
メビウスは、世界規模で影響力がある作家で、その作画世界の色彩とタッチは、まさに異次元としか言い様のない素晴らしさ。
フランスにしても、他ヨーロッパの漫画家、或いはアニメーション作家は、芸術作品指向です。緻密な描き込み、時間と労力を惜しまない作品群が多い。その中でも、メビウスはまた特別でして、都市観というか荒涼観というか、ファンタジーかと思えば、ロックというか、あらゆる世界観を表現出来る「恐るべき人」でした。
2012年にお亡くなりになり、日本でも「巨星堕つ」と報道されました。
私も、大好きでして、コミックも持っています。学生時代は、メビウスがキャラクター・デザインをした、ルネ・ラルー監督の『時の支配者』を、日仏会館へ観に行ったもんです。
ちなみに、「HEAVY METAL」誌とは、メビウスも参加していた「メタル・ユルラン」という、フランスのSF・ホラー漫画雑誌のアメリカ版翻訳誌の事です。
6/14
■なんとなく、まだ文章書く気が起きなくて^^;)
それにしても、『ブレードランナー』の続編を、リドリー・スコット自ら進めるとは。
恐らく、CGを使う事となるのでしょうが、模型を駆使した、ファースト作品とは、質感が異なるでしょうな。つまり、ファーストの方が特撮は優れて重厚なものであると予測してしまいます。
映画『ブレードランナー』のブルーレイ版が発売され、買ったのですが、そのメイキングビデオを観ると、カルトムービーなどと言えなくなるような、手の込みよう。途方もない労力のもとに、作品が造られていたのでした。やはり、ああいう質感は、手造りで時間が掛かったからこそなのだと納得。
更に、ブルーレイ版は、買って良かったと感動してしまうような解像度。今まで、ぼやけて暗かった映像もまた良いのですが、はっきりと明暗がついた画像で、ことさら場面の意味などの再発見が楽しめます。
ただ、ファイナルカットや、ディレクターズカットは、映画公開時の「インターナショナル劇場公開版」か日本で公開された「完全版」の方を観てからでないと、間延び感が強くて、初見はお奨めできまへん。ディレクターズカットが発売された当時、まことしやかに言われていた事は、「やはり、プロデューサーが編集した劇場公開版は、優れている。ここでも、いかに編集作業が大切なのか、他者によるアドバイスが必要なのかが理解出来る」と。
リドリー・スコット監督は、勿論、プロデューサーが、「長過ぎる」として、カット編集した劇場公開版を、扱き下ろしていますが、やはり、理解しやすかった劇場公開版がなければ、ここまで有名な作品になるには、もっと時間が掛かったように思われます。
驚いたのは、ルトガー・ハウアーの詩的台詞が、ルトガー・ハウアー自身からの提案(アドリブ)だったとは。
作品中には、ミルトン作『失楽園』の一文?「天使も焼け堕ちた 雷鳴轟く岸辺・・・」や、前半はランボォ? 「お前ら人間には信じられないものを俺は見てきた。オリオン座の近くで燃え盛る宇宙船。
タンホイザーゲートのオーロラ」等など、作品の価値を高めた文学的名台詞。
更に、ダリル・ハンナとハリソン・フォードとの格闘シーンは、ダリル・ハンナの提案で、アクロバティックな体操を取り入れたとの事。
その他、あらゆる俳優や製作スタッフによって、作品の価値が押し上げられた事を考えると、『ブレードランナー』は、監督の力だけではなく、当時、作品に関わったあらゆる人間が、最高のパフォーマンスを発揮し、それぞれの人間のピーク時期と重なり、達成出来た超絶力が結集し、世に出るべくして出た映画であったといえるでしょう。
5/29
■お久しぶりです。やっと仕事が落ち着きました。
時は、五月でありますが、年を明けてから、ずーと忙しかったので、この日記は、まず、三月前後にふと思った事から遡って書く事にします。
色々な人物について、感じた事が多くなってきたので。。。
昔、寺山修司が「最近の気になる人物は?」という質問に、10人ほど回答をしたと記憶しているのですが、その中で、大島弓子先生の「チビ猫」を挙げていました。意外ではありましたが、常に分け隔てなく、広い視野を持っていた寺山だったので、違和感はありませんでした。
私は勿論、寺山修司ほど、広い視野は持っていませんが、世の人物観が多くなり、ここにしたためようと思った次第です。
まず松下奈緒さん。なにげなくTVを観ていたら、彼女主演のドラマがやっていまして、その演技力に感心してしまいました。それに美しい。はっきり言ってタイプです^^;) 調べればピアニストでもあるではないですか。わたくし、ピアニストには弱いので、パーフェクトな感じです(なんのこっちゃ)。歌手でもある多才な人です。
レディー・ガガ
なんかこの方のお顔を拝見していると、非常に慈悲深いお顔というか、実際、日本に対しての接し方を見ると、その通りなんですが。
きゃりーぱみゅぱみゅ
この人のお顔も拝見していると、なにかしら「悲しみ」が滲んでいるというか、「悲しみ」を解っているお顔と感じます。センチメンタルとか、そういう事ではなくて、もっと深い。買い被りかもしれませんが。
でも、彼女は「表現者」として、確立していますね。簡単に二分化しますと、表現というものには、地に足が着いているものと、虚空の果てに飛び去ってしまうようなものがあると、考えてます。彼女は、後者ですが、普段自分が気付き、やりたいものがあった時、なかなかすぐには表現できないものです。でも、彼女は表現できる。才能は疑いようがないと、私は思います。
大島優子
AKBにしても、アイドルには、まったく興味がなく、私の世代的には松田聖子なのでしょうが、当時としてはむしろわざとらしいと感じていたので、嫌いな方でした。でも、今、懐かしのTVもので観ると、松田聖子って、輝いていますね。
で、大島優子ですが、小林よしのりが、やたらと天才だ、天才だ、言うもんですから、知ってはいました(特に、ショートカットにした時は、ショートカット好きの私としては、初めて注目したものでした。その後、すぐにまた伸ばされたので、記憶の彼方に)が、よしりんも地に堕ちたな、等と思っていたものです^^;)
それが、去年末の『めちゃイケ』を観ていたら、オカレモンが一緒に踊っているシーンがあり、一人だけ動きが違うのであります。目立つ、なんの先入観もなく観ていても、注目させられてしまう。今まで言ってきた「芸術的ダンス」が出来る天才。それが大島優子であったのです。
びっくり。とまあ、あれだけ人数集めれば、一人はいるか、と思いつつも、なかなかあそこまでの「形(決めの動作、一つ一つが絵になり、動きの芸術的魅力)」や動きのタイミング、体のラインの角度の秀逸さ、というものをお持ちの方は居らっしゃらない。手放しで凄い。
あ、オカレモン率いるOKL48の「永遠より続くように」は、『めちゃイケ』のスタッフである小道具担当のオカピー自作の歌ですが、以前からgoodな曲だと思ってました。いかにもアマチュアが作った、よくあるPOPな曲のいいとこ取りという感じですが、人を感動させられれば、アマだろうが、プロだろうが関係ありません。
それにしても、芸能系とはいえ、最近の天才は女性ばかりですなぁ。
5/3
■いやはや、忙しくて^^;)
書きたい事は、結構有りますが(ガーネットクロウ解散(T_T)の事とか、尾崎のLIVE
COREノーカット版の事とか・・・)、兎に角忙しいので、更新ままならず。
2/27
■今の所、17日間仕事続きで休みが取れていません(>_<)
更新ままならず m(_"_)m
1/2
■明けまして、おめでとう御座います。
仕事が忙しく、なかなか更新出来ませんが、そろそろ落ち着いてはきています。でも、そうなったらそうなったで、仕事以外の事が、忙しかったりと、なんともはやです。
本年も、宜しく御願い致します。
2012年
12/14
■ネットで知り合ったミュージシャン、辻 正仁氏(海月さん)の新しいCDが出た。
下記サイトの右上「SHOPPING」で買えます。
http://kurageyahp.web.fc2.com/
彼の「歌詞」は、「詩」でもあります。
10/20
■「中岡慎太郎と龍馬暗殺」が、きっかけで知り合った中島信文氏から連絡があり、邪馬台国の謎に挑んだ作品を出すとの事。
私と氏の「中岡と龍馬暗殺」に関する考察は、似すぎているとも言えるので、氏の書く邪馬台国論争は、非常に興味深いですね。
彩流社から出版されました。
氏にも話したのですが、普通に読解力を持たない人が、龍馬暗殺物を書く人に多いのです。普通に資料や時代背景を読めば、氏や私の言った説にならざるを得ない。それが間違っているのなら、資料が間違っているといえましょう。兎角、一つの証拠や証言のみに拘るから見えてこない。多角的に読み進めれば、おのずと見えてくるのですが、どうも偏る人達が多い。それが、龍馬暗殺本の世界です。「真面目」に取り組んでいるとは思えない人々ばかりと感じてしまうのですが、文筆業というものを生業としているのならば、あまり知らない分野でも流行に飛びつく、これ致し方ないのかもしれません。でも、そういう人達の説が、一般的になってしまうのは、どうにも腹立たしいですね。
さて、邪馬台国ですが、私は当初、この論争が起こった江戸時代の学者の説も一理あるとしてました。結構、最初に唱えた説って当たりが多いのですよ。それは、「九州の一部の国が、勝手に名乗っていた」という説です。日本書紀にもありますが、大和王権が「山門の女首長を征伐した」とあり、これが邪馬台国の女王だったのではないかという訳です。
これに符号する事があり、私はいつもその事に引っかかっています。
それは、奴国が「光武帝から印綬を賜った」という後漢書の件です。中国からの印綬の材質には四種類あり、それぞれ位の高い順から「玉・金・銀・銅」とあり、光武帝から賜ったとされる例の「漢委奴国王」印は、畑から見つかった(なんとも変な所から見つかったものです)金印なのですが、後漢書には「印綬を賜った」としか書かれておらず「金印」とは書いてないのです。
金印を賜ったのは「魏志」にも書かれている邪馬台国へのもので、はっきりと「金印」と書かれています。
どうも私には発見された「漢委奴国王」印は偽物に思えてなりません。ただ、奴国に授けた印綬が、実際に金印だった可能性もあるのですが、それなら後漢書にはなぜ「印綬」としか記載されていないのか?
