SEA, SWALLOW, 

 (海の青さ以外 全てモノクロームな世界・・・、私はツバメ。)

    まことに人生これ一瞬の夢、紙風船のごとき儚さかな。 (中原中也 調)


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2007年

12/19
■木曜日の夜九時に放送している、『秘密のケンミンSHOW』は面白い。
様々な地方の特徴を紹介するTVで、県ごとに、こんなにも文化が違うものかと、非常に驚かされる。特に大阪の人のお笑い気質には、唸らせられるものがある。
大阪の人に、わざと刀を斬りつけるジェスチャーをすると、ほぼ全員、斬られたリアクションをする。銃で撃つ真似をしても、撃たれたリアクションをするというのだ。
検証VTRも流れていたが、本当である。カメラマン曰く、そのVTRもすぐに撮れたとの事。
携帯で電話中でも、やってくれる^^;)
ここまでくると、尊敬に値する。人生の送り方を心得ているようで、思い出す度に、気持ちが楽になる。ビバ!大阪人!!

最近、ガーネットクロウの一つ前のシングルばかり聴いている。
「涙のイエスタデー」である。
「大事な哀しみも、見失いそう」と歌ってくれた。
悲しみではなく、哀しみなのだが、「悲しみ」を大切だと歌ってくれた。

12/11
■まだ、目の調子が戻りませぬ。
これはやはり、自作品を書けという天の声? なのかな。
『意訳』にしても『夜話』にしても、資料を見つつ、更に打ち込まなくてはならないゆえ、今の目の状態だと、おっくうなのです。
自作品だと、何も読まず、見ず、ただ、頭で発想したものを書いていけばいいだけなので。
でも、今もキーボードが見づらいぞ。これじゃあ、自作も、おっくうだよ^^;)
確かに、残された時間というものを、考えさせられるなぁ。

12/1
■それにしても、もっと楽しく作品が作れないものかと思う。
いや、作れるのだが、仕上げの段階で、やはり人様に見せる訳だから、きちんと突き詰めて、矛盾のないようにとか、あれこれ神経を使ってしまうのである。
前回パズルのように作品が出来る過程を言及したのだが、「旅人」については、特にそういう訳でもなく、すでに全体像はあり、なんというか作ったら終ってしまうという感があったりするので、最後までとっておきたいといった心情である。発想は三十歳前後にあったものだから、結局何年振りかの新作とはいえ、僕にとっては新作ではない。
もうちょっと深みのあるものにしたいので、自分自身、まだ、知識を掘り下げていきたいという願望もあったりする。
でも、これを作って発表しなければ、前には進めない感もあり、かといえ、後にも下がれないものでもある。困ったものだ。

11/24
■SFといえば、自分もSFを書きたいとは思うが、小説っぽいものならともかく、詩となると、難しいというか、前例がないので、なんともどういうふうに作ったらいいのか分りませぬ。
例えば、星だけを表現してもSFにはならないだろうから、登場するものはやはりスターシップ等は必要だろうし、なにか未来的なものも登場させないとSFにはならんだろうから、そういったものを題材にしたとして、やはり、リアリティがない分難しい。
と、考えると、詩とは物語があるとしても、リアリティが必要不可欠なものだと気付きます。
実は、それっぽいアイデアのものも一つ持っているのですが、なんというか、ハリウッド映画をからかっているようなもので、問題作というか、いいかげんというか、そんなコンセプトのものがあったりします。
ま、いずれ発表しますが、それは「賢者と旅人」の後となりますでしょう。
この「賢者と旅人」ですが、たぶん、「旅人」というものに題名を変えます。
今の所アイデア部分を書き留めてはいるのですが、まだ、本格的に書こうという踏ん切りがつきません。
創作に於いて、全部現われて一気に書けるものもあれば、全体が部分部分しか現れず、パズルでいうとピースが所々欠けているような感じで、それが除々に見えてきて、やっと完成するという作り方もあります。作品の完成度に影響はないと思いますが、なぜそうなるのかは解りません。いずれにしても、「旅人」は完成させます。好みはあるでしょうが、期待を裏切らない作品となる事は約束できます。

11/18
■もう秋を通り越して冬ですね。星の季節です。
ストレスを解消するのに、宇宙の星の存在は効果的です。
特にSFに触れるのは、一番の特効薬ですね。
SF映画やSF小説、あとハッブルが捉えた星雲などの画像が、星に想いを巡らせてくれます。
という訳でもないですが、暫く星雲や星の画像を貼り付けていこうかと思います。

11/17
■眼の調子がまた悪くなりました。やはり、悪くなったり良くなったりです。
でも、病院に行こうと思った時ほど、悪化はせずに済んでます。視線を急に動かした時にだけ、像が少し歪む程度なので、日常に支障をきたすほどではありません。
でも、怖くはありますね。こういうのと、付き合っていかなくてはならないようです。

前々回の話で、ミハイル・バリシニコフの話が出ましたが、それについて補足をば。
彼がステージで、今日は最高の踊りが出来たと思い、自宅に帰り、フレッド・アステアの映画を観ると、その完璧さに結局落ち込むんだそうです。自分はまだまだだと。
そこまでアステアのステップが素晴らしいのかは、素人の私には解りませんが、アステアの映画は大好きです。
『トップハット』『コンチネンタル』『有頂天時代』などなど、アステアの映画は全部揃えたいくらい好きです。

ガーネットクロウの新曲が出ました。大体、アルバム収録を目算して、シングルを買う事は少ないのですが、アルバムとダブってでも買いたくなるアーティストは、今のところガーネだけですね。
ちなみに、初めて買ったシングルレコードは、久保田早紀の「異邦人」でした。
その頃から、歌詞がいい曲に敏感だったようです。

11/7
■眼の調子がだいぶ良くなってきました。
でも、病院に行ったせいではありません。ここ毎日、ひたすらビタミンに気をつけた飲み物を選んだおかげだと思います。それだけで治ってゆくとはなんて単純な体なのでしょう。
ブルーベリーはよく効きます。でも乾燥させたものはあまり効かないような気がします。冷凍されたブルーベリーを毎日二個以上(カナダのブルーベリーって、でかいね)食し続け、飲み物は野菜果実ジュースを積極的にした所、効果があったと思われます。
完璧に治った訳ではなく、ちょっと調子が悪いとすぐに再発する感じですね。それでも、ここ一か月ほどのひどさにはならなくなったので一安心しました。物がちゃんと見えるという有り難味を思い知ります。
病院では^^;) 生まれて初めて検査用とはいえ、コンタクトをはめられ、その後、眼底出血する有様。鏡で見ると怖かった。
先生さまは「黄斑変性症みたいだけれど、若いから万年角膜ナンタラという事にしておきましょう。じゃ、そういう事で」
「どういう事ですか?」
「暫く様子見ね」
・・・はっ? 二度と来るか!
受け答えが一方的で、分らないとはっきり言いたくないみたい。
絶対に黄斑変性症だと思います。症状がぴったりですもん。でもこれって治りづらい病気なんですよね。自分で調べた所ビタミン摂取により治った事例があるとの事。その通りにしたらほんとに治りました。ただ、私は薬嫌いなので、サプリとかも飲みません。漢方とかは自然の成分なので、風邪とかには葛根湯ぐらいは飲みますが、薬は体に良くないと思ってますので、ギリギリまで何も飲まないのです。
という事で、ますます病院嫌いに拍車が掛かりました。骨折とか外科にかかる時は諦めますが、なんていうか、いい病院って少なそうですね。
治ったとはいえ、まだ暫くは無理が出来そうにありません。

話は変わって、映画の話など。
TVでやっていたのですが、トムクルーズ主演の『コラテラル』。
えらく面白く、トムクルーズの映画ってハズレがないなぁと感じていた所、海月氏のサイトの日記ではクソミソでした^^;)
彼とは同じ佐野元春ファンである為、音楽の好みは合うようですし、私の詩も気に入ってくれているようなのですが、映画の好みは合わないようです。
でも、その時の精神状態も関係してくると思われますが、音楽にしても映画にしても、多種多様なので、なかなか好みが合う事は少ないのかもしれせん。
なーんも知らないで、彼に『コラテラル』って、面白かったねぇと、なんかの時、あけっぴろげに話しかけなくってよかったです。
『未来世紀ブラジル』は、共通の好みなのですが。
改めて、人に物事を勧める時は、気配りや警戒? が必要だなぁと感じます。
と、舌の根も乾かぬうちになんですが、最近の気になるアーティストは「風味堂」。
ジャズ? のようでいて、声がなかなかいい響きのバンドです。
ではでは。。。

10/29
■女性の天才について話したが、考えてみると逆に、男の天才は、また女性的な面も持ち合わせているという事になる。だからこその、高踏派が掲げた両性具有という事が言える。
女性にしても、男性的な面を持ち合わせている人が、天才的作品を作り得るといえるのではなかろうか。だが残念なことに発明が無い。その分野での継承したものを出発点として、男より表現しきる事は出来るのだが、新たな発展性や革新性を提示した女性はいないのである。これは生物の特性によるものではないかと思う。
ダンスという点に於いては女性の方が芸術面で優れていると考える。
日本の芸能界になるが、踊り方やポーズだけで、分析不可能に人を惹きつけた存在として私が挙げる人物は、ピンクレディーのミー、森高千里、元ジュディマリのYUKI、振付師の夏まゆみ、玉置成実である。見ていてハッとさせられたのはこの方々だけであった。
どんなに、技術面が優れ、ブロードウェイのダンサーみたいなプロのダンスを見せられても、理由なき魅力が無いと惹きつけられない。ギタリストでも、凄いテクニックを披露されても、その音や曲に芸術性が無いと、何かしら「はいはい、上手いのは分りました。それで? だから何?」で、終ってしまう。
バレエと比べるのははばかるかもしれないが、「一度跳び上がったらなかなか降りてこない」と謳われた天才ニジンスキーは、映像が無く、実際見る事は出来ないとはいえ、伝え聞く所によると、跳躍力や幻想的な作品の演技にのみ、その評価が下されているような感がある。ヌレイエフは見た事があるのだが、芸術の方向性が違うのか、全体的にはもちろん高みにある芸術性を感じ得るが、女性よりもハッとさせられる程のものはなかった。
ミハイル・バリシニコフにしてもそうだった。彼が尊敬してやまないフレッド・アステアは、確かにハッとさせられるのだが、アステアだけは別格ともいえるし、何よりジンジャー・ロジャースとは対に見えた。まぁ、プロが見たら全く意見は異なるだろうが、技術論を持ち出されても、必ず芸術と繋がるとはいえない。むしろ、技術ばかり目立つ場合、芸術性は落ちてくるともいえる。
私は人間が踊る時に魅せる芸術性も好きなので、ローザンヌバレエコンクールなど、NHKで見たりするのだが、やはり女性の方が表現力の面に於いて分があるように感じる。

「天才とは、スピードと量である」と分析した学者がいる。
例えばカフカは生前、短編小説を発表していたが、あまり評判にはならなかった。彼の死後に発表された長編群を以って、一躍有名になったのである。確か、長編作品を、数週間で一気に書き上げたものもあり、常人には出来ないスピードである。
ランボォの詩「H」一つをとってみても、同じレベルの詩を、技術論や内容の解析をして、書き上げようとしても、果たして一生かかるのではなかろうか。
つまり、どんなにその作品を解析して、技術うんぬんが解き明かせたにしても、たった数行の傑作詩を、常人が書き上げるのに、一生かかるか否かになってしまうのである。
ここで初めて、作品とは「生まれてくる」ものだという事が証明できるのである。

10/22
■最近の気になるアーティストとして、YUIをあげる。
あの、「迫りくる切なさ」のような歌声には、びっくり。
歌詞も曲もまだ稚拙なのに、あの声だけでも、関係者がメジャーデビューさせた理由が解るというもの。曲や歌詞はこれから成長すればいいからである。
あとは、mihimaru GTかな。前に、『ヘイヘイヘイ!』を観ていたら、これからランクアップするぞ的な、アーティスト紹介コーナーがあって、複数のミュージシャンがビデオクリップなどで、アピールをしていたのだが、mihimaru GTのクリップだけ群を抜いていた。表現したい事がしっかり表現されていたといった所かな。現在のように売れるとは思わなかったが、ヴォーカルのhirokoのキャラは、いい意味でアクがないというか、陰が無い分、これからも受け入られやすい存在なのではないか。
まぁ、自分にとっては、どちらもガーネットクロウより、重要なアーティストにはならないが。

昔は男性ミュージシャンを聴く事が多かったのだが、最近は女性アーティストばかりになる。「女性に天才は現れない」とした、心理学者:宮城音弥氏の分析にも、再考が必要になるかもしれない。ただ、突き詰めた分析をしてみると、歴代の男の天才は、一つの作品に対して、全てを一人でやり遂げる傾向があり、その作品群は歴史的に女性よりも優位に立っている。女性は複数の共同作業により、一つの歴史的作品を完成させる傾向があるように思う。その才能も、部分的である。それに、発明がない。例えば美空ひばりは、歌声と絶対音感を持っていたが、作詞作曲はできなかった。ジュディマリのYUKIは、ジュディマリとしては、作曲をしなかった。体で表現できる「芸」の方が、女性は男性よりも秀でているのではなかろうか。もちろん、男性の方でも、部分的な完成しかできない人もいるし、どの分野でも例外はある(中島みゆきとか、岡田史子など)。
だが、ジョルジュ・サンドにしても、ジャンヌ・ダルクにしても、女性でありながら、その傾向は非常に男性的になってしまう。
交響曲などは特にそうであるが、女性が作曲した交響曲は、圧倒的に少ない。
こういう事を言うと、女性蔑視と思われるかもしれないが、芸術を創作するという事に関して、そうなのではないかという事であり、それ以外の分野では、男性が女性に敵わない事は、沢山あるのである(くどいようですが、数が少ないというだけで、必ず例外はあります)。例えば、学問に於いて、トップの成績を安定して取れるのは女性が多い。男は一位になったとしても、急落したり、成績は安定しないそうである。
言い訳ではではないが、私は至って男女平等主義であるし、尊敬する女性も多いのであります。本当です。

10/13
■今日、病院の眼科に行ってきました。自分で病院に行くのは、初めての事なので戸惑うことばかり。大病院を紹介されたので、また人の多い事うんざりです。検査の為に変な注射と点滴も打たれました。二度と来たくないと思いました。小学生の時の骨折以来、病院など行った事がなく、風邪の時でも、薬は飲まずに回復してきたからです。結局、西洋医学の薬は、胃薬などが特にそうですが、根本からの改善はなく、一時しのぎだから、むやみに飲みません。基本的に健康体なのですが、目と歯だけは致し方ありませんね。
そして、診察の結果は・・・、やはり分らないようです。自分でもこれはやっかいな症状だなと思っていたので、諦めモード。説明されたのは、隔膜にやや傷があり、これは治るとの事だったのですが、黄斑変性症だと治療がやっかいだとの事。
実はネットで、事前に調べていたのですが、片目から進行して、像が歪むというのは、黄斑変性症ではないかと思ってました。でも、加齢によるものという言葉が加わるものでして、ネットでも五十以上に多いとされています。まだ早いんだけど^^;)
病院の先生も、黄斑変性症みたいだけれど、これは加齢によるものだから、うーん、まだ若いしねぇ、と首を捻ってました。って、先生、見かけに左右されてませんか?
私は巷でも、ミュウではないかと噂される男(『地球へ・・・』のミュウです。これはミュータントから由来された呼称であります。ミュウは歳を取っても、超能力により、見かけは若いままを保つ事が多いからです)。男女問わず、私が年齢を言うと、皆、「えっ?」となります。そういえば、二十七歳あたりに肌が荒れてきたなぁと思った、言わばお肌の曲がり角があったのですが、それまでは高校生に間違われる始末でしたし、また、その時からはあまり変化がないので、未だ二十代後半か三十あたまぐらいに見られてます。現場でも、年配からですが、あんちゃん! と、呼ばれることが多いのであります。
でも、中身は歳を取ったなぁと感じる事が多いので、まぁ、加齢によるものでもいいのですが。
原因はたぶん野菜嫌いなので、ビタミン不足なのでしょう。最近不摂生だったので、一気にツケがきたようです。これからは、なるべく飲み物にしても、野菜や果実100%を心がけるつもりです。
また、二週間後に、もっと本格的な検査があるそうです。あ〜、いやだいやだ。皆さんも、ビタミン不足には気を付けませう。

10/8
■PCを新しく買いました。OSはビスタが嫌なので、XPにし、そのかわり各スペックをかなり高くしたので、ご機嫌です。ビスタ対応のマイナーチェンジ前のモデルですから、高性能の割には安く手に入りました。と言っても、デュアルコアの、ハードディスクもRAMも、ハイスペックにしたので、そこそこしますが。
ビスタはまだまだ様子見ですね。あんなにメモリ食う、無駄な処理するOSは、不必要と考えました。それに各ソフトが、どこまでビスタに対応するのか分らないですし、数年はXPで十分と思います。
画面がワイドになりましたので、我がHPも、それに対応しようかと思いましたが、まぁ、これもしばらくはスタンダードでもいいかなと。慣れない画面ですが、目が以前より左右に動かさなくてはならないようで、少しは目の運動になるかなと。
目といえば、わたくしの左目がピンチで御座います。実は以前から兆候はあったのですが、今回急にひどく焦点が歪むようになってしまったのです。病院は嫌いなので、あまり行きたくなかったのですが、さすがに、支障をきたすので、眼科に行きまして、今週末は病院に行く事になってしまいました。キーボードも、非常に見ずらく、更新もままなりません。目の不自由な方の気持ちが、以前よりも増して、解るようになりました。
暫く、長文の更新は出来ないかもしれません。誤字にも気が付かない状況が出てきそうです。