とまあ、ただ謎を提議しただけですが、私の最初の直感(笑)だと、邪馬台国は金印で、奴国は銀印くらいだと思ったりしました。素人考えなので裏付けはありませんが、、、。
奴国が光武帝から印綬を貰ったのは西暦57年でして、後漢書によると倭国大乱が西暦146〜189年とあり、その後に女王を擁立した邪馬台国(邪馬臺国)ができたみたいなので、年代的に奴国は古く、邪馬台国以前は、かなりの権力を持っていたという事なのでしょうが、どうも腑に落ちません。それに、「魏志」には二つの奴国が記載されています。
もし、「漢委奴国王」の金印が本物だとしたら、尚更それが、小国でも大国を名乗るような気がする一因となったのです。
それは兎も角、中島信文氏の「魏志東夷伝」解釈は、非常に面白そうです。
古代地理の記述法則などは、当然現代と違うのですから、それにより邪馬台国の位置も、古代感覚によってこそ成り立つ筈です。
氏の読解に期待しましょう。
9/18
■まだ仕事がさほど忙しくない、数ヶ月前の事である。
そろそろ我がPC(winXP)もパフォーマンスが落ちてきたので、ネットに書かれてあるXPの高速化なるものを色々試してみた。
結果は、多少速くなったものの、色々試した程のものでもなかった。結局は、ルーターを経由している事が条件だが、あまり影響無さそうな時に、ウィルスソフトを一時停止するのが一番なのである。あまり、お奨めは出来ないが・・・。
そんなある日、シャットダウンした後、いつもは液晶を閉じてしまうのだが(私のPCはノート型なので)、たまたまそのままにしていた時があった。・・・と、なかなかシャットダウンしない・・・、長いなぁ、、、つーかー、長っ!
なんだこりゃ。と、この先、Winを更新する時、このままでは再起動に時間が掛かり過ぎる! 10分以上電源が落ちないのである。
と、仕方ないのでネットで検索してみる。「シャットダウンが長い」系で。
結構色々試してみた。主にネットで引っかかるもの。
*「User Profile Hive Cleanup Service」というツールを充てる。
*ウィンドウズの更新の順番が間違っている。たまにしか更新しないとバグる。
*RAMメモリ不足。(これは当方2Gもあるので当てはまらず)
その他、様々な対処法を探して駆使してみたが、一向に直らない。
諦めかけていた時、ふと、XP高速化なるものを見て、いじくったからかな? と思い、関係ありそうなものを調べ直してみた。ら、「『シャットダウン:仮想メモリのページファイルをクリアする』を有効にしたら、シャットダウンに多少時間が掛かりますが、お勧めです」みたいのがあった。
これじゃね! と早速無効にしたら、直った。。。やったー! っつーか、ネットの対処法で、どこにも書いてないってどゆこと!? つまりは、Winの設定を変えてない、という前提での情報が多いのである。
とはいえ、自分が悪い。レジストリから何から、色々いじったのであるから。
普通は、復元ポイント(ま、作っては置いた)を、任意の日に戻せばいいんだけど、現象に気が付いたのがずっと後だったんで、すでにいつ設定を変えたかすら思い出せんし、この間、色々設定直したから、元に戻りたくなかったのである。
試しに、仮想メモリの設定を開いてみる。
マイコンピュータを右クリック、プロパティ、詳細設定タブ、パフォーマンスの設定、詳細設定タブ、仮想メモリの変更をクリック。
そうなのである、このメモリ幅を最大サイズで三倍くらいに設定したのである。だって、高速化するって書いてあったから(笑) つまりは、仮想メモリを膨大にした為、シャットダウン時に自動クリアする場合、やたらと時間が掛かってしまうのだ。
これを初期サイズと最大サイズ両方とも、推奨サイズ(私の場合2875MB)にする。これは、XP高速化を更に調べた時、仮想メモリのサイズを初期と最大ともに同じサイズとしておくと、ファイルが断片化しにくくなり、まめに最適化をしなくても済む、と書いてあったからである。こちらを信じてみる。
設定後、再び「シャットダウン:仮想メモリのページファイルをクリアする」を有効にしてみて、シャットダウンを行ったら(設定は、二回目のシャットダウン時に有効となるので注意されたし)、確かに時間は掛かるものの、我慢できる範囲(一分くらい)になった。
設定方法は、
1.[コントロール パネル] を開く。
2.[パフォーマンスとメンテナンス]を開く。[管理ツール] をクリックする。
3.[ローカル セキュリティ ポリシー] をダブルクリックする。
4.[ローカル ポリシー] を展開する。
5.[セキュリティ オプション] をクリックする。
6.右側のウィンドウで [システムのシャットダウン時に仮想メモリのページ ファイルをクリアする]
を見つけ、ダブルクリック。設定を有効か無効にする。
で、これ↑、たまに設定するようにして、普段は無効にしとります。
仮想メモリの情報がクリアされるのではなく、数値だけがクリアされるとか言われてますが、普通にXP使っている分は、元々無効だったし、問題ないかと。
長々と書いたのは、あまりにもネットに情報がなかったから。むやみに、仮想メモリ値を増やしてはいけませんでした。
*あと、これからノートPCを買う方、GPU(グラフィックス プロセッシング ユニット)はCPUと別構成がいいですよ。CPUとの一体型は、性能が制限されやすく、CPUと共に熱を持ちやすい為、ファンの稼働も頻繁になり、熱暴走でいきなりシャットダウンの可能性も出てきます。最近は、独立させて構成されているノート型は多くなりましたが、すべからくサイトには、画像や動画が増えてますから、ゲームはやらない人でも、独立したGPUの方がフリーズも熱暴走も、避けやすくなる訳です。*
↑と、書いた所、後日、ノートPCではCPUとGPUの完全分離は無いという事を知った。巷に表示されている別チップでのGPU(NVIDIAのGeForce等)は、CPU内臓のGPU(インテル
HDグラフィックス)以上の性能を求められた場合のみ、稼動するというもの。つまり、ノートPCのGPUは、基本、CPUとの一体型(統合)+αしかないのでした。更に、別チップのGPUの方が、発熱半端なく熱いとの事^^;)。
なので、解決方法としては、ノートPC冷却台を購入するしかない。でも、この冷却台、かなり役に立つ。処理も安定しだしたし、本体も以前より熱くならなくなった。ていうか、ノートPCには、こういう冷却台なるものが必須のようです。
8/21
■今年のお盆は、休みが取れないかと思いましたが、なんとか休む事が出来ました。でも、仕事は、相変わらず忙しく、このHPの更新もままならない状態には変わりありません。
さて、前回からダンス系のお話でしたが、今回もそうです^^;)
ロンドンオリンピックが終ったばかりですが、オリンピックといえば、フィギュアスケートの荒川静香さんを思い出します。
当時は、イナバゥワァーばかり話題となり、荒川静香選手の演技自体には、さほど世間の評価は低かったと思われます。有力なアメリカの選手が転倒したからで、たまたま荒川静香選手は、演目を無難にまとめたから、、、みたいな。
でも、動画サイトで観た荒川静香選手のノーカットの演技を観て、感動しました。たまたまミスが無かったどころの演技ではなかったのです。
荒川静香選手は入場の時、両手を高く掲げます。そう、まさに掲げています。すでに、金メダルを取った事を知っていて、映像を観たとはいえ、その時のその姿だけは、王者のポーズのように、演技の前から金メダルが確定しているかのような、堂々たるものでした。
そして、演技自体に使われた曲、トゥランドット「誰も寝てはならぬ」に、完璧にタイミングを合わせきった演技。
スポーツ界では「ゾーンに入る」という、言わば無の境地といった精神状態を指す言葉として、使われます。2006年トリノオリンピックでの、荒川静香選手は、まさにゾーンに入っていたといえます。
例え、他の選手がジャンプなどで高得点を出し、荒川静香選手が負けたとしても、荒川静香選手の演技は、芸術として完璧でした。
音楽と演技の融合、何度観ても飽きません。
5/19
■まだ仕事が忙しいです。
だいぶ間が空きましたが、前回のように、またダンス系の話をば。
数年前だろうか、映画『ハロー・ドーリー!』を観た。
フレッド・アステアが好きな私は、ジーン・ケリーとはどんな人物だろうかと、まず、映画『雨に唄えば』を観た。なんとも、騒がしい映画である。内容もたいして無い。そして、ジーン・ケリーが傘を持ってダンスするシーンだけが特徴の映画だった。ただ、全体的に言える事は、「これがアメリカのエンターテイメントだ」という事が、思い知らされる。たしかにゴージャスで、金が掛かっている。
『ハロー・ドーリー!』は、そのジーン・ケリーが出演せず、監督に徹した映画である。
私は、サッチモ目当てで観たようなものだった。で、内容は・・・、脇役たちが、なんとも軽薄極まりない^^;) ま、観る人が観れば、それはさほど感じないかもしれないが、やたらと存在感のあるバーブラ・ストライサンドと、トボけた感じのウォルター・マッソーだけが、印象的な映画なのだと、途中まで観ていて、そう思った。
だが、映画も後半、ニューヨークの高級レストランでの、バーブラ・ストライサンドのダンスシーンに至るや、びっくりした。
音楽の始まりとともに、バーブラ・ストライサンドが階段を降りてくる。その映像と音楽と、バーブラ・ストライサンドとの一体感は圧倒的で、ダンスも激しい訳ではないが(彼女はハイヒールで踊っている)、なんとも、優雅で煌びやか。バックダンサーの動きが、脳に心地良い視覚効果を与え、この撮り方はこの映画が元祖? と感じる。「部屋が揺れている♪」と唄われるのだが、観ている自分も、揺れている錯覚を覚えるのである。
歌詞も素晴らしい。ノスタルジックでありつつも、前向き。もちろん、バーブラ・ストライサンドの歌唱力もまた素晴らしいとしか言いようが無い。特別ゲストも迎えて、この映画のハイライトとなっている。
それ以外のミュージカルシーンも、良いシーンと音楽はあるが、この映画は当然、バーブラ・ストライサンドに尽きる。
さて、『雨に唄えば』にしても、『ハロー・ドーリー!』にしても、作品的な評価は高くなく、これは云わば、脚本のせいであろう。洒落た部分も有るが、中身が無いからである。
ニューヨークの高級レストランでの、バーブラ・ストライサンドのソング&ダンスのみ、何回観ても飽きない。百聞は一見に如かず。まだ観た事が無い人は、是非お奨めなのですが、一応大画面で、音も大きくして観た方が良いから、まだ発売されてないブルーレイ版が出るまで、待っていた方がいいでしょう。DVDなら、液晶の画面をフルスクリーンで、空白の時に橋を掛け、星の導きと共に、ドーリーは、もうどこにも行かないらしいから。。。
4/3
■暫く仕事が忙しく、ほんと、久振りで御座います。
特に、書く事も無いのですが、やっと少しは時間が出来たもので。。。
という訳でまたまた、菅井円加さんについて。
彼女の踊りの素晴らしさが、分かり易い動画は、「第14回NBA全国バレエコンクール
高校生部門女性の部 2位の1」である。
日本では二位だったのだが、これは思うに、日本は「技術」を重要視するからであり、スイスのローザンヌや諸外国では、「才能・持って生まれた素質」を素直に評価されての受賞であったのだと考える。
素質・・・、あの跳躍の美しさは、どんなに練習しても出現しないものであると断言出来る。他のバレエダンサーと見比べれば、誰にでも解るものだ。
2/13
■今、ニュースになっている、ローザンヌ国際バレエコンクールで優勝した菅井円加さん。
熊川哲也も凄かったが、彼女も優勝は当然といえる。
なんという軽やかさ! まるで羽が踊っているようだ。軸もブレてないし、全体に力みもまるでない。細かい所を言えば、途中体が斜めになったが、それでもブレているとは感じられず、ピタッっと静止しているようだった。
ローザンヌは、NHKで放送されていて、気が付けば観る程度ではあったが、あんな踊りは初めて観た感がある。
高く跳躍している場面を観てみたい。ネットで流れているものではなく、TVでちょっとだけ空中タップの場面を観れたが、スローモーションのようであった。素晴らしい!