9/25
■そんなこんなもあり、『意訳』を読み直していて、思い出した事があります。
「都市郡T」なのですが、元々これを意訳しようと思い立った理由は、昔読んだ記憶として、今までのランボォとしては、絵画的表現が強かったのに、非常に緻密な建築物を構築し、立体的な表現をしていたと感じていたからでした。いつか、自分もと思っていたので、宇佐美氏の訳を意訳する事により、身に付けようと策略したのでしたが、意訳しながら読んでいると、昔読んだ感覚とずれが生じていたと申しますか、自分の感覚が変化したものなのか、それほどの収穫が無かったのです。ですので、解説でうっぷんを晴らしたような形になってしまいました。
ですが、もう一度小林秀雄訳を通しで読んだ所、昔読んだ印象のままでありました。つまり、この詩の緻密な印象は、小林秀雄の力が強かったのであります。そのカラクリは、今読んでみて分析できたのですが、それはそれとして、自分の意訳はそのままに、小林の手法を取り入れ、書き直す事はしないでおこうと考えました。
実は、小林訳のランボォの詩は、発表当初から、「意訳しすぎ」という批判が多かったものなのです。元祖意訳の張本人は小林秀雄だったといって過言ではありません。岩波文庫で読めるランボォは、まさに小林のランボォだったのです。だからこそ、他の訳とは圧倒的に、その輝きが違っていた訳です。
ランボォとしても、友人との書簡で、はっきり断定はしていませんが、『イリュミナシオン』の事を、「しまりのない代物」と揶揄していたとされています。それでも、ヴェルレーヌでさえこだわり続けた凄い詩表現であり、私の詩作の根本がここに有りますので、なんとも複雑な気持ちだったのですが、そのしまりのない代物を、しまりあるものにしたのは、小林の功績ともいえるでしょうか。そして、その小林訳が私の詩作の根本であったとするならば、納得してもいいわけです。
そのランボォが「僕の運命はこの本にかかっている」とした、『地獄の季節』より、後に出版された『イリュミナシオン』は、1874年にヌーヴォーと共同で清書済みだったにも関わらず、長く『地獄の季節』よりも前に完成済みとか、後に書いたとの論議が盛んで、普通に読めばその表現形態から、あきらかに『地獄の季節』よりも後に確立した詩文もある事が読み取れますので、実際は文学に興味の無くなりつつあった時期に於いて、作者が過小評価していたという事にしておきたいですね。とはいえ、ランボォとしても、『イリュミナシオン』の清書には、意欲的であったように感じますし。

そんな『地獄の季節』と『イリュミナシオン』は、対になっているので、今日の一言には『地獄の季節』の意訳はしないと言いましたが、短縮したものを、意訳しようかなと、最近は思ったりもしています。かなり先になるでしょうが。

9/20
■久々の更新だからなのか、先日の『意訳』を更新した日のアクセスログは、なかなかの数でした。嬉しく思います。
トップのカウンターとは連動してないので、たぶん、この更新履歴や意訳のページに、直接リンクされている方が多いのでしょう。それはそれで構いません。この更新履歴は、第二のトップページと化していますので・・・。ちなみに、お金をかけていなく、無料のHPなので、アクセスログの数だけ分かり、アカウントまでは知る事が出来ませんので、これからもお気軽に覗いてやって下さい。
やはり、ランボォは人気があるのかな? そういえば、19歳で芥川賞を取った女の子も、今はランボォを読んでいると言ってましたね。芥川の「羅生門」は、ほんの一部ですが、シュールレアリスムな所があります。
ただ、芥川もランボォに傾倒していましたが、芥川の詩ともいえる「或る阿呆の一生」は、やはり詩としては下手です。小説家は素直に詩で参考にした表現を、小説に生かした方がいいですね。
私の意訳は、ランボォに興味はあるが、既存の邦訳では、その良さが解り辛いという人に、もってこいの意訳だと自負しております。でもまぁ、人によりけりでしょうけれど。
言葉の意味としては、過去の訳者の方々のものは、確かに言い回しがよく解らないものが多いし、汲み取りにくいのですが、読み手の方々も、私の意訳で気に入った言い回しだけ、心に留めていただき、あとは、正統なる訳者さんの邦訳をメインに置かれた方が、いいのかもしれません。書いている本人も、今や一割ぐらいの遊び心となってしまいましたが、ある意味言葉遊びとしていますので、読み手の方も、私の意訳比喩表現を、遊び心で受け取ってもらうという読み方で全く構いませんし、もちろん、ランボォが現代日本語で書いたなら、絶対こうなる! ^^;)といった、大袈裟なものでもいいので、それこそ自由に受け取って下さい。

9/19
■久々の更新。『意訳』に「メトロポリタン」を、追加しました。
このくらいの詩が、意訳していて、ちょうどいいと感じます。
元々この詩は、言葉に勢いがある詩です。でも、ランボォ特有の密度がありますので、読み慣れないと勢いが感じられないかもしれません。ので、意訳していて、かなり凝縮させた部分もあります。

昨日のTVで、坂本龍馬暗殺ものがやっておりました。中岡証言に基づくとしていますが、中身はずさんなものでした。それに、ちっとも答えを言っていませんでしたね。『夜話』がまだ途中なので、人の事は言えませんが^^;)
相変わらず、薩摩藩説を主張したげな構成。確かに、大政奉還後の薩摩は、龍馬に対してかなりの不信と反感を持っていた事は事実です。が、相手は薩長同盟の立役者であり、恩人です。大体、当日、近江屋に龍馬がいる事を知っていた薩摩藩士がどれだけいた事か疑問です。中岡は薩摩とかなり親密でしたが、当然、龍馬の立場を察していた筈で、薩摩に居所を知らせていたとは思えません。それに、近江屋の前には、酢屋に潜伏していた龍馬ですが、そこに幕士がかなりうろついていた為、危ないから土佐藩邸に移るようにと、忠告していたのが西郷でした。それを聞かず、藩邸が嫌だからと近江屋に移ったのは龍馬自身でしたので、言わずもがなであります。
ぼちぼち、また書かなければなりませんな。こういうので火がついたりしますね。

8/29
■まだまだ暑いですね。
ところで、『夜話』でも紹介していた、中原中也の伝記的漫画『含羞』の作者、曽根冨美子氏の最新作が、雑誌『モーニング』に掲載されていました。
一時期は、『含羞』の他に、かなり精神的にキツそうな作品を描いていたご様子だったので、心配していましたが、復活? されて良かったです。
中身は炭鉱のお話ですが、氏らしく人間の感情が細やかに描かれており、健在のようですね。
私も以前から、書かなければと申し上げていた自作品があるのですが、まだ気持ちが乗らず、困った事なのか、良い事なのか分かりませぬが、実は大作となってしまう感じで、よほど暇でなければ、取り掛かったら最後、日常生活に支障をきたすようにのめり込んでしまいそうなので、自粛しているというのもあります。
なんか、どんどん内容が膨れ上がってしまっているのです。
まぁ、ここ、一、二年のうちには書き始めようとは思ってます。その時は、珍しく発表日を予告しようと思いますので、気長にお待ち戴けると幸いです。『意訳』にしても、いきなり書き込んでいましたので、せめてもの罪滅ぼしであります。
ここを訪れて頂ける人は少ないとは思いますが、こんな私のオリジナルでも、書けと言ってくれるネットの友人がいるので、励みになります。

7/31
■さて、ランボォの「H」についてだが、詩を書く人間としての自分の直感で、オルタンスとは、中性的な人物であると、詩を読んだその時から感じていた。
その後、研究者の解説だったか、「オルタンスは、オルタンシアの男性名詞的なもので、実際には女性名詞としてのオルタンシアという名が一般的なのに、何故ランボーは、わさわざ有りもしない男性名詞的なオルタンスとしたのか?」という文を読んだ。それについての反論も含めた私の「H」の解説だったのだが、調べてみるとオルタンスという女性は歴史上実際に存在していたし、フランス語辞書を調べると、オルタンシア(紫陽花)の方が、男性名詞になっている。???である。
私としては、わざわざ男性名詞的にしたのは、当然ランボォがホモセクシャルだったのと、中性的なイメージとして女性名詞を、男性名詞的にしたのは、両性具有を含め、ランボォとしては当然ともいえると言いたかったのだが、どうやら以前読んだ研究者の疑問自体が、間違っていたようだ。
で、今回改めて書き直した解説だが、オルタンスを調べているうちに、そのモデルともいうべき人物を発見出来た。あくまでも、仮説だが、誰もオルタンス・マンチーニについて言及していなく、私個人の新説となるようだ。
名詞についてだが、実際の所、どこを探しても明確な答えを得られず、混乱したままである。それこそ、フランス語の権威、篠沢教授に3000点といいつつ、訊いてみたいものである^^;)
ただ、ヨーロッパ圏の言語には、ラテン語のように、男性名詞と女性名詞、それに中性名詞(自然的なもの。無機物に対して)がある事は事実である。ラテン語はもちろんの事、ドイツ語にも精通していたランボォが、中性的な名詞を発想出来るのは当然なのである。
「H」の書き直し解説だが、自説の結論は変更となっておらず、その理由が大幅に変更となり、恥ずかしいものがある。私のミステイクである故、申し訳ないが、懲りずに読んで戴けると、これ幸いである。すいません。

7/22
■先日、ランボォ意訳の「H」について、解説を加えましたが、内容に混乱と確証を得られない部分があり、削除しました。確認が取れ次第、後日、修正して書き表すと思います。すみません。