話は変わって、中岡慎太郎は大政奉還の二年程前、自身も大政奉還論を書いていたとの事。流石である。しかも、大政奉還が成ったら、内戦が起こるとまで予見していた。詳しくはまた近々『夜話』のメモ書きにでも書こうかと思う。
1/8
■寒中見舞いになるかもしれませんが、明けましておめでとう御座います。
昨年は、色々有り過ぎた一年でしたが、なにはともあれ、景気が回復してくれれば、全体宜しかろうと思われます。アメリカでもそうなんですが、結局は景気なのでしょう。
さて、以前に私の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を見てくれた方なのですが、メールがあり、リンクもさせて戴いた「木漏れ日に生命を!」の中島
信文氏が、本を刊行する事になりました。
まだ、どこで出版もするか探しておられた頃から、お話を聞いていたので感無量です。
小さな出版社とおっしゃっておられましたが、どうして、彩流社という本格的な出版社です。リンクを張りますが、『龍馬暗殺の黒幕は歴史から消されていた』がそうであります。 http://www.sairyusha.co.jp/ 目次だけ読んでも、そそられますよ。Amazonでも買えます。
氏は、私の説が氏の説と、推理の視点や論点が非常に近く、驚かれたようでメールを頂きました。氏のブログを読むと、確かにそうなんです。
私も、早く読みたいものですね。氏の論説で私の『夜話』もまた、発展があるでしょうし。
興味の有る方は是非購入してみて下さい。
2011年
11/23
■『夜話』を更新しました。メモ書きも少々。
次回は、西尾秋風氏の薩摩藩説側からの新資料(といっても、もう数年前のものですが^^;)を紹介した記事から、薩摩藩説土佐藩説が展開されてしまうものを、更にあ〜だこ〜だと私観を述べさせてもらいます。
例の「佐々木多門の密書」について、展開された説ですが、こういう当時の資料なり発見なりがあって、説を繰り広げないと、研究家は認めてくれないものなのです。ですが、結局、その資料から推理を膨らませて持論を説く所は、アマチュア研究家と対して差異がないのですがね。それに、大した中味でもないのに、展開が大袈裟というかなんというか・・・、結局、プロの研究家も妄想が激しい訳です。
研究家より一般マニアの方が、金銭的なしがらみもなく、熱中度から研究熱が上回ってしまう事は、どの分野でもよくある事です。
別段、研究家に認めてもらいたくもない私ですし、認めてもらえるような一次資料だけをもとに推理をしたって、コ゜ールには辿り着けません。
本文では、研究者の批判は極力避けたい所で、言いたくなく、ここで書く事にしますが、西尾氏の説文の最後に、「断じて刺客どもに時効は許されない」などと、今や昔、慶応三年の事件に対して、文章家が感情的な文を書く事自体、奇異に感じてしまいます。
その歴史読本は、他にも説を唱えている人の文が多数掲載されているのですが、その中の判沢という人。薩摩藩黒幕説の人ですが、龍馬暗殺の項に入るや否や「この時、中岡慎太郎も暗殺されているが、本稿では触れない」と、冒頭で釘刺し。
中岡を出すと、薩摩藩説の弱点を曝け出してしまうからか、実に堂々としたもんです。呆れてしまいました。こんなんで、文章書いて、金貰っているのが、職業文筆家の実態という訳ですな。・・・いかん、シュールレアリストの皮肉屋癖が出てしまった^^;)
そんな批判事より、全日本女子バレーボール! 今大会、調子の悪かったブラジルとはいえ、やっとブラジルに勝ちましたね。最後は三位以内に入り、オリンピックの権利を取って貰いたかったのですが、楽しみはまた先にという事で、次回選抜は頑張ってほしいものです。
ただ、中国戦で、あれだけブロックを決めながら、負けるとは・・・。
ドイツ戦を見て、やっと分かったのですが、やはり、ミスを少なくしないと勝てないという事なんでしょう。
初戦、観覧に来ていた元全日本東洋の魔女の方、「自らのミスで・・・」と、ミスの多さを嘆かれてましたが、やはりそういう事なのでしょう。今となっては、海外チームは、男子並みの高速アタック、流石に回転レシーブは通用せず、あっという間にコートヘ叩き付けられてしまいますが、本来ミスの少ないチームへと成長したら、確かにメダルは見えてきますな。
11/4
■という訳で、『夜話(Various talks)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新しました。その中の、メモ書きも。。。
ネットで細かい事を調べていたら、偶然『夜話』の本文を、無断掲載しているブログ等を見掛けました。せめてリンクぐらいはしてほしいものです。
別段、研究書からの引用が多い、ただのお話なので、当然、著作権は主張しませんが、見かけた二つの空間のいずれも、このページに対するなんの紹介もなく、その人が書いたようになっていましたので、これは少々気分が悪いものです。ま、怒りはしませんが、リンクはして下され。
私もかなりのサイトを参考にしているのですが、サイト主の文章転用などはしておらず、云わば谷の演説や今井の実歴談など、古くから発表されている資料のみなのですが。
人に言っておいて、自分は紛らわしい事していると言われるのも嫌なので、いくら資料のみとはいえ、私もサイトリンクは貼るようにします。
11/3
■なんとなく、暇になってきたので、書き込みをば。
となると、『夜話』などや「旅人」のつづきを書けばと思うのですが、タイミングもあったりします。実は、つい三日ほど前は、「旅人」のつづきを書きたくなったのですが、夜になるとそうでもなくなったりと、思うに、後頭部というか、脳の後ろらへんがモヤってると、なんか書く気が無くなる感じでして、スッキリすると書きたくなるのですが・・・。
とはいえ、『夜話』は書こうかと思ってます。今日か明日にはUPしようかと。
「旅人」は文学、『夜話』は違います。「旅人」を書こうかと思った時、つい、『夜話』の方が先かなと思い、脳が躊躇してしまいました。『夜話』の方が気楽ですし。
ただ、相変わらず「旅人」の内容は膨らんでおりまして、ちょくちょく頭の中で、修行者と旅人の会話が浮かんできます。エンディングも大体の構成も決まってますが、詩ではないので中味は付け足しが出来る分、結構エピソードが広がりますね。こんな事は初めてです。やはり、詩ではないようで、とはいえ小説にはしたくないし、やはり文学としかいいようがない訳です。
応援しているガーネットクロウの新作が出るようで、いつも勝手にお知らせしてます^^;)
前作『parallel universe』から約1年ぶりとなる9枚目のアルバムが12月7日にリリース決定となったようです。
左は、すでに発売中のシングル、右はニューアルバムです。
前作は、ポップな曲が多かったので、今回は控えめのような気がします。ガーネットクロウは、そんな感覚というか間隔というか、で、アルバムの雰囲気に緩急付けたりします。なので、「もう、こんな感じのアルバムしか出さないのかな」などと思ったりしたら、大間違いでして、そして、期待通りでないアルバムも、聴けば聴くほど良さが解ってくるのです。
そして、明日から女子バレーボールが始まりますね。前回は、ブロックが少なめでしたので、あれっと思ったのですが、戦略的に隠しているのか、画したのか、単にブロック得意な選手を揃えられなかったのか、分かりませぬが、サーブ&レシーブが安定しない時は、ブロックしかないような気がします。けして、背の高い選手は多くないのですが、ブロックを決めて欲しいものです。
「ブロックを制する者は世界を制する」 by私の勝手な格言。。。
10/1
■SAKURAのレンタルサーバーに切り替えたが、なかなか快適なサーバーだ。インフォシークよりも若干速く感じる。とはいっても、このHP自体の容量は少ないからなのだが、それでも速く感じるのは、なかなかだと思う。
機能が細かくあり、難しい部分もあるのだが、特にそういう部分は使わないので、なんの支障もなく移行出来た。
インフォシークの方は更新していなく、もうすぐ切れるので、それまでの間にこちらへ来て戴いた方への配慮として、『夜話』などを更新出来ればよかったのだが、時間がなく、『今日の一言』と、詩集アフリカからの更新分のみしか更新出来なかった。すみませぬ。
詩集から更新したものは、「クリスマス スノウ」と「フラスコ」である。
「クリスマス スノウ」は個人的に好きな詩。中学生の時を思い出す。
「フラスコ」は、言葉を実験的に駆使した詩で、実験的なのに、成功してしまった珍しい作品。
私の詩は叙情が多いのだが、叙事詩とか風景的とか、そういうものを越えて、言葉を駆使し切ったらどういうものが出来上がるのだろうか? と意識しながら更に無意識に作ったものなのだが、使い古された言葉が、全て新しく使い切れたといえる。
恐らく、「詩」というジャンルに於いて、完成された作品であり、私の「詩」の中で、技巧的に傑作となったものである。
これは、上記の事を言いつつ、ある詩作仲間に見せたが、同意を得たものでもある。
自作品を誉めるとは、初めて訪れた人は不快に思うかもしれないが、詩を生み出した本人は、詩を「作った」という感覚がない為、第三者のように作品を判断出来てしまうし、なにか自分が作ったように思えない為、自作品でも他人事のように話してしまうのだ。いつも、言っているが、私の場合でも他の作家でもそうだと思うのだが、作品は生まれてくるものであり、または、在る深遠から引っ張り出してきた、ともいえるからかな。
9/1
■なんとなくですが、あまり知られてないであろう漫画家の田島昭宇氏の事を話します。「魍魎戦記MADARA」シリーズが代表作ですが、最近は「多重人格探偵サイコ」と、原作者のもと、猟奇的(マリリン・マンソン的?)な内容の漫画を描いています。絵の上手い人ですが、原作者を立てなくても、漫画が描ける人なのです。ようは未完の作品があり、その続きを描いてほしいのです。それは、「魍魎戦記MADARA
転生編」の続きです。この作品を見た時、現代日本で、この作家でしか、真のサイバーパンクを描ける人はいないだろう、と思った程なのです。ファッションセンスも、ずば抜けてます。
未収録作品集が出るとの事で、色々調べたら、サイコが終れば、転生編の続きを描くとおっしゃっているとの事。・・・微妙ですが、すでに諦めていたので、寝耳に水でして、是非、続きを描いてもらいたいものです。
下はMADARAではなく、キャラデザだけをした『お伽草子』。内容は面白く、「東京編」は、MADARAの「転生編」的なものを期待したのですが、それは期待しすぎ。田島氏のデザインを生かしきれなかった点が惜しまれますが、天下のプロダクション
I.G製作。ケチは付けられませぬ。悪くはないです、期待度が高すぎたもので。