7/19
■今日、録画していた『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』を観ていたら、なんと、ガーネットクロウが出ているではありませぬか!
あ〜びっくり! そして、普段見慣れているダウンタウンと一緒である事もあり、「ガーネットクロウは、本当にいるんだ」と、今まで、ガーネが現実的でない存在であった事を知る。
でも、これからは今までと違って露出が増えるのではないかと、実は思っていたのだ。私の予想は、競馬以外なら結構当たるのだ。
何故なら、最新ライヴDVD『THE TWILIGHT VALLEY』を観ると、中村由利氏に変化があったから。
以前の、中村由利氏はイノセントな感じで、あまり業界慣れしていなく、とても、TVなどでの即興MCには、対応出来ないような素朴さがあり、それがまた魅力でもあったのだが、今回のライヴは、何事も積極的にテキパキとこなしている。なんかもう、ゆりっぺなどとは呼べないような、まあ、大人の女性になってしまった感があり、私などは寂しくなってしまった^^;)
でも、中村由利氏本人も、フィールドはスタジオレコーディングであると考えていたのだが(この辺の奥ゆかしさも良かった)、LIVEに来るファンの期待に応えたいという想いが、ガーネットクロウとしての中村由利氏に成長を促したのは、致し方ないともいえるかな。
だから、今のハイパー中村由利嬢であれば、積極的にTVにも出演するのではないかと感じていた所だったのだ。以前の、ゆりっぺであれば、とても、ダウンタウンとトークを交わす事など、想像できなかったけれど。
寂寥感はあるが、ファンとしても、TVでガーネが観れるのは、喜ばしい事だ。

7/14
■さて、ガーネットクロウのAZUKI七氏についても語らねばなるまい。
AZUKI七氏の歌詞は、まず仏教観とキリスト教観の両方を併せ持っている。故に、僕なんかが共感してしまう理由はそこにあったりもする。
逸話として、作詞にお経の文言を入れようとし、メンバーから却下されたなど、興味深く面白い。
曲作りの過程としては、中村由利氏がまず曲を作り、それをAZUKI七氏に渡し、氏は就寝前にその曲を聴いて詞を作るという。
実は、僕の作詩過程もそうなのだ^^;) 詩作を始めたばかりの頃の僕は、目を閉じるとすぐに言葉が浮かび、うんざりするほど溢れ返り、眠る事が出来なかったくらいだった。
まっ、自分の事はどうでもいい。
AZUKI七氏の言葉は、「生まれ重なる」「通り過ぎたあとの静寂に降る太陽」「遠い国まで連鎖して」等など、クオリティは非常に高く、その言葉の結合力は、シュールレアリスムよりもずっと自然で、むしろ完成度は、シュールレアリスムの詩よりも高いのではないかと思う。
LIVEDVDでのインタビューで、AZUKI七氏は「自分が聴きたい音楽が、今のJ−POPに無いから、自分で作るしかなかった」と言っている。
誰かさんみたい^^;) 大体自分も、読みたい詩が無かったから、詩を書いたのだが、こうなるとAZUKI七氏に任せればいいとなりそうだ。
ただ、過去のアーティストもそうだったのだが、不思議と、曲の為に作った詞は凄いが、活字だけの為に発表する詩はあまりいいものが無かったりする。ここらへんに、僕の出番がまだあるかな(笑)

7/5
■久々ですが、『意訳』にランボォの詩を追加しました。
やっかいな詩を意訳してしまいました。解説の為のページも追加致しましたので、詳しくはそれを読んで下さい。
あ〜疲れた(>.<) 

6/20
■佐野元春氏の最新アルバム『コヨーテ』が、リリースされた。
まだ、一回しか聴いてないのでなんとも言えないが、最初はよく解らなくても、またいずれは聴き入ってしまうものなのかもしれない。
以前、発表されたアルバム『ザ・バーン』がそうだった。
ふと、車に乗っている時にかけたら、えらくハマってしまった。
なんというか、曲のだらだら感がいいのだ。普通はだらだらしていると良くない筈なのだが、心地良い。
なにかしら、ドライブが楽しくなるようなアルバムだった。
佐野さん、まだまだ健在ですな。
ところで、「黄金の天使」って、どういう意味だろう?

6/10
■最近はガーネ中毒である。
一週間もガーネットクロウを聴かないと、イライラしてくる^^;)
以前、好きな曲として「君を飾る花を咲かそう」を紹介したが、バラード曲としては、「君 連れ去る時の訪れを」がまた良く、「さよならとたった一言で・・・」と共に、三部作になっているような感じだ。
ところで、中村由利氏の歌い方は真似しづらく、非常に特殊な歌い方である。だから、ガーネの曲自体も、同じように歌おうとしたら、なかなか難しい。これはすでに、他者に無い才能である。当初は単に、英語のように唄っているだけかと思った。
が、それだけではなく、その歌い方について、最近気がついたのだが、どうも声楽に則っているのではないかと思われる。言葉で説明すると難しいのだが、声楽の方法として、例えば「が」と発声する所を、「
がぁ」と一音で発声する、「を」を「うぉ」と発声し、母音を強調した中間音とでも言おうか、それ以外でも、かなりの数の接続詞を、中間音で歌っているのだ。
以前、相川七瀬が極端に日本語を英語っぽく歌った曲があったのだが、非常に違和感が有り、佐野元春氏のような歌い方は、女性がすると、違和感が出てしまうのかとさえ感じた。それを、覆したのが彼女だった。
例えば、一時期、本格的な英語のアクセントで、日本語が英語にしか聴こえない様な歌い方を、複数のアーティストがしていて、画期的と思ったが、当初の驚きは長く続かず、その手法は定着しなかった。
言わば、そういった歌い方とはまた違っていたのが、中村由利氏の歌い方であったのだ。およそ、他者が真似したとしても、上手くいかないであろう。
聴く人々の、声の好みというものがあったとしても、それを越えた所に、成立していると言っても過言ではない。

6/2
■ある日の事、あるTVを観ていたら・・・、『We Are The World』の映像が流れておりました。
あっ、懐かしいなぁ、この時は世界中で盛り上がったっけ、まだ幼かった私は、曲とマイケルとライオネル・リッチーぐらいしか、印象にありませんでした。
が、よくよく観ると、な、な、なんと、革ジャンバリバリの若きスプリングスティーンが映っているではありませぬか!!
しかも、ボブ・ディランもいる!!
そうだったのか!? 当時はまったく気がつかなかった。とはいえ、まだ二人の存在を知らなかったギリギリの時期だったのでした。
慌てふためき(何を今更^^;)、DVDを検索!
おぉ! あ〜るではないか、『USA for AFRICA』のDVDがっ!
早速購入。ドキドキしながら観てみると・・・、カッコイイ〜。。。
スプリングスティーンの第一声にまずびっくり。凄い、凄すぎる。ディランと肩を組んでいるシーンもある。
各ソロのパートも、そうそうたるメンバー、レイ・チャールズ、ポール・サイモン、ビリー・ジョエル、etc・・・、中でもこの人いい声しているしカッコいいなと思って調べると、スティーヴ・ペリーとあり、元ジャーニーのボーカルの人でした。CMでも気にかかっていたので、ベストアルバムも購入。
それはさておき、これだけのメンバーが集まり、一つとなって、曲を歌うという事は、ほんと奇跡としか言いようが無く、二度とこのような事は起こり様が無いし、今現在のヒットチャート上位の連中を集めても、これ程の感動は与えられないように思う。
これを、観れた時代に生まれて良かったと感じるし、これを観せてくれる為に、この時代に生まれたのかもしれないとさえ思う。
何故かしら、これ以降の文化の衰退や、種の寿命を感じてしまいさえする。文明ピーク後の失速世界に入ってしまっているという事だ。

5/27
■最近また仕事の内容がきつく、帰宅したらすぐ寝てしまう毎日でした。
それにしても、今日のダービーは歴史的な快挙!
牝馬のウォッカが、クリフジ以来64年ぶりのダービー制覇!
クリフジは、その歴史を見ると大好きになってしまう牝馬ですが、タイプこそ違え、生きているうちに、そのクリフジ以来となるダービー牝馬の誕生を観れるとは、鳥肌が立ちました。
ダービーは、大抵単勝三番人気以内の馬が勝ちます。私はというと、二番人気のヴィクトリーの単勝を買い、フサイチホウオーが、輪乗りで暴れているのを見て、しめしめとほくそえんでいました^^;)
ところが、肝心のヴィクトリーが、出遅れたのはいいのですが、後方で我慢せず、向こう正面で一気に先団に躍り出るという始末。ここで、私の今年のダービーは終ってました。
見れば、フサイチホウオーも、引っかかっています。こりゃ、三番人気のウォッカに持っていかれるぞ、と思いつつ、まさかのまさかでした。
でも、いい競馬だったなぁ、久しぶりに興奮するゴールでした。四位騎手も騎乗技術が優れているわりには、恵まれなかったので、勝った後の涙も解るというものです。
ウォッカは海外に挑戦するとの事。こういう馬は活躍できます。また楽しみが増えました。


5/6
■TVシリーズ『地球へ・・・』の話ばかりだが、段々と演出も良くなってきている。
僕は、同じく竹宮恵子先生のSF漫画『私を月に連れてって!』も好きなのだが、その漫画のヒロイン、ニナ・フレキシブルが、TVシリーズ『地球へ・・・』に登場している所が気に入った。
しかも、サブキャラのおヤエさんまで登場している^^;)
どちらかというと、おヤエさんのほうが、目立つ所がまたいい。
最近気がついたのだが、『私を月に連れてって!』の続編が、『ブライトの憂鬱』だった。主人公はかつての脇役なのだが、ちゃんとかつての主役ダン・マイルド氏も登場している。
なんだか、メチャクチャなようだが、楽しい。
やはり、竹宮先生はSFがいい。