もう一人、気になるというか、東村アキコ氏です。週刊モーニングの「主に泣いてます」しか読んでないのですが、その作品は敏感すぎるといった内容でして、この方もまた、「見えすぎる」人なのです。ランボォ的にいうと、見者や千里眼といった所でして、人間の精神がまた見えすぎる人だと感じます。時に、生きているのが辛くなるタイプの人だと勝手に思ってます。
登場人物の台詞で「東京は、自分の事を棚に上げて生きている奴らばかりだ」といった内容の言葉が有り、人間関係の辛さをよく解っている台詞です。
一見、滅茶苦茶な登場人物ばかりのように思われますが、こうでもして生きていかないとやってられない、といった感情が読み取れるのです。
なんというか、東村アキコ氏、只者じゃあないですね。
更に、関係ないですが、女子バレーボールのワールドグランプリ! 決勝リーグ放送しないっていうのが訳分からん。
8/1
■仕事が忙しいというのもありまして、更新していないのですが、特に書く事もないからというのもありまする。
夜話の続きは、勿論書きますが、またまた書く気が起きなくなりまして、、、。
「旅人」にしましても、恐らく本意が伝わらないのではという感覚があり、例えば詩集「アフリカ」でさえも、あれだけ難しい言葉を使わずに書いたものでさえ、よく解らないという感想も聞いたりする訳です。
「旅人」は、生まれた作品ではなく、作っている作品であるからか、難しい言葉が多く(造語は別にして)、スヤード・ヴァーダ論と同じような考え方を、私が持った時点で、更に理解しづらくなると思われ、結局また真意も本意も伝わらないであろうというジレンマに陥るのです。
世には、読解力の無い人が多いので、致し方ない。だからこそ、色々解説などを付け加えているのです。
とはいえ、実際はそこまで気にはしていませんけど^^;) 読み手の読解力任せというか、読み手を頼りしております。
かつて、私の作品に理解を示してくれた方は、皆揃って、分厚い文庫本など、2〜3日で読んでしまうほどのハードな読書家でありましたから。私は、本読むの遅いし、最近はあまり読んでませんが^^;)
「旅人」を書いていて、感じるのですが、シュルレアリスムの誘惑に負けそうな時があります。以前、謙遜で「オチに困ると、シュルレアリスムを駆使してしまう」などと書いたのですが、別段オチに困った事はなく、寺山修司口調の真似をしただけであって、私は本質的か、若き日にランボォの影響を受けすぎたのかは、定かではないのですが、どうも根っからのシュルレアリストのようで、どんな作品もシュルレアリスムにしたがる自分がいました^^;) ですので、「旅人」は、かなり我慢してシュルレアリスムにならないようにしていますし、なってはいけない作品です。
真似といえば寺山修司でして、我が心の師匠は、他人の模倣をよくしていたそうで。。。
ある寺山に親しい批評家は、「純粋に影響を受けすぎるからそうなる」と言っておりました。デビュー時点の短歌で、すでに中村草田男の影響が強すぎていたようですが、その後も結構派手に様々な人の模倣をしていたようです。そういうのもあり、創作者としては、なかなか認めてもらえない節があるようです。
私は、気が付いたものは削除したりします。無意識に影響を受けてしまうのは、やはりありますが、清書していて、あまりにも露骨であれば、真似と言われるのが嫌なので、削除したり表現を変えたりしますね。
ただ、昔から使い古されている言葉であっても、自身、昔より効果的に表現出来ているものに関しては、そのまま使っています。
昔から使われている場面や手法とは、異なると考えたものは、使うしかないですね。
例えば「遠い過去に泣き濡れた 煙のような魂は」に於ける「遠い過去に泣き濡れた」などは、昔からよく聞く見る表現ですが、煙草の「煙のような魂は」と付け加えると、詩としては、私の物語の場面になる為、私の表現として成り立つと考えるからです。
ま、あの詩自体、リズムが独特なのですが。
「空が落ちてくる」という表現も、キャロル・キングの歌にあるものです。リリックはラブソングなので、ラブソングとは関係ない「港街」の孤独な場面で使えば、また違った物語と世界観が出来上がる訳です。
「模倣」と「影響」は違うという所ですが、「影響」は無意識な部分が有り、「模倣」は意識的と言ってよいでしょう。原作とそのままというのは、やはり良くない事ですし、自分で気が付き、止めるなり使い方を工夫するなり、最後はセンスの問題ですが、どうしても一部使わざるを得ないのであれば、原作を明かし、リスペクトを示さなければならないと考えます。ただ、原作を明かせば何やってもいいという訳でもないのですが。
その原作者も、先人からの影響はあったりもします。受け継ぐにしても、劣化させず、或いは、骨格をベースに、より優れた表現へと磨かなくては、原作者に対しても失礼ですし、また、センスの良い人は、原作を明かさなければ、その人が発明したとされ、逆に原作者の方が、真似をしたと思われては、原作者に対して、非常に申し訳が立たないとすべきです。
まあ、人より優れた能力など、所詮僅かなものです。
仕事が忙しいので、もちっと余裕が出来たら、夜話の続きは書きます。
6/4
■仕事が暇になったので、ちょくちょく書こうと思ったのですが、地デジ化に伴い、今頃になってTVもブルーレイレコーダーも揃え、色々操作方法などを試している毎日となってしまいました。ギリギリまで待っていたのですが、そのおかげで、ハードはほぼ最新のものが取り揃える事ができ、満足しております。
でも、メーカーを選ぶのは手間が掛かりますね。あっちのメーカーは、これが出来ない、こっちのメーカーは出来るが、あっちのメーカーが出来ている事が出来ない。とまあ、ややっこしい^^;)
それに、ブルーレイは高性能である為、操作が限定されてしまう事が、パイオニアのDVDを使っていた者としては、煩わしいです。DVD機器の方が早いし、直感的な操作が出来るし、何よりストレスが無かった。
まあ、結局ソニーと東芝機の両方買ったのですが^^;) どちらも、一長一短なので、使い分けなければなりませぬ。
「中岡慎太郎と龍馬暗殺」のページに、メモ書きみたいなものをUPしました。色々な情報があるのに、本編で書くまで時間が掛かるので、ページ内に書き込んで置く事にしたのです。新しく得た情報を、事前に書いて置けば、ご覧になっている方々にも、早めに内容をお知らせ出来るというのもあります。
先ほど、福島で震度5弱の地震がありました。やはり、余震はあるので、まだこれからも注意した方がよいようです。
5/29
■もうすぐ六月ですね。
大震災の最大余震は、過去の記録上、三ヵ月後だとか。六月は、特に注意した方がいいようです。
さて、私も云わば自粛していたというのもあり、更新は控えていました。
今年は、確かに桜を見ようとも思えず、また見ても気分が優れない春でした。
最近、また龍馬が登場するドラマ『仁』の影響か、日曜日の夜から月曜日にかけて、アクセスが増えているようです。
それで色々ネットを調べてみると、ブログやツイッターなどに、我が夜話が話題にされていまして、どうも「龍馬が巻き込まれた説」と、ほとんどの人が紹介しているようです。
別段、私は「龍馬が巻き込まれた」とは言っていないのですが^^;)
中岡が主目的ではありますが、龍馬も隊長らしいから同時にという話である筈でして、確かに新撰組密偵を通して、陸援隊は守護職に狙われていましたが、所司代としては、どうも龍馬を主目的にしていたとも言えるので、巻き込まれたというより、やはり二人ともマークされていたといった所です。まあ、大勢はどうしても龍馬中心に考えているので、仕方ないのかもしれませんが、あえてこだわらせて戴きます。
なんというか、結構広まっているみたいで、半分嬉しいのですが、有名になるのは半分気持ち悪い。ので、ほどほどでいいのです。今年中に、レンタルサーバーを変更するので、いずれ検索したHPアドレスはリンク切れになるでしょうから、雲隠れにはもってこいなのですが、来年くらいまではアクセス出来てしまうので、少々、うっとおしい感じです^^;)
そんなこんななのですが、「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を更新しました。
なんとなく、中岡の夜話を終らせてから、自作文学「旅人」のつづきを書こうと思ってます。ランボォの「意訳」も面白いのですが、今はランボォに触れる心持ちではない感じです。ま、リクエストがあれば早速書きますが・・・^^;)
4/29
■震災後、東京は大分落ち着いた。
それにしても、津波の被害地全体が映った映像を見ると、戦争映像の大空襲後のようである。
かつて、寺山修司は、終戦直後の瓦礫と死体の山を思い出した話の中で「生きながら地獄にいるようだった」と、語っていた。
家族、友人、そして生活を奪われる事になった今回の災害は、直接的な被害を私は受けていないとはいえ、東北の方々の心情を思うと、やるせない気持ちに陥る。
80年代、反核の広島ピースコンサートが行われた頃、佐野さん(佐野元春氏)が「警告どおり 計画どおり」というシングルを出したが、そのCDの表には、スリーマイルアイランド・チェルノブイリ・ウィンズケール(セラフィールド)と書かれ、「AND NEXT?」とも書かれていた。
歌詞は、「ウィンズケール・スリーマイルアイランド・チェルノブイリ」と唄われていたが、NEXT?は「フクシマ」となってしまったという事だ。
ひとつ気になっている点がある。原発が津波被害に遭い、放射能が漏れた事は、確かに人災ともいえるが、元々は地震と津波による「天災」であるという事だ。
確かに、政府の対応は頼りないが・・・。
私も、原発には反対だ。原発に取って代わるエネルギー媒体の方がいい。エネルギー産業は頭打ちなので、これを機に、新たな開発に力を注いだ方がいいだろう。
また、利権が邪魔をするかもしれないが。
本HPのアドレスが、また変更となります。インフォシークは、有料のレンタルサーバーも廃止するそうで。
昨今の「ブログ」や「ツイッター」の普及率から考えれば、納得とはいえ、だったら無料サーバーを廃止にした時点で、有料もやめれば二度手間にはならなかったのに、とグチもこぼしたくなります。
恐らく、秋口に変更しようと考えておりますが、次のサーバーは「sakura」のレンタルサーバーにしようかと思っています。
3/11
■東京も、凄い揺れの地震でした。高速道路が、ほぼ全面通行止めとなった為、都内の主要道路は全て大渋滞。私も、仕事先から、車で普通一時間半で帰れる所を、五時間も掛かりました。
JRも運転停止となった為、国道20号の歩道は、新宿方面から帰る人々の長蛇の列となり、異様な光景でした。
これを書いている今も、余震が続いてますが。
まだまだ注意が必要です。
3/6
■下記は、今、思い巡らせた言葉。何故こんなにロマンティックな言葉が出てくるのだろうかと、一瞬不思議に思ったが、そういえば、私は詩を書く人間だった。暫く忘れていた^^;)
冬の夜空は 好きだ
冷たく澄み切った夜空の形 そのものが そのまま
水のカーテンのように 地上の僕に降りてきたとしたら
僕はウンディーネの物語を 読みたくなるからだ
2/18
■私は、世紀末文学や、絵画も世紀末のものが好きで、自分の詩集も世紀末に出せて、それで終わりと思っていた。
なぜなら、三十歳前後で死ぬと思っていたから(笑) 実際、二十代の頃は、突っ走っていたし。
だが、未だ死せず、生き残っているという事は、何かしら欲があるか、役目が終っていないからかもしれない。「Monolog」にも書いたように、まだ「人生の意味」を全うしてないからかもしれないが。
独り者であるのも手伝っているからか、結局未だ文学を書いているが、いつ死んでもいい。未完作品は気になるとはいえ、大体書ける事は書いてきた。
孤独死などと、世間では言われたりするものだが、看取られる人がいるかいないかだけで、心中でもしない限り、人は一人で死んでゆくものである。
ちっとも寂しくないし、気楽だから、それが世間的には問題なのだろうが。
それにしても、人はいずれ死ぬのだ、という事を忘れている人の多いこと。
1/9
■2011年は、果たしてどんな年になるのだろうか。
今年こそ、ガーネットクロウに続く、重要なアーティストは現れるのか。
90年代のジュディマリのファーストアルバムは、94年であるから、今年もまだ期待出来ないかもしれないが・・・。
自分自身として、今年は何故か変化の年になりそうな予感。
体調は悪くなく、精神的には内部より、外部にその方向性が向きそうだからかな。
自作「旅人」ではないが、人の為にと心がけるのもいいとはいえ、自分の為に行動を起こしていくのも良いだろう。ただ、どちらに傾きすぎても良くない。バランスを整えつつ。
2010年
12/22
■10/3のこの日記で、今井信郎の事を書いたが、考えてみれば、今井は自分が話した事が新聞に載るとは思ってはなく、自ら独断で龍馬を斬りに行ったという事はなさそうである。親友を交えた昔話といった感で、事実よりも、自慢を含んだ脚色もしたのであろう。
あくまで、「暗殺に非ず」として、保身に回ったと考えられる。思えば、今井自身、見廻組になったばかりであり、早々の任務であった訳であるから、守護職に対して、あまり思い入れもなかろう。
京都所司代以下が、躍起になっていた事は確かで、誤報ではあるものの、龍馬が大勢の海援隊士と上京して来たとの噂から、暗殺の数ヶ月前に、幕府の捕り方が、事情の確認か、土佐藩へ押し掛けて来たという事実がある。
恐らく、土佐藩側は「知らぬ存ぜぬ」ではあったろうが、何かしらその時点に於いても、所司代が龍馬を捕縛しようとしている事を、土佐藩側は再認識した筈であり、その後、暗殺が実行されたという事は、幕府の誤解、或いは、土佐藩として、龍馬の身柄や立場を、所司代側に説明していない事が分かる。確かに、脱藩浪人であるから、仕方ないにしても、庇い立てをしなかった訳である。
現代でも、役人同士、警察同士の内部結束は固い事が分かるし、龍馬は同心殺しであるから、京都所司代がムキになるのも頷ける訳である。
12/9
■「A word」の更新はお知らせしてませんでしたが、今回、多めに書いたので、ちょいとお知らせしときます。
「一言」と言えば、ネットで知り合った海月氏。某場所での一言が効きます。
「帰り道を忘れても どうせ同じ空の下 」
こういう、なんというか信頼出来る人というのは、稀有な存在であり、貴重なものです。
彼に乾杯!
NHKの『龍馬伝』の影響もあり、最終回のその日と、次の月曜日には、それぞれ一万近いアクセスログが記録されました。我がHP史上大記録であります。
「龍馬暗殺」で検索したら、最初のページ内に、私の『夜話』が表示されるので、沢山の方が、アクセスしたようです。
以前から、「中岡慎太郎と龍馬暗殺」で、有名になってしまうのではないかとは、思っていたので、ページのアドレスを変えて、アクセス出来ないようにしようかとも思いました^^;)
そこそこ、皆が詩なり、私の読み物を読んでくれればいいと思ってましたので。
有名になるなら、詩を以って、有名になるのなら、まだマシなのですが・・・。
いずれにしても、そこそこでいいのでありますよ。
11/26
■それにしても、いくらドラマとはいえ、『龍馬伝』の大政奉還に至る経緯は、雑すぎますね。大体、お元のエピソードを、長々とやっていた時点で、最後はバタバタになるのは、分かってしまいましたが^^;) 大政奉還は、もっとドラマティックに演出出来るのに・・・。それこそ、演出家や脚本家の、腕の見せ所の筈ですがなんともおそまつ。やはり、漫画家の方が優れています。
ドラマ自体は、そこそこ面白かったのに、残念です。
取りあえず、ほぼ、定説となっている事を書いて置きます。そうでないと、誤解されたまま、あのドラマでの事が、事実とされてしまうでしょうから・・・。
徳川慶喜は、もっと優柔不断な人です。まあ、だからこそ大政奉還が成ったともいえますが。
大政奉還は、幕府側でも、以前から研究されていました。龍馬と親しかった、大久保一翁も唱えていましたし。
幕府としては、薩長と戦う軍資金もなく、外様もほとんどが逃げ腰であった為、大政奉還をするしかなかったともいえます。そして、政権を朝廷に返しても、薩長とて政を執り行う事は困難であると読み、どうせ徳川にまた政権を戻すと読んでいたからこそ、大政奉還を行ったとも言われています。
龍馬と容堂候は、大政奉還の為とはいえ、会ってはいません。あれは、どのみち一浪人が指図など出来る訳もなく、龍馬の案を、後藤が発案したとして、容堂候に進言したのです。ま、これもあくまで定説に過ぎませんが、恐らくそういう事でしょう。
容堂は、大政奉還が龍馬の案であったとは、知らなかったと思われます。容堂の性格からして、浪人の発案と知れば、建白などしなかったでしょうし、それを一番知っていたのが後藤でありましたから。ただ、そういう本人は知らないで、他の大勢は知っていた等という秘密は、いずれ本人に伝わってしまうものだと思われます。どのタイミングか、推理に過ぎませんが、大政奉還後は、龍馬発案のものだと知ってしまった可能性は有り得ます。
11/2
■ひさびさの更新です。
この日記に、ちょくちょく書き込んでいたとはいえ、半年もメインページの更新が無かったのですね。すみまそ(/o\)
女子バレーボールがオンエアされてますね。いつも期待して、その後、しょんぼりという結果ですが、懲りずに応援しております。やはり、迫田選手が一番惹きつけられます。あの、ジャンプしてからの飛翔時間の長い事! そして、美しいフォルム。
NBAバスケですけど、往年のドクターJことジュリアス・アーヴィングを思い出します。ドクターJが、ジャンプすると、アナウンサーが「ドクターJが、滑空しました!」と叫んだとか。
オールスター前夜祭の、ダンクコンテストが一番分かりやすいのですが、ダンクシュートに至るまでの、モーションが、ひたすら美しく、滞空時間も長く、芸術的なので、尊敬を込めて「Dr」と呼ばれたのでした。
10/6
■そういえば、私への連絡は、メール&リンク内の、手紙イラストgifをクリックすれば、送信用メールが立ち上がるのですが、オフィスoutlookだと、うまく立ち上がらないかもしれません。ので、メアドをメール&リンク内に、文として書き記しました。
10/3に、この日記に書き込んだ、中岡慎太郎と龍馬暗殺のまとめを、少々書き加えました。
恐らく、一般に人と話す場合は(居酒屋トークなど)、見廻組の私怨説で話すでしょうね。一般人というものは、突拍子もない事を嫌い、一般論(せいぜい薩摩説)を話さないと、信じてもらえず、人格すら疑ってきます。
ただ、少々話の分かる人や、幕末や龍馬の事を、特に詳しく知っている人ならば、話は解ってくれますが・・・。
一度、そういう人に、土佐藩が怪しく、もし黒幕を特定するなら容堂候が怪しい、と話した所、暫く考え込み、「在り得る」と言って貰った事はありました。
NHKの『龍馬伝』、あまり期待はしてませんが、暗殺まで描くとの事。もう、暗殺場面は観たくないのですが、どういう描き方になるのかは、興味があります。
10/11
■インフォシークの無料HPサービスが終了し、本HPのサーバー元をどうしようか、考えましたが、インフォシークの有料版へ移行する事にしました。
色々、探ったのですが、無料レンタルサーバーは、どこも一長一短で、評判の良くないものも多く、今までインフォシークのサーバーには、特に不満もなかったので、そうしました。結局、有料となりましたが月で換算すると、それほど負担はなく、相場通りの値段なので。
これからも、宜しく御願い致します。
10/3
■先月まで仕事が忙しく、長らく更新出来ませんでした。それに、まだ新しいサーバー元を決めていなく、どのみちアドレスが変るなら、「中岡慎太郎と龍馬暗殺」について、早めに主要部分を書いておこうと思い立ち、まとめていないながらも、このページに、主だった部分を書き込む事にしました。
『夜話(Various talks)』には、今回の記述を、後々まとめようと思います。
非常に雑記という形になりますが、結論となっています。
まず、新たに分かった、細かい事。
*暗殺前、菊屋の峯吉が、中岡の使いで薩摩藩邸に行ったとする話は、土佐藩の旅館「薩摩屋」であるかもしれず、研究本によってまちまちであり、これは確定出来ないが、薩摩藩邸ではない可能性があったという事。
*後藤が龍馬を土佐藩邸に入れなかったとか、薩摩藩邸に入るのを拒否した旨の話は、龍馬自身の手紙を読めば明らかになり、事実史料として龍馬の手紙を読んだ方が、変な研究書に惑わされなくなるという事。
龍馬がどちらにも気を使って、龍馬自身が藩邸に入る事をしなかった。
暗殺後、後藤が龍馬を、土佐藩邸に入れなかったから悪いと、後藤が西郷に責められた逸話があるが、ニュアンスとしては、龍馬の言う事がもっともだと思い、龍馬を強引には土佐藩邸に入れなかっただけだと考えられる。
*事件中、中岡が聞いた「こなくそ!」は、中岡側の史料によると、中岡自身が「刺客が言ったのか、果たして龍馬が言ったのかは、分からない」としている事。
これは、盲点だった。伊予地方の方言と、よく研究書にも書かれているが、いわば四国弁でもあるのだ。実際、谷からの証言では、中岡が「こなくそ!」について、「まさか、土佐の者ではあるまいな」と言っていた話があり、このことからも「こなくそ!」は、四国または当然、土佐の方言でもあるらしいし、龍馬が使った可能性もある訳だ。