4/15
■TVシリーズ『地球へ・・・』第二話を観た。
第一話よりかは、動きが良くなっている、が、やはりプロダクションI.Gに製作してもらいたかったな。同時期に始まった『精霊の守り人』を観るにつけ、そう思ってしまう。
でも、ジョミーが、ソルジャー・ブルーに、自分をアタラクシアに帰せと詰め寄り、ソルジャーが苦しそうに、そして悲しそうにジョミーを帰すシーンには、目頭が熱くなってしまった。
やはり、駄目だ(T_T)
封印していた魂を呼び起こしてしまう。ほんと困った。

4/8
■TVシリーズ『地球へ・・・』を観た。
画としてメインキャストは綺麗だが、それ以外はそうでもない。
それにもっと動きに於ける演出を凝ってほしかったな。なんか、淡々と進んでいっている感じ。映画版のほうが演出は凝っていた感じ。とはいえ、可は無いが、目立った不可もないので、これはこれで良しとしよう。
今回のTVシリーズのおかげで、新装版『地球へ・・・』がでるし、映画版のDVDも出るし、まっ、そっちに走るけんど^^;)
新装版はカラーページが発表当時のままにという事で・・・、でもやっぱり読めないな。うーんどうしよう。そうだ、新作の詩を作ろうと思い立ったら、その時に読むとしよう。映画版は観る事は出来るな。やっぱりある程度離れているから。

さて、お知らせをば、、、。

リンクしている海月さんが新作を発表しました。
彼のやさしさが滲み出てくるようなアルバムです。
音にも厚みを増して、なんかライ・クーダーみたいに感じたのは・・・、私だけでしょう。これ、誉めているんです。
ドライに、クールに唄っている曲もあり、いい感じです。
http://kurageya9.hp.infoseek.co.jp/top.html

3/26

■竹宮恵子先生の原作『地球へ・・・』が、TVシリーズとして復活するというニュースを知った。4/7から放映だ。
ショックであり複雑な気持ちである。
僕にとって竹宮恵子先生と『地球へ・・・』は特別な存在だ。
漫画が発表された当時、十代だった僕は、二十代になる自分が想像できず、ありえないと思っていた程若く苦しく、そして「生」というものに絶望感を持っていた。
社会との繋がり、何も実感のない将来。今の自分の存在意義。
そんな時に出会ったのが『地球へ・・・』だった。
その世界の精神性の深さ、自分達の存在を認めてくれない世界で、ただ故郷である水の星地球へ帰りたいと願い、前人類との共存の道を、傷つきながらも模索する主人公、ソルジャー・ブルーとジョミー・マーキス・シン。凄まじくも感情移入してしまう作品だった。
はっきりと言ってしまうが、『地球へ・・・』の竹宮恵子先生と尾崎豊がいなかったら、僕の精神は崩壊していたと思う。
後に、竹宮恵子先生へのインタビューで、再び『地球へ・・・』のようなSF大作が求められたらしいが、竹宮恵子先生は「あのような作品を作った場合、精神的な消耗感が激しく、二度とやりたくない」と答えている。
僕は当時、精神的に参ってしまうと必ず『地球へ・・・』を読み返していた。
二十代になってからは、三十代になる自分が、やはり想像できなかったが、ある意味、自分を乗り越える事が出来たので、もう十代のような追い込まれ方は無くなった。それでも、『地球へ・・・』は、あまりにも大切な存在だったので、飽きる事を恐れ、僕の中でも封印していたものだったのだ。
それが復活するとは・・・。
『地球へ・・・』は、設定とストーリーを変え、アニメーション映画にもなったが、不評だったようだ。僕的には悪くない映画だったと思う。画が綺麗だったし、ダ・カーポの主題歌も最高だった。それに、演出面でソルジャー・ブルーがよく描かれており、ジョミーが助けられるシーンは何回も観たものだ。
竹宮恵子先生は、どちらかというと『風と木の詩』で、ホモセクシャルを描き、評判となり、受け入れがたい人々からは批判や茶化されたりもしたが、『風と木の詩』は賞を取り、その作品性は確かなものだった。
ちなみに僕は、ランボォなどにも傾倒しているから、疑われる方もいるかもしれないが、至ってノーマルです^^;)

今回のTVアニメ化は、不安ではあるが、絵も綺麗だし、あの原作ならば、余程解釈を間違えない限り、いい作品にはなると思うので、期待したい。が、少々、打ちひしがれてはいる。

3/21
■衛星でやっていたのもあって、久しぶりに、映画『オズの魔法使い』を観た。
そこで、元々知ってはいたのだが、えらく勘違いをしているなぁと。
記憶だと、エンディングに近いシーンで、ドロシーが窓から空を見上げつつ、「オーバー・ザ・レインボー」を唄うと思っていた。
が、実際はそんなシーンは一つも無かった。
これは、創作にまつわる事として多いと考えるが、時間が経つと、原作を自分のイメージ通りに変化させて、記憶してしまう場合がある。
不思議とそれは原作通りではなくなり、自分の作品にそのまま取り込めたりできる程、かけ離れているものなのである。言わば意訳なのだ。
逆に、自分のオリジナルだと思い、作品を作った時、エッセンスのみだが、後々に原作があったものを、そのまま抽出している事に気づく場合もある。無意識なのだが、その無意識からの場合、意訳はされず、オリジナルのまま、作品に反映されてしまうようである。
だから、自作品から削ったりした場合もあったし、これはあの作品そのままだからやめようと思ったら、まるっきりかけ離れていたので、採用したという事もあった。
つまり、「意訳」は創作の一つのキーである事は間違いないと考えるのだ。

映画『オズの魔法使い』のドロシー役、ジュディ・ガーランドについて。
よく、解説などに、ジュディ・ガーランドの晩年は不遇であった、と書かれていたりする。確かに周りからすると、MGM全盛期から比べられたりして、批判も多かったのだが、娘の伝記には、母本人は決してそんな事はなかったと言う。どんな困難があっても常に前向きに行動し、子供達を励ましていたジュディ・ガーランドは、最期まで溌剌としていて、むしろ幸せな晩年であったと。
何かしら、ほっとする話であった。

3/13
■ガーネットクロウのニューシングルが届いた。
いい感じである。
ただ、ファーストアルバムのような世界観を、もう一度表現してほしいというのはある。
セカンドが出た時に、それが薄らいだから、あれ? と思ったのだが、サードアルバムで少々戻ってはいた。
だからこそ、失速し始めたのかと思い、その時に評価を下げてしまった。ファーストがいいアルバムだったとはいえ、せめて二枚くらいは、同じような世界観のアルバムを継続出来ないと、その才能を評価出来ないからである。
でもそれは、杞憂だった。
暫くは、ファーストのような感じで行くのかと思っていたのだが、すぐに新しい世界観を、模索し始めたようだったのだ。
それに、彼女等は、TV番組のタイアップソングを、作品に合わせて作り上げるという、素直な部分も持ち合わせていたからだと思う。番組スタッフからの要望に応えて、曲を作り直す事もあったのではないか。そうでなければ、こうも、タイアップソングの依頼が続かないと考える。
セカンドは、ブルース調の曲を、最初の方に持ってきた為とも思うが、自分自身の評価は低かった。私は寝る前に曲を聴きながら寝るので、ポップスな曲に入った時は、すでに眠りに入ってしまっていたという繰り返し、後半の曲の評価が定まらなかったみたいだ^^;)
「恋する事しか出来ないみたいに」は、私的には久しぶりに、初期ガーネといった感じで、嬉しかったのだが、もう一度、アルバム全体で、世界観を統一し、エコーバリバリで構わないから、青空に、必ず飛行機雲があるような、ファーストガーネの世界にどっぷりと浸らせてもらいたいものだ。

2/12
■久しぶりに姪御さんの話をば。
最近はやっと言葉も覚えてきて、おちゃめになってきております。
ある日の事、妹と一緒に、遊びに来た姪御さま。帰りは家まで車で送る事に。
妹の家までのルートは覚えているが、車中いきなり、
「にぃにぃ! 地図!!」(こう呼ばせておりやす)
と、後ろに置いてあった、首都圏マップを差し出され、は〜い♪とわたくし。
妹曰く「詩の賞とかに応募しないの? お金が入ってくるのに」
私曰く「金はいらんし、それに本名が知れ渡ったらやっかいだ。仕事に支障もきたすしね」(賞を取れるつもりで話すわたくし。実際はかすりもしないであろう、今の詩壇では)
妹曰く「そういえばそうだね、名前が知れ渡ると面倒かも」(だいたい妹も、こんな感じです)
「かわいいね!」と姪御さま。(最近覚えたお気に入りの言葉)
は〜い♪とわたくし。


2/6
■僕は現代詩を、ほとんど読んだ事がない。つまんないからだ。だから、『現代詩手帖』も、『ユリイカ』も、知ってはいるが買った事はない。
たぶん、なかには面白いものもあるだろうが、それに出会う為には、かなりの労力が必要だろう。それぐらい、面白い詩というものが無いのだ。
確かに、「詩」として完成度の高いものはあるだろう。だが、面白くない。
それは、「言葉」に魅力がないからだと感じる。
例えば、同じ活字体で同じような言葉、或いは文を綴ってみても、書く人が違えば、魅力がまったく違ってくる。それが言霊というものなのかもしれないが、そういう言葉を書く現代詩人が少なすぎる。(現代詩をあまり読んでないのに、なぜ言えるかというと、現代詩全集として出版されているものを、昔は読んだ事があるし、だいたい現代詩人の詩集が、文庫にならないのだから、たかが知れている。いいものというのは自然と目に入ってくるものでもあるし)
むしろ、現代小説(これもあまり読まないが現代詩よりは読んでいる)やエッセイのほうが、まだ面白いのではないか、魅力があるのではないかと思う。
それに、某サイトで出会った、詩を書く人達の作品のほうが、詩壇で発表されている詩よりも、魅力があるのはどういう訳か?
あきらかに、詩人と呼ばれる資格のある人が、かなりいた。
それがまたネット以外で世に出ないのである。
世も詩壇も、つまらないものだ。