*8/21のこの日記で、第二の説と言っていたが、これは、『夜話(Various
talks)』でも、すでに書いていた、見廻組の私怨説である。
サイトを検索すれば、今井信郎の、『兵部省・刑部省口書』、『今井信郎実歴談』、『和田天華への回答』と、全て原文が読める。
一貫して幕府の「御指図」、としていた今井の証言は、『今井信郎実歴談』によると少々変っている。これは、記者がある程度書き換えたものとしているが、全体のニュアンスとしては、見廻組関係の仲間と、独断で斬りに行った形となっている。
本文中の証言としても「坂本という奴は幕府のためにもならねば、朝廷の御ためにもなるものでもない、ただ事を好んで京都を騒がせる悪漢ゆえ、ぜひ斬ってしまわなければならない、と思いました」という所だけを抽出しても、そう捉える事が出来る。
これはどういう事だろうかと考えた。
恐らくだが、当初は保身の為に、幕府のせいにした。だが、松平容保も、松平定敬もまだ存命中であった期間は(松平容保 明治二十六年 没。松平定敬 明治四十一年 没)、いくら旧幕府の公務に関しては、明治になったらお咎めなしとはいえ、世情や時代の流れでどうなるかは分からない。龍馬人気により、実害が及ぶかもしれないと考えたのではなかろうか。であるから、自分達が勝手にやったなどとも証言した。
その後、今井が、「暗殺に非ず」と『和田天華への回答』に答えたのは、桑名候松平定敬の死後、明治四十二年十二月十七日である。
ただ、私怨で動いただけとすると、佐々木の兄である手代木直右衛門の「某諸侯の命により」龍馬を暗殺したとする証言は、再考しなければならなくなる。
それに、「暗殺に非ず」公務だったと言っているが、内容は捕縛ではなく、明らかに暗殺である。私怨と見られる内容だ。
結論としては、土佐藩が絡んでいて、実行は見廻組。土佐は中岡を、見廻組は実行するかわりに坂本も、という事で利害は一致。きっかけは、会津が陸援隊へ潜り込ませた密偵の情報をもとに、土佐に抗議した。武力倒幕をしようとしていると・・・。大政奉還を進めて、幕府を守るつもりだった容堂候は怒り狂う。
土佐藩としては、中岡が龍馬に会いに来る頃合を計っていた。当日、近江屋に出入りしていた人間に、土佐藩の人間が何食わぬ顔で様子を聞けば、母屋二階に居る事や、奥八畳という場所までもが分かる。そうでなくとも、中岡は、伊東甲子太郎の助言により、寓居を変えたばかりであったから、土佐藩でも中岡の動向を見失っていた可能性がある。
なぜ、二人同時なのかというと、龍馬と中岡で別々に実行となっても、二班を作り同時刻に襲わなければならない。何故なら、どちらかでも、先に殺ったとしたら、残ったほうは更に警戒を強めて、討ち取りづらくなるからだと考える。別々に暗殺するより、むしろ手間が省ける訳である。
新撰組に居た、阿部十郎の談話に於いて、龍馬も陸援隊の隊長であるという間違った認識があり、事件を調査した尾張藩の『尾張藩雑記 慶応三年ノ四』に於いても、白川の陸援隊は、龍馬の徒党の者としている。どうやら、外部から見た場合、龍馬も陸援隊の隊長であるという認識があったようだ。実は、土佐藩にしても、そういう嫌いがあったかもしれない。白川の土佐藩邸は、後藤などが藩には知らせず、勝手に陸援隊に貸していたという話があり、陸援隊自体が土佐藩にとって、不明な点が多かったのではないかと推測出来る。であれば、中岡は当然だが、坂本も隊長らしいから、同時に殺ってしまえ、となるのではないか。隊長のいない隊なら、コントロールしやすいという事である。
そして、単に見廻組の私怨説。
つまり、二つの説を私は提示する。とかく、この事件は、確定的な証拠が少なすぎるし、情報があやふやなものが多い。
ただ、土佐藩説に立った説明からすると、土佐藩と見廻組の私怨を絡めた複合説になるが。
先々、『夜話(Various talks)』にて、詳しくまとめて書こうと思っています。
9/11
■このHPのサーバー元であるインフォシークの無料ホームページサービスが、10/31で終了するとの事である。いきなりの通知でびっくり。
ま、長らくお世話にはなったし、無料で利用させて頂いたので、文句は言えまい。無料HPサービスは、こういう事が結構あるみたいだ。
こうして考えてみると、いくら広大なネットワークの世界の隅に張り付いていても、サーバー側が、機能しなくなれば当然消えてしまう訳である。私が死んだ後もまた然りだ。人間の記憶のように儚いものである。
さてさて、また無料にしようか、定額料金を払おうか、暫し考えねばなるまい。
いずれにしても、アドレスは変ると思われるので、留意して下さると幸いです。
8/21
■「中岡慎太郎と龍馬暗殺」の続きを、今、書いてますが、かなり難航しております。
まとめるのが大変^^;) 得意の文学ではない為、ポンッと生み出す事が出来ないようです。今暫くお待ち下さい。
今から言っておきますが、実は第二の説も持っております。現実的で説得力はありますが、それにしても、事件後の土佐の反応は、あまりにも怪し過ぎますね。なんらかの形で関与していると疑われても仕方ないでしょう。
7/29
■それにしてもNHK『龍馬伝』で、高杉晋作役をしている、伊勢谷友介って、いい俳優だ。久しぶりにエネルギーを秘めた人を見れた。
7/24
■猛烈に暑いですねぇ。海に行ってきたとはいえ、仕事も忙しく、その間隙をぬっただけで、相変わらず何かと忙しいです。
細かい更新はあれど、なかなか時間がありませぬ。。。
7/7
■今春、寒い日が続いたせいか、温暖化云々があまり叫ばれなくなりましたね。然しながら、以前申しましたように、温暖化を掲げるエコロジー団体が、その権益を確立してしまいました。別段、環境を守る事は良い事です。でも、それに利益を見出して躍起になっているのもなんだかなぁ、という所です。
国連、経済、沖縄基地問題、等々、何故に日本はアメリカに強く言えないのか? 何故にアメリカの属国と成り果てているのか? 多くの人が忘れていて、更に多くの人がストレート過ぎるから言わないのか、私はあえて言いますが、それはアメリカに戦争で負けたからです。戦争に負けるという事はそういう事なのです。
では、勝てばよかったのかというと、そんな単純な問題ではなかったのが先の大戦です。戦後からかなり時間が経ったではないかという論調もあるでしょうが、そんな敗者の理論などアメリカみたいな国には通用しません。利用できる事は利用するのが大国の論理です。日本が世界大戦を忘れても、アメリカは忘れてくれないでしょう。
日本が核を持つか持たないかという議論がありますが、アメリカが存在する限り、絶対無理です。アメリカが今現在も、日本が核を持つ事を許さないのです。日本が核を持てる時は、アメリカが崩壊した時です。ただ、ソ連が崩壊しても、ロシアの名の下、たいして差異はなかったので、北米大陸が沈まない限りは崩壊しないでしょうね。
倭国大乱から戦国時代を通し、農耕民族とはいえ近代史に至るまで、内戦でも戦争ばかりしていた日本は、余程戦いに長けているのか、自衛隊とアメリカ軍の合同演習でも、自衛隊はほとんど勝っています。演習内容によっては無敗だとか。そういう事実と、世界大戦で見せた日本の戦いを顧みて、アメリカは日本を戦争に強い民族と思っています。そんな国に核を持たせようとはしないのが現実です。
真の独立国家。これにはそうとうの覚悟と継続する努力が無ければ成し得ないでしょう。その覚悟が今の日本にあるかどうか。
もうすぐ、終戦記念日です。東京大空襲が有名で、あまり知られていませんが、大阪も空襲が激しかったと聞きます。幕末の志士もそうでしたが、今に続く日本の為に死んでいった人達が、どういう気持ちで散っていったか、私には思いを馳せる日でもあります。
6/11
■寒かったり、暑かったりが続きましたが、最近やっと落ち着きましたね。昼は少々暑く、夜は涼しい東京です。
中岡と龍馬の夜話は書いているのですが、またまた新たな本を買いまして、只今読んでいる最中です。でも、ざっと見た感じ、菊池明氏の著書の方が上をいっている感じです。とはいえ、資料や史料としては、掻い摘んで参考になるのでありまして、本筋がイマイチでも、部分部分参考にすれば良いのであります。もちっとお待ち下さい。
政治が分かり、しかも喧嘩も見れるという事で、『TVタックル』をよく見てます。やはり私は江戸っ子なので、火事と喧嘩は見る事が好きなようで。。。
ちょっと前の放送で、気になった事があったのでちょいと言いやすと・・・。
ビートたけしは好きなのですが、普天間の問題で「基地が動かないのなら、住民が動くというか、住民の方が引っ越せばいいのではないか」という内容の事を言っておりましたが、私はそうは思いません。たけしも東京生まれなので、そういう発想があり、実際に言ってしまったのでしょうが、私などは心の師匠が寺山修司なので、寺山の生まれ故郷に対する土着の念を知っていますから、軽々とジプシーのような事は言えないのです。
若いうちは放浪に憧れますが、そうもいってられない歳になれば、というか歳を取ってくると、故郷の良さが解ってきます。
今一度、「土着の念」という感情を理解するに努めるべきです。
最近、だいぶ目の方も調子が良くなり、キーボードも見やすくなりました。なるべくマメに更新したいと思ってますが、仕事が忙しかったりで、なかなか書き込めません。
最近は何故か素直に、詩を書いてもいいなぁ、と思うようになってきたので、新作の詩の書き込み、「旅人」のつづき、ランボォの意訳、まだ書き込んでない『詩集アフリカ』の書き込み、時間も貴重な事であるし、なるべく取り進めたいとは思っています。
5/11
■さてさて、龍馬暗殺ものTV、観ました。
荒俣宏氏が出てましたね。私、この人のTVに於ける発言は真に受けてません。この人、真の知識人だからです。頭良すぎるのか、過去によっぽど酷い目にあったのか、公の場では、私以上にすっトボけてます^^;) 私心や自説を言わないのですよ、公では。実際、なんの為に呼ばれて出演しているのか、分からない時があります(笑) でも、流石に最近は、一言ぐらい、「やっぱり知っているクセに!」と観ているこちらが、思わずつぶやくような事は言うようになりました^^;) 荒俣氏冒頭で曰く、「土佐藩の身分制度の差別が、龍馬暗殺の伏線として存在するんですよ!」 やはり鋭い人です。でも、良い方に解釈すれば編集カットされたのか、今回も自分の考えは言いませんでしたね。
司馬遼太郎について: この人は、膨大な資料で、史実に基づき作品を書くイメージがありますが、結構二次史料で書く場合も多かったと聞きます。そして、『竜馬がゆく』で登場する「寝待ノ藤兵衛」などは実在の人物ではなく、司馬氏の創作です。史実に基づいて書く人ですが、かなり脚色する事も多く、史実に忠実というイメージがある分、研究家よりもタチが悪いです^^;) 二次史料で書くという事は、素人研究家と変わらないのですが、「虚構を織り交ぜて伝える」分、影響力は増すでしょうね。そういった意味で、「上手い人」であると言えるでしょう。
TVでは、司馬遼太郎が「竜馬の生い立ちに光をあてた」としていますが、『竜馬がゆく』では江戸へ剣術修行に行く所から始まっており、『龍馬伝』のように子供時代から描いている訳ではありません。龍馬の子供時代のエピソードは、ほとんどないからです。それを、創作し初めて本格的に描いた人は、漫画『お〜い!竜馬』の小山ゆう氏でありました。武田鉄也原作とはいえ、小山ゆう氏もかなり勉強しており、制作の主導は小山氏にありました。この漫画はかなりお薦めです。漫画家の方が凄いと思いますね。
TVで、藤吉が一階で斬られたとしてますが、二階で倒れていたという証言が多い為、二階の階段近くで斬られたという説が濃厚です。
暗殺者が渡した名札について: 今井伸郎が「松代藩」の名札を差し出したという話ですが、これは近畿評論などで、「当時、坂本が親しくしている藩の一つが松代だったから・・・」と今井だけが言っているものです。私は「十津川」の名札だと思っています。一般的に、龍馬と親しい人間が十津川に多かった、としていますが、陸援隊の隊士に十津川郷士が多かったからだと私は考えています。
暗殺時の近江屋二階母屋の暗さについて: 『夜話』の話が進むにつれ、どこかで書こうとは思っていたのですが、機会が有りませんでした。行灯があっても、かなり暗いと言われてます。とすると、暗殺者の顔など分からないから、薩摩藩士や伊藤などが実行者として、暗がりで判らないのでは? という事も言えます。が、田舎などで夜の暗さを経験すると分かりますが、何も光源のない所では確かに何時まで経っても見えません。しかし、僅かでも光源があった場合、人間の眼というものは慣れてきて、かなり暗くとも顔ぐらいは判別出来るようになります。暗殺当時、二人はずっと二階で談議していました。そして、誰かを判別する時、顔よりも声の方が分かる場合もあるでしょう。実行者の「こなくそ!」や、リーダー格の「もうよい、もうよい」など。
中岡証言としている所が良いですね。今までのTV番組より、かなりまともに作っていると感じます。刺客が二人という証言は、私も書物で読んだので、そう思っていましたが、リンクして戴いている新千暖荘さんが、別ブログで中岡慎太郎伝を上げていて、それによると三人だと中岡が言っている話もあります。http://nskanzo.cocolog-nifty.com/
TVでは、同時に襲い掛かってきたとしていて、これは参考になりますね。確かにそう表現してもいいと思います。ただ、中岡証言では、「突然、二階に駆け上がってきて、斬りかかって来たので、短刀で受けた。何分、手元に刀が無かったものだから不覚を取った。そうして坂本に斬りかかったので・・・」と、田中光顕に語っています。瞬間の出来事でしょうが、「そうして坂本に・・・」と言っているので、言葉尻からは、やはり龍馬の方が後なのでしょうか。
とりあえず、実行者は二人として、ふすまを開けると手前に中岡がいたからとされているので、二人目が多少遅れて龍馬に斬りかかった云々。今まで読んできた書物の中には、中岡が主目的という方も居られて、それによると「先に斬りかかって来た」と中岡が言ったかのように書かれているのですが、正確には「中岡が先か、ほぼ同時に斬りかかってきた」とする方が良いようです。
近江屋母屋の天井傷: これも書物では刀傷となっているのですが、傷の大きさから鞘の先が触れたものとしているのは、なかなか深く検証していると思います。
掛け軸などに付いた血痕: 掛け軸の血痕は龍馬の血だと思います。TVでは触れてませんが、書物によっては暗殺現場の母屋奥八畳にあった屏風を引き合いに出して、「龍馬の血痕」としている場合があり、これは各研究書やネットに見取り図がありますので、確認すれば分かるのですが、屏風の方は中岡のものだと思われます。
龍馬コードについて: ダヴィンチコードを真似したものでしょうが、新政府綱領八策の「○○○自ラ盟主ト為リ」については、優れたHPが有りますのでリンク貼って置きます。「龍馬の新政府綱領八策」トップページの右上に有ります。http://www2.odn.ne.jp/kasumi-so/bakumatu/index.htm
投票による選挙にて、選んで欲しいという事から、伏字にしたという論拠は説得力あります。
今井伸郎を西郷隆盛が助けたとする話は、今井家の家伝だけにしか記されてません。事実かどうかは、証拠として薄いです。
肥後藩国事史料については、鳥取藩と尾張藩も、この暗殺事件について、独自に調べたらしく、諸藩の藩士が聞き取り調査をしたという事だと思います。とすると、近江屋の人間や、谷干城や田中光顕などから又聞きしたものと思われ、裏情報を握っていたような形から発したものでは無いと考えられます。であるので、あれは「薩摩藩士がやった、と聞いた」が、正解です。蜷川新(にながわ あらた)博士による『維新正観』で書かれたような、近江屋の女中証言が、元になっているだけではないでしょうか。
薩摩は有名な示現流の剣術で、掛け声は「チェストー!」か「チェィ!」であり、「こげなくそ」も言うとは思いますが、「こなくそっ」と聞いた中岡が「土州(土佐)の者かもしれない」と言っているので、果たしてどうでしょうか。谷が中岡の発言を聞いて「土佐人ではあるまい。当時、二人を斬れるような度胸のある人間は、土佐にはおるまい」と言い、ややっこしくも谷が否定した発言もよく見かけます。谷は新撰組と考えていたからです。新撰組のせいにしたかったのかもしれませんが・・・。
アーネスト・サトウが、薩摩藩士の吉井幸輔から龍馬暗殺を聞いた、として薩摩藩説が有利というのは、TV番組の悪いクセが出ました。こういうものが、一番嫌なのです。知らない人をたぶらかすような・・・。
陸援隊の副隊長、田中光顕が事件の報を聞いて、近江屋に向かう途中、薩摩藩邸に寄り、龍馬や中岡と親しかった吉井幸輔に知らせたのです。吉井が事件の事を人に話すのは当然です。
長州の木戸孝允(桂小五郎)は、若き時、斎藤弥九郎老人の練兵館にて塾頭となり、その腕前は全国に響き渡りました。同じく江戸で小千葉道場の塾頭を勤めた龍馬とは、その頃から知り合いであった可能性は高く、寺田屋襲撃事件の後、龍馬へのねぎらいの言葉のやりとりを見ても、暗殺してまで殺そうとするとは思えない人であります。しかも、中岡とは同じ武力討幕派でありますから、中岡まで殺されたこの事件の長州藩黒幕説は消えるのです。
土佐藩黒幕説だと、どうしても後藤象二郎を出してきます。そして、その説を出しておいて、後藤黒幕は無いとするパターンが多いですね。大政奉還が龍馬のアイデアなので、その功績を独り占めしたかった、という理由を出し、でも、それは福岡孝弟など、龍馬に近しい土佐藩士なら知っている人は多いし、薩摩も長州側も知っていますので、それは無かろうとする訳です。知らなかったのは容堂くらいでしょう。後々、知ったとは思いますが、それを聞いたときの容堂の顔が想像出来る程です。
龍馬暗殺だけであれば、後藤黒幕説は有り得ませんが、中岡暗殺主目的だと、少々、有り得る話にはなります。大政奉還後やたらと、後藤許せまじ、斬る! としていたのが中岡慎太郎でしたから。ただ、後藤はあまり知られてないかもしれませんが、なかなかの豪傑です。中岡を暗殺するなら、堂々と論説渡り合うか、藩士に言って牢にぶち込むぐらいの事は出来る立場にいますので、やはり後藤黒幕説は有り得ないでしょうね。
加来耕三氏は、別の理由から後藤説を発言していますが、本心なのでしょうか? TV番組構成上言わされているのでしょうか? 出演料が貰えますからね。幕末の歴史を少しでも読んだ人なら、あんな滅茶苦茶な事は言える筈ありません。幕末ファンから馬鹿にされるでしょう。あまり幕末の事を知らない人が、TVを観て信じてしまう場合、加来耕三氏は罪な人となります^^;)
後藤が龍馬の土佐藩邸入りを認めなかったという話がある事はあるのですが、他に理由があったと思われますし、事実かどうかは、はっきりしていません。龍馬自身も藩邸は窮屈だとした説もあり、西郷が土佐藩邸に入る事を勧めたとか、薩摩藩邸に入る事を勧めたなど、諸説あります。それを以って怪しいとするならば、中岡を土佐藩邸に入れなかったとする方が、説得力あります。
龍馬は維新後も世界貿易会社海援隊として、まだまだ利用価値が大きいし、後藤とは利害が一致してます。後藤が龍馬を暗殺する理由が見当たりません。
いろは丸事件に関わる紀州藩説は、興味深いです。もっとよく知りたいのですが、その説を深く取り上げている書物等がないので、これからは薩摩藩説を書く暇があるなら、この紀州藩説を研究家は掘り下げて書いて欲しいと思います(誰かしら書いているとは思いますが、今の所紀州藩説だとして、丸々一冊本を出している方はおられるのでしょうか? あったらその本買います)。
中岡慎太郎と喧嘩となり、中岡が斬ったとする不仲説は最近ネットで多く見られるようになった説ですね。阿呆らしいので、取り上げるのをやめようかと思いましたが、それでは一般の研究家と同じになってしまうので、あえて言うと、中岡が龍馬を斬ったのなら、別に隠し立てはしません。例えば、薩摩から指示されたからといっても、中岡が実行するなら、薩摩の事は隠すでしょうが、俺がやったと言える立場でもあり、そういう人です。事件後、息があったとはいえ、自らもう永くないであろうと言っているので、死ぬ間際になっても、刺客が来て殺ったと、自分ではないと隠す理由はないのです。自分も死んでしまうのですから、俺が殺ったといえる筈です。
自分が深手を負わず生き残り、薩長と武力倒幕の為にまた活動できるとするならば、隠す事は考えられるのですが、また、そういう卑怯な人でもなく、例え自分が無事であっても、自分が斬ったと言う人でもあります。
今回のTV番組は、今までのものより、かなりマトモな作りではあります。結局、誰が黒幕か断定する事はしませんでしたが、作りとしては致し方ないでしょう。様々な説が有りますよ、と提示して終るのは公平な判断でしょうね。
TV番組ですから、あまり期待はしていませんでしたが、菊池明氏が出演していたのは良かったと思います。この人が一番マトモな人ですから。
今回の更新履歴は、『夜話』の検証に近い話しになりましたが、まだまだ、土佐藩説の検証はありますので、また、ぼつぼつと『夜話(Various
talks)』に、書き加えたいと思います。
5/6
■5/8土曜日フジテレビで龍馬暗殺ものが放送しますね。NHKの『龍馬伝』の影響でしょうが、私、あまり期待していません。