1/16
■ガーネットクロウの最近よく聴く曲として、「永遠を駆け抜ける一瞬の僕ら」や、「恋する事しか出来ないみたいに」「今宵エデンの片隅で」「君を飾る花を咲かそう」などがある。
中でも、「君を飾る花を咲かそう」は、ラヴソングではあるが、想いのたけを綴っただけではなく、一つの曲全体として、しっかりとした物語となっている。
常々、恋愛詩は女性の方が上手いとは思っていたが、この曲は男心をも、しっかりと表現されている。僕自身の物語と重なり合ってしまったという事もあるが・・・。
僕自身、恋愛詩を書く事は苦手だが、この曲を聴いて「想いを胸に秘めたままではなく、その時の相手を思いやる素直な気持ちを、そのまま言葉にするだけでいい」という事に、もう一度気づかせてくれた素晴らしい曲だった。

1/11
■またまたアーティストの紹介になってしまうが、KEANEという、ドラムの代わりにピアノを駆使するというバンドに興味があり、アマゾンドットコムを彷徨っていたら、なぜか『バック・トゥ・ベッドラム』というアルバムも引っかかった。
自分の詩集にも収められている詩の題名「ベドラム」というスラングと、表記が違うだけで意味は同じだろうとすぐに気がついたが、今どきまだそんなスラングを使う奴がいるのかと思い、少々興味を持ち、調べてみる事にした。
アーティスト名はジェイムス・ブラント。元NATO軍の兵士という異色の経歴の持ち主。ヒットシングル「ユア・ビューティフル」と書かれてあり、あゝ、CMでやたらと流れていたあれかぁ、となる。
実際に買ってみて聴いたが、まず声がいい。この声は何度聴いても飽きが来ない。これだけでも、将来が約束されたようなものである。
リリックのほうはシンプルで特筆すべきものはないが、アルバム全体の曲は、どれも聴かせてくれるものばかりで、シングル一曲だけしかいいものが無いというアルバムとは違う。
アルバム全体にアップテンポの曲はないので、この先スプリングスティーンのような曲を歌い出したら、なかなか面白い奴となるかもしれない。
あっ、KEANEの『HOPES AND FEARS』も、なかなかいいアルバムだった


1/5
■『今日の一言 〜A word〜』でも書いた「ガーネットクロウ」の全シングルを買った。何故ならカップリング曲が、ほとんどアルバムに収録されていない事に、今頃気が付いたからだ。そして、同じ曲でもアレンジが違い、中にはアルバム収録よりもいい場合があったりもするので、ムキになって全部買ってしまった。
実はファーストアルバムの前に、インディーズとして出したミニアルバムがあるのだが、それに収録されている「SKY」という曲は、ちょっとした発見だった。
私が音楽に関して素人であるのを踏まえ、あえて語らせてもらうと、この曲はサビの部分が二つあり、最初のサビが、前触れもなくいきなり現れ、第二のサビへと向かうという、初めて聴いた時には驚いたぐらい、不思議であり、そして新鮮な曲だった。この曲は4枚目のアルバムに、アレンジを変えて収録されているが、インディーズバージョンの方が、より効果的に聴こえる。
個人的に好きな曲としては、「君の家に着くまでずっと走ってゆく」や、「Mysterious Eyes」、「スパイラル」であるが、ご興味を持たれたら、ファーストアルバム『first soundscope〜水のない晴れた海へ〜』から聴き始める事をお薦めする。
ちなみに、インディーズ版のファーストミニアルバムとでもいうものは『first kaleidscope〜君の家に着くまでずっと走ってゆく〜』となる。

「ガーネットクロウ」のサイト


http://garnetcrow.com/

1/3
■汐凪ぶちさんからメールを戴き、汐凪ぶちさんのサイトに、リンクしてもらう事となりました。
「言語による音楽表現」をテーマに、詩作品を綴っていらっしゃいます。
そのテーマには、感銘を受けます。
現代詩を読むのが苦手な私ですが、汐凪ぶちさんの詩には、すんなり入っていけます。
是非訪れてみて下さい。

http://www.catv296.ne.jp/~preludes/index.htm



2006年

12/2
■『意訳』にランボォの「王権」を追加しました。
この詩を初めて読んだ時、特にどうという感も無かったのですが、時間が経つにつれ、やたらと思い出してしまう詩となってきました。
小林秀雄訳の「二人は午前も王様だった。・・・二人は午後も王様だった」というこのありふれた言葉。午前、午後、王様、という本当にありふれた言葉を組み合わせただけの、この言葉に、何故いつまでもまとわりついてくるような不変の魔力というか、力が備わってしまっているのか、不思議でなりません。いわばこういう言葉を表現する為に、今も私は詩を書いているといっても過言ではないようです。
『意訳』は、小林秀雄訳の凄さに、なるべく触れたくなかったのですが、その効力を残しつつ、多少はアレンジした形となりました。
久しぶりに書いたのですが、いかがでしょうか? 訳す時の僕自身の勝手な意訳インスピレーションは、変りましたかね。それとも変っていませんでしょうか。

10/30
■夜話「中岡慎太郎・・・」の続きを、短いですが書き加えました。薩摩藩説の方々には痛い所をついています。たまたま中岡が居合わせたにしても、中岡を知らぬ薩摩人は居ないのであります。特に中村半次郎は。知らずに鉢合わせしたら、きっと慌てて引き返した事でしょう。
でも、あくまで持論であり、推理でありますから、決定的な証拠というものは、すでに無いものでありまするから、ご悲観なきよう。

10/22
■時の流れを跳ね除ける『事実』は、永久に記憶の中に留まり、決して消える事はないでしょう。
この世の涯で二人、永遠に寄り添うように・・・。

10/20
■やはりというべきか、ディープインパクトの年内引退が決まってしまった。
種牡馬の可能性についても、今まで多くの引退馬の、その後を見てきたので、あえて言うまい。すべからく、水ものであるから。
あれだけの馬である、たとえ上手くいかなくても、功労馬として、保障された老後を送れる事は確証されている。ファンも黙ってはいまい。
あとは、無事に現役生活を、終えてほしいものだ。

10/9
■ディープ君は負けてしまったが、いい競馬だった。完走した事も誉められるものだ。環境の違いで、出走前から故障をしたりする馬が多いというのに、ファンの期待も受けて、よく頑張った。また来年にもチャレンジするという。
だが、斤量の問題から、近年の凱旋門賞は、やはり三歳馬が有利なのは否めない。
三歳で挑戦した凱旋門賞二着のエルコンドルパサーを、例にとっても、三歳のうちから挑戦しないと、難しいように思う。しかも、斤量が重ければ重いほど、ディープ君のように小柄な馬は、影響されやすいのだ。
ヨーロッパやアメリカの権威あるG1は、甘いものではない。なにもかも、自身を有利に進めて行かないと獲得できるものではないのである。

9/27
■さて、書き物をしなければならないとは思うが、ディープインパクトがフランスの凱旋門賞に10/1(日本時間2日午前0時30分)出走する。
ディープ君に関しては、常に私の読みが外れて活躍してくれる。昔、競馬の神様、大川慶次郎氏が、一度もシンザンを本命にしなかったかのようである(大袈裟&恐れ多い)。馬体重の事でもそうだが、440kgでも彼の場合は問題なかった。有馬記念は菊花賞の疲れと、古馬との初対決での負けとみていいだろう。継続される強さに変りはなく、馬体の立て直しも、彼は乗り越えた。
だが、凱旋門賞に勝てるかどうかとなると、懲りずに厳しいと言わざるを得ない。でもまあ、こう書けばまた反対に勝ってくれるという私的ジンクスもあり、彼の勝利を願いつつという事で、以下、理由を述べたいと思う。
海外に行くという事で、馬主さんの資金が大変なのは分かるが、ローテーション的に、宝塚記念は不要だった。天皇賞後から渡仏して、現地のトライアルレースを叩き、本番を迎えてほしかった。
近代競馬に於ける、先行抜け出しが出来ない脚質にも疑問。ダンシングブレーヴの例はあるものの、凱旋門賞を最後方から差し切るというのは、かなり至難の業。でも、これは、直線に入るまでに、徐々に進出すれば、解決をすると思うが、ロスは否めない。
あと、これは、岡部元騎手も言っていたが、日本の馬場とフランスの馬場との大きな差が最大の理由である。最終的に、何回も現地の馬場を走れば、段々とそれに対応した走りをするようになると、岡部氏は言っていたが、時間は掛かるという。だからこそ、もっと早めにロンシャン入りして欲しかった。フランスはイギリスほど、パワーのいる芝ではないが、やはりタフでないと走破できない。坂の起伏が激しく、芝の質もさることながら、かなりのスタミナも要求される。騎手同士の駆け引きも日本よりシビアだ。
例えば、ダートだけに強いタフな馬が、海外の芝レースにいいという訳でもなく、芝もダートもあらゆる馬場に適応出来る能力と、起伏の激しいコースを走破できるスタミナがあるかどうかが、鍵となるのである。
適性という意味では、日本の軽い芝でG1を勝つ馬よりも、日本の軽い芝に適性がなく、いつも二、三着に負けているような、ズブいスタミナ型の馬こそ、海外いずれかの馬場に適性があり、勝てるのではないかと考える。G2だが、香港でいきなり勝ったフジヤマケンザンが、例として挙げられる。そういう意味で、僕は以前から、日本国内の芝だけしか勝ってないG1馬が、海外G1を挑戦する事に、無駄ではないかとすら思っていた。タイキシャトルやエルコンドルパサーなど、海外G1で活躍した馬は、いずれも、当初はダートを走り、そして芝をも勝ってきた、タフで環境適応力の優れた馬達である。また、そういう馬でないと勝てない。
しかしながら、日本のG1で、いつも二、三着に負けているような馬が、海外G1を勝っても、嬉しさが無いのも事実である。日本での最強馬が、海外G1を勝ってこそ、意義があるとも言える。
かつて、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフは、米G1でレース中に脚を痛めていたとはいえ、負けてしまった。ルドルフの強さとは、人間並みに頭の良かった奇跡の馬であったという事だ。日本ダービーで、岡部騎手が、4コーナーを回り、追い出しに掛かると、それを受け付けず、慌てた騎手を尻目に、府中の長い直線は半ばに来たらスパートを掛ければいいとでもいうように、坂を上ってから猛スパート、見事、日本ダービーを制し、岡部騎手をして「ルドルフに競馬を教わった」と言わしめた馬である。そしていつも、ゴール近くになると、もう勝負はついたとでもいうように、後続に差されない程度に失速、悠々とゴール板を過ぎていた。鞭も見せ鞭と言い、馬体を叩く事なく、合図に空中で二回ほど振り回すだけで、スパートし、それもほとんど馬なり(馬の意志任せ)での勝利だった。その走法も、「ルドルフ走法」と言われ、全身で円を描くように走る、独特なストライド走法で、勝負服を見なくとも、ルドルフを判別出来た程だった。だからこそ、これ以上の馬は現れないと誰もが感じ、ルドルフで海外を勝てなければ、もう永遠に勝てないと思った。
海外でG1を勝つ事の厳しさの逸話として、こういう話がある。ルドルフの母方の父スピードシンボリが、野平祐二を背に、イギリスのG1キングジョージに挑戦した。結果は五着だった。野平氏曰く、4コーナーであまりにもスピードシンボリの手応えがいいので、こんなに楽に勝っていいものかと、少々拍子抜けしそうだったのだが、直線に入り、海外の強豪にアッサリと交わされた時、外国馬の底力というものを改めて思い知ったという。
そこで、ディープ君の登場である。
僕はここに来て、少々考えを改めた。頭の良し悪しというか、ルドルフのように、人間並みに意志を持った馬でなくとも、サラブレッドの走法というものを、超越した馬もまた、歴代最強馬、または世界的に見ても、奇跡の馬だと考えたのである。
なぜ、アメリカやヨーロッパでなく、近年に於いて日本にだけ、こういうサラブレッドの最高傑作が出現するのか、不思議ですらあるが、逆に、であればもう海外G1を勝たなくとも、満足のような気さえする。はっきり言って、海外の馬はしゃにむに強いだけで、そこにサラブレッドというか、動物を越えた走る芸術品とでも言うべき馬は、かなり歴史を遡らない限り見当たらないだろうし、実際、ルドルフやディープと同じタイプの馬は存在しなかったのではないかと感じる程だ。
ディープインパクトも、他馬と比べ、走り方で見分けがつくし、何よりも上下に動かず、空中を飛んでいるような、「走る」という事に於いて、まさに究極と言える走法をする、サラブレッドを越えたサラブレッドである。歴代の名馬の本でも、そんな逸話は読んだ事がない。
ディープでなくとも凱旋門賞を勝つという事は、日本競馬の長年の夢であり、それこそ手の届かないものであったが、こういう馬が凱旋門賞を勝たずして、どの馬が勝っていいものか。後はディープの環境適応能力次第と、異次元とも言える走りが、底力のある海外馬に通用するかどうかだが、もし、凱旋門賞をディープインパクトが勝ったら、夢の終りのような感もあるが、いつまでも叶わぬ夢を追うよりも、夢を達成した誇りを体現したいものである。

9/4
■やっと、仕事が一段落。
そして、夏も終ろうとしているが、夏休み中である。
また元の現場仕事に戻るのだが、デスクワークをされている方々の大変さもよく分かった。とはいえ、どんな仕事でもそうだが、どこにいっても、出来る人は出来るし、出来ない人は出来ない。あまり変わらないかな。
ただ、文学をやるならば、現場仕事をしながらの方が、僕にとってはやりやすい。精神的余裕は作れるから。
追々、また色々書いていきます。

パソコンの中身を整理していたら、小川洋子氏の名言なるものが、出てきました。誰からか教えてもらってそのままにしていたみたい。なんか、僕自身を言い当てられている感じです。

「記憶 とは、その人がつむぐ物語。
前向きがもてはやされるけれど、
記憶の底に沈んだ過去をみつめることが、内面を高める」

7/29
■少しずつ、仕事も落ち着いてきたが、まだまだ中途半端なポジションに居る。自分の立場と時間を取り戻せるのは、九月に入ってからとなりそうだ。

6/14
■予定していた仕事が長引いてしまった。
富永太郎のように、
「まいったよ、上海に渡る計画がフイになってね」
などと、かっこいい事の一つでも言えればいいが、
実に無様な状態である。
とりあえず、八月までは何も更新する気がないので、
申し訳ないが、よろしく。。。

5/13
■長い雨だった。
この一年、生活の為とはいえ、随分と不本意な仕事に就いていた。それもようやく終ろうとしている。
やはり、自分は書くしかない人間なのだと感じるが、それもまた今だけかもしれない。
だが、今年中に「賢者と旅人」を、書き上げなければならないと感じる。人は、歳を取れば、やはり作品にキレが無くなる。作家の晩年の作品を見るにつけ、そう思う。
僕は、自分から天才だとは言わないが、青春性の強い男である。ゆえに、十代の時から、詩をやめた後のランボォに、ひたすら興味があった。はたして、歳を取ってからは、いったいどういうふうに生きていけばいいのか?
「誰の事も知らない  誰も僕を知らない この街にたどりついた」
自分の詩「港街」の冒頭の言葉は、『ライ麦畑でつかまえて』に、近い言葉が書かれてある事を、『攻殻機動隊』で知る。
僕は『ライ麦畑でつかまえて』を、読んだ事はないから、青春性の強い人間であれば、誰でも感じる事であるという証明なのかもしれない。今思えば、佐野さんの所のサイトに生息していた自分の存在というものは、「笑い男」みたいなものだったのかもしれない。実際、よく笑っていたし。
天才は、たいてい夭折してしまうので、歳を取った生き方を、学べない。僕は、サリンジャーのようなタイプなのかもしれないが、意識してそうなろうとは思わない。それが、聡明というものだ。という事は、やはりそのうち何も書かなくなるという事か・・・。
ランボォが詩をやめた理由は・・・、別に才能が枯渇したとか、歳を取ったからとかではない。詩作に興味がなくなっただけである。

とはいえ、今の自分は、六月以降からペースアップする筈だ。
いよいよ、新たな物語の始まりである。

3/5
■皆様、お久しゅう御座います。もうすぐ、春です。
あともうちょっとで、仕事が一段落します。それまでは、ブランクも長いと思われますが、宜しくお願い致します。って、何を宜しくだか、分かりませぬが、それにしても、必ず、毎日、誰かしらが来て頂いているようで、大変申し訳なく思っております。
夏ぐらいには、かなり書き込みも、ペースアップする筈ですが、なにぶん、気まぐれなもので、はい。
m(_"_)m

あっ、そうだ、ランボォの「陶酔の午前」、多少書き直しました。

2005年

12/31
■今年も終わりである。
待ち人も現れず、今年も終った。業のようなものだと感じる^^;)
まっ、それはともかく、今年も終わりである。
書く事と言えば、有馬記念である。
なんだかんだと、注文つけても、やはりディープインパクトが負けるとなると、ショックはないが、何かしら寂しいものがあったりする。
線の細い馬だけに、心配はあったが、440kgだとやはりきつい。
この馬体を立て直すのは、並大抵の事ではできないだろう。成長を加味しても、うまく休養させないと、馬体のバランスが悪いままで終ってしまう。
どんな馬でも、馬体のバランスが良い時というものはある。その時こそが、実力の出せる時なのだ。
だが、並の馬だと、そういう時期は短く、一生のうちで一回とか二回ぐらいしか、馬体のバランスが良くならない事が多い。
普段、そこそこ走っていた馬が、突然激走するのは、人気馬が調子の悪い場合もあるが、得てして、数少ないバランスのいい時に、レースをしたからというのもある。ディープインパクトのような超一流馬は、常にバランスの良い馬体を保てるから、強いのだとも言える。それが負けるという事は、古馬との初対決がG1で、一番人気という事も、きつかったからだろう。有馬記念は、今までで一番上手い競馬が出来ていただけに、武騎手のショックも計り知れないものがあったと思う。
シンボリルドルフも、古馬との初対決は、ジャパンカップで三着と初黒星。ルドルフさえも負けた。
ディープインパクトの来年は、試練の時期となりそうだが、あれだけの馬である、必ずや復活してくれるであろう事を期待する。