過去にもNHKやその他の局で暗殺ものを観ましたが、おそまつ極まりないものばかりで・・・。
実際の実行者と見られている桂隼之助の小太刀なるものが実在しますが、本物かどうかは疑わしいと言われています。でも、小太刀で実行した事は、近江屋の母屋の天井が低い所からも説得力はあります。その天井には、上段で振り上げた時の、刀傷もあります。小太刀でさえも、天井に突っかかってしまうのです。
私は、容堂がどうのというよりも、少なくとも土佐藩自体が、この事件に深く関わっていると思ってますので、明治の警察機構を仕切っていた旧土佐藩が、今井伸郎を取り調べている時点で、すでに怪しい訳です。口裏合わせによる強引な誘導、或いは「こういう事にしておけ」とでもいうような、事件の虚偽内容の押し付け。言う事を聞けば禁固刑程度にしてやる、というような取引が見え隠れしているような・・・。もちろん、事実と嘘を織り交ぜ。
その今井の供述で数点、本当なのだろうと思われる論証はあるのですが、これは『夜話』の方で話します。つまり、本当の事を言っても影響のない事実は、そのまま供述として残されたという所でしょう。
ただ、「坂本さん(先生)お久しぶり」云々は到底信じられません。中岡慎太郎証言は、谷の話しばかりではなく、陸援隊副隊長の田中光顕からも伝えられていて、いずれも「いきなり中岡に斬りかかってきた」としているのです。
実際、近畿評論談のように今井が実行犯であっても不思議ではないですし、それでもいいと思っているのですが、「坂本さん(先生)お久しぶり」云々は、明らかに中岡の存在を無視した形にしていて、むしろ龍馬暗殺主目的であったとすれば、土佐藩は疑われずに済むという恣意的な思惑を読み取れる訳です。なぜなら、暗殺目的が龍馬であれば、当時の政治的状況から、薩摩にしても長州にしても、うるさく嗅ぎ回らないであろうと・・・。逆に、中岡は薩長と親密でしたから。
今一度言いますが、薩摩藩黒幕説は有り得ません。実行者が薩摩の者であれば、龍馬暗殺主目的であっても、中岡が居れば実行しません。薩摩の人間であれば、龍馬も中岡もよく知っていますし、薩摩が元新撰組の伊藤甲子太郎に指示したとしても、伊藤は中岡と会っていて、やはり顔も知っている筈なのですから。事件以前、わざわざ二人に会い、「新撰組に狙われているから気を付けられよ」と注意している伊藤ですから、中岡と薩摩の深い関係も知っている訳なのです。
事件当日、龍馬と親しい中岡をマークしておき、龍馬の居場所を特定する事は出来たでしょう。ならば、近江屋に中岡が入るのを見届けて、或いはすでに中岡が近江屋に居た場合、その中岡が帰るまでは絶対に踏み込む訳はないのです。
それに、中岡は数日ほど息があり、刺客が薩摩の者か伊藤であれば、当然口にした筈です。当の中岡が、「誰かは判らない」と言っているのです。薩摩藩黒幕説の最大の弱点がここにあります。ですから、薩摩藩説を唱える人達は、中岡の事を無視する訳です。黒幕の思う壺です。
実際に関係した様々な物証などが、映像で見られる事は貴重なので、興味はありますが、今回の龍馬暗殺ものも、中岡慎太郎の存在を忘れずに観る事を、お薦め致します。土佐藩を黒幕として観ると、いかような番組でも、検証に値する番組にはなり得るのですが・・・。
4/29
■再び、「中岡慎太郎と龍馬暗殺」ですが、色々考えさせられる所があり、4/27日分の、更新内容の一部を書き換えました。
実は、容堂候を、差別主義者であるとする証拠があまり無いのです。
でも、冷酷な人ではありまする故、その方向で書き換えました。
龍馬の脱藩の罪は、二度程許されてはいます。
一度目は、勝海舟が容堂と面会して、許しを請い、容堂が瓢箪の絵と「歳酔三百六十回、鯨海酔候(げいかいすいこう)」と一筆書いたという逸話があり、二度目は、後藤象二郎が書類上にしたためたというもの。
酔っていたとはいえ、一応は罪を許した訳ですから・・・。
とはいえ、切腹させる事が多いお殿様でもあり、確かに差別主義者である可能性は高いのですが、人物評として証拠がないので、あまり決め付けるような言葉を選ぶのも宜しくないという事で。
4/27
■「中岡慎太郎と龍馬暗殺」ですが、続きを書いたとはいえ、まだ検証には至っておらず、容堂候の紹介といった所までしか書けませんでした。まだまだ、書く事が多いようです。自分でも思うようにならない所が、こういう文章の性質なのか、じれったいですね。
ちょうどタイムリーに、NHKでは『龍馬伝』をやっており、容堂候も登場していて、興味深く観る事が出来ます。それにしても、怖い人ですね、私なんかは「黒幕」として観てしまう部分もあるので尚更です^^;)
4/16
■やっと年度末の忙しさから開放された今日この頃です。
お待たせ致しました。いよいよ、黒幕を指し示す事になる、『夜話(Various talks)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、更新しました。
西尾秋風氏のくだりで、核心はまた今度にしようかなっと^^;) またまた、トボけようと魔が差しましたが、最近アクセスも多くなり、きっと夜話を見に来ていると思っていたので、ブーイングを想像して、思い留まりました。ちゃんと黒幕書いてます。
本文に、次回の検証は抜粋するから、御自分で検証すると面白いなどと、謙虚? に書いてますが、次回から書く検証以外にも、たくさん裏付けるものがあり、全てを網羅する事が出来ないので、抜粋するという事であります。が、我ながら自分の書く検証は面白いと思っているので、次回もまた楽しみにして下さい。
いずれ、その検証も終れば、『夜話』の更新は無くなるのかというと、まだまだ色々あったりします。
新たな『夜話』は、邪馬台国となるでしょう!!
ではでは。。。
3/14
■久しぶりの更新というか、仕事が忙しく、「中岡慎太郎・・・」などの続きを、仕上げられない状態です。すいません。
前回、ワイド画面に対応する為、一行の文字数を短くすると言いました。結局、40字とか、50字とか法則性を持たせようとしたのですが、作品の行区切りの関係上、感覚的にしか出来ませんでした。でも、それはともかく、ぼちぼち手を加えて、スッキリとした形になったページもありますので、特に『詩集アフリカ』を、再度読んで戴けると幸いであります。
そういえば、『詩集アフリカ』の解説に書こうと思っているのですが、詩篇を前半部とか後半部などとしており、これはHP上での都合によりそうしただけで、はっきり内容を書き分けていた訳ではありません。前半部にもシュルレアリスムな詩もありますし、単にレイアウト上の理由だけでありまする。
それと「上る」という漢字についてですが、「のぼる」と読む事に定義してます。これは「登る」となると、山を登るや「よじ登る」という事で、そういう時に使う事にしています。それほどでもない高さの場合は「上る(のぼる)」という漢字にして、「塔を上る」など、塔に階段がある場合などは「上る(のぼる)」としています。「あがる」については「上がる」と表記するよう定義付けしております。基本そうしておりますが、使い分けは感覚なんですけどね^^;)
どう読まれたいか? 結構気にして書いています。
2/9
■どうもディスプレイがワイドで、文章をそのまま書き込み表示させると、横長で読みづらいですね。自分でチェックする為に、読み直していても、行の移りが煩わしいので、とりあえず、『夜話(Various
talks)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」を、横行50文字として表示するようにしました。
私の詩集もそうなんですが、本の標準の一行文字数は縦40字ぐらいでして、HPもそうしようとしましたが、逆にほっそりとしてしまうので、50文字ぐらいにしておきました。追々、他のページもそうしようと思っております。ただ、ページによって、50文字でもほっそりとしてしまう場合には、もうちょっと長めに幅広くします。
ちなみに、私は詩を発想すると、ノートに横書きします。インスピレーションは、長く留まる時と、早くに消えてしまう時があるので、漢字を書いている暇はありません。ひらがなで一気に書いたりしていました。
ですので、詩の横書きには、自身たいして違和感が無いのですが、日本語的には、やはり縦書きの方が、良いように感じます。読み手は特にそうなんだと思います。でも、HPだとスクロールの問題等、手間が掛かりますので、なかなか縦書きには出来ませんね。
『夜話(Various talks)』の「中岡慎太郎と龍馬暗殺」は、只今執筆中であります。近々、書き込めると思いますので、今暫くお待ち下さい。
1/27
■よくTVなどで、携帯電話を見られる事に拒否反応を示していたりする場面を観る。
これ、私にはさっぱり理解出来ない。別段、見られて困るような事は、無いからである。
敵を作ってしまうかもしれないが^^;)見られて困る人は、余程やましい事をしているのかと、勘ぐられても文句はいえまい。
とにかく、私は別段見られても構わない。ただ、自分が相手の携帯を見たいとは思わないけどね(なんなんだ^^;)。。。
1/12
■長らくお待たせ致しました。『夜話』の「中岡慎太郎・・・」を更新しました。
薩摩藩黒幕説否定の章にも、少々付け加えております。赤矢印で分かるようにしてあります。今回は、まだ真相としている自説には及んでいませんが、次回の更新でいよいよ展開させて戴きます。じれったいですね^^;) すみません。なるべく早く書こうとは思います。
さて、2010年になりました。この年は期待が高まります。なぜならば、80年代は佐野さん、90年代はジュディマリ(92年デビュー)、2000年代はガーネットクロウと、10年置きに、その年の初期から重要なアーティストが出現しているからです。Lyric(歌詞)に注目しなければなりませぬ。思えば、初めから気が付いたのは、ガーネットクロウだけだったので、よくよく注意が必要。でも、出現年代などと言い始めたとたんに、ジンクスは消える場合もありますし、さてさてどうなることやら。重要といっても、己だけが言っているだけに過ぎないのですが、、、佐野元春は、明らかにJ−POPの方向性を示した革新者ですから。
特に歌詞が、自分を夢中にさせてくれるアーティストであるという事でありまする。でも、そういうアーティストはメロディラインも優れています。
今の所、ガーネットクロウで満足ですが、新たな重要アーティストの出現は期待しちゃいます。
二月十日にガーネットクロウのベストアルバムが出ます。選曲は王道をいってます。すぐにガーネの良さが解る曲ばかりとなっていますね。
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