12/12
■詩を書くブランクがあったからか、これから詩を仕上げる時は、自分の尊敬する他の作品を参考に仕上げてみようかと、最近は考えたりしている。
今まで、そんな事はしなかったし、したくもなかった。
今まで書いてきた自作詩は、多くのものに影響を受けはしたが、例えば本を片手に詩を書いたり、清書した事は一度も無かった。
他者の作った作品を、参考に仕上げてみるにしても、まるでそっくりそのままという事は、これからもしないだろうが、ようは今までもそうであったように、エッセンスや骨組みというものを、今度は意識的に参考にしようかと考えている。
そういう事をした場合、どういう結果になるかは、すでにある程度は分かっているので、自分自身はつまらないものであるが、また違った形で、人の心に印象を残せるのであれば、ワンパターンよりかは面白いのではないか。
その後は、『今日の一言』でも書いた通り、あらゆる自然を基に、作品を作っていけたらいいとは思うが、そこまでする価値が、自分の人生にとってあるのか、また自問自答していきそうな気配ではある。
そういえば、ワードファイルとして、誤字脱字の無い完璧な『詩集アフリカ』を作り、保存していないから、せめて、これもやらねばならないと思うが・・・はてさて・・・。

12/3
■数日前、実に六年ぶりか、詩を書いた。
実の所、「奥底」にしても、今度仕上げようとしている「賢者と旅人」にしても、作品自体は仕上げていなかっただけで、六年前の、詩集を書き上げた余力で書いていたものであった。
それ以降、詩は思い浮かべようともしなかったし、まるで書いていない。
実に幸せな事である・・・たぶん^^;)
それだけ疲れていたのか、はたまた気まぐれなだけなのか、
よく分からないが、なんか来年の夏頃からは、仕事も一段落しそうなので、いっぱい詩を書きそうな予感がある。
詩なんかもう書かなくていいと思っていた時でも、あと一冊分くらいは書いておきたいとも考えていた。
寺山修司が、死の直前に「もっと、短歌や詩をまとめて書いておけばよかった」と、悔やんでいたのを思い出すたびに。
今までは、新作が思い浮かんでも、書く気が起きなかったのであるが、今回は不思議と書くまでに至ってしまった。
それまでは、「賢者と旅人」を仕上げたら、当分、文学はやらないと思っていたのに・・・。
なにかしら、周期というものがあるのかもしれない。
とはいえ、文学以外の『夜話』とか、『一言』とかは、結構書いているんだよね^^;)
今回の新作は短いゆえに、まだお披露目する気にならないので、
発表はしませんが、いずれちょこちょこと溜まったら書き込みます。

10/23
■さて、ディープ師匠であるが、
よくもまあ、あんな滅茶苦茶な競馬で三冠を獲ったものである。
菊花賞で、あれだけ道中引っ掛かり、息が持って勝てたのは、珍しいし、あれは武豊だからこそ、持たせたとも言える。
鞍上が武豊でなければ、三冠は獲れなかっただろう。
でも、ルドルフから21年目の無敗の三冠だったのね。周期的にはOKという事だったのかなぁ^^;)
ところで、今回の大騒ぎで気づいた事は、ネオユニヴァースが二冠を獲って、三冠に挑戦した時は、今日ほど盛り上がってなかった事である。
JRAはダービーの時、ディープ師匠が勝つ前から、東京競馬場にディープ師匠の等身大の像を作っていた。盛り上がりとは、ファンが作るものだと思っていたが、結構、主催者側でも盛り上がってないと、周りを巻き込む程、盛り上がらない事が分かった。今日は、TV局のものだとはいえ、空撮まで敢行している、盛り上がりよう^^;)
つまり、JRAのノリでも、三冠確実といった、風潮があったという事だ。そうだとするとすぐ八百長とか言う人がいるが、G1レースで、それは不可能である。
では、なぜJRAも盛り上がっていたかというと、JRAの競馬に於けるハンデキャッパーが、いかに優秀であるかというだけだ。
競馬にはハンデ戦というものがあり、強い馬、弱い馬に対して、負担重量を重くしたり、軽くしたりして、ゴール前では、横一線になる事を想定してハンデを決める。それを決めるのが、ハンデキャッパーと言われる人達である。
JRAのハンデ戦は、世界でも珍しいぐらい、ゴール前に何頭も並んで、写真判定になる回数が多いのだ。
つまり、JRAでも、ディープ師匠が、同世代では圧倒的に強い事を分析でき、解っていたという事だ。
それにしても、物凄い人の数と、ゴール後の歓声だった。ダービーを、競馬場で観戦した事のある人なら分かるのだが、十何万人の足踏みから起こる地響きや、歓声というものは、凄まじいものがある。今回は歴史的な三冠馬誕生を目撃するという事もあり、ダービー以上だったのではないか。
ミスターシービーの時は、世の親父どもが、シンザン以降、もう生きているうちに、三冠馬は見られないのではないかと、悲観していたから(^◇^)それはそれは、ゴール後も、歓声が終る事はなかった。
今回は、別の意味での盛り上がりもあったのだろうが、武騎手を乗せたディープ師匠舐めのカメラ向こうは、大観衆が手を振っており、夕日に映えて金色に染まり、なにかしら神々しいものさえあった。
まっ、とにもかくにも、ディープ師匠、おめでとう御座います。そして、感動を有難う御座います。私は完敗であります。

だいたい、三冠赤信号と、私が言い出した時から、
三冠確実だったという噂もありますが(^◇^)

10/11
■「三億円事件」感想
いままでの定説だと、『真相はこれだ!』の祝康成氏が書いた、
自殺した少年という事になっていたが、一橋氏はさらに追及して、三人の犯人像を追い詰めた。
ただ、作品中では、かなり決定的な証拠が挙がっていたにも関わらず、何かしら真実というよりも、虚構を味わった読後なのが、不思議であった。何故だろう・・・。
岩川隆氏が言う、政府主導による公安の陰謀という説も、まだまだ無くはないと感じる。ちょうど日米安保継続が決まった三日後に、事件の捜査規模を半分に縮小し、「誰も損しなかった犯罪」と言われたが、アメリカの保険会社の損益を、更に上回る九億円という資金をかけて、この事件に当たった警察は、アメリカからすれば道理があり、日本からすれば九億円をかけて、安保闘争を終らせた、言わばアメリカの為に金をかけて、学生をローラー作戦で摘発したようなものなのだ。
しかし、冷静に考えると、いくら警察内部に精通していたとして、綿密に計画を立てたとしても、こうは上手くいく筈がなく、誰がこの事件を検証したとしても、「運」というものが最後まで味方していたと思わざるを得ない。
警察の初動捜査に手落ちがあったとしても、さすがに遺留品の洗い出しは凄まじいものがあった。それを振り払って逃げおおせたという事は、頭脳だけでは到底無理がある。
捜査は途中から、公安の主導となり、ひたすら三多摩地区のローラー作戦に徹しても、それはやはり、この事件を公安が利用したに過ぎないように見える。
ただ、公安としては、すでに米軍基地に捜査の手が阻まれた時点で(すでに自殺した少年が真犯人だと考えていたとしても)、この事件の真犯人よりも、日米安保締結を優先し、真犯人の捜査は後回しにしたという事実を考えると、まだまだ、CIA→公安→真犯人(公安が計画を持ちかけて実行させた)という、繋がりが見え隠れしてもいいように思う。
あらゆる国の暗殺事件に関わってきたCIAといっても、その歴史にはかなりの失敗もあるが、当時、中野警察学校のさくら寮に拠点を構えていた、優秀な公安との共同作戦だったとしたら、時効を迎えた筈の真犯人が、いまだ事件の真相を隠し続けるのも、頷けるような気がするのだが・・・。
ここらへんの説同士を上手く合体させて、矛盾のないように、誰かしら事件のストーリーを組み立てたとしたら、結構説得力のある、ドキュメンタリーになるかもしれない。自分はそこまでしようとは思わんけど^^;)
ただし、この事件の真相は、黒幕よりも、やはり白バイに扮した男が何者であったのかが、はっきりと判った時、あらゆる謎が解き明かされると感じる。

9/24
■と、ここで一休み。競馬のお話。
世の競馬は、「ディープインパクト」一色。
ナリタブライアン以来の三冠馬誕生なるか! である。
私は、三冠馬とか、歴史に残る事象には、すべて周期というものがあると考えている。ナリタブライアンの時は、シンボリルドルフから十年ぐらい経った後だったので、有り得るかなとは思った。
しかし、当初、私は20年周期ぐらいで三冠馬が出現すると思っていた。セントライトから23年ぶりにシンザンが三冠達成。シンザンからミスターシービーまでは、19年ぶりである。
その次の年にはルドルフであったから、連続して誕生したとしても、やはり20年周期ではないかと・・・。
だから、トウカイテイオーが無敗で二冠を獲った時は、ルドルフから十年も経っていなかったので、
「テイオーの三冠は有り得ない。菊花賞に出たら負けるか、本当にテイオーが強い馬ならば、三冠目の菊花賞には、故障で出られないか、どちらかだろう」と感じていた。
案の定、テイオーは菊花賞前に故障。
ナリタブライアンの時は、他に強いライバルがいなかったとはいえ、ある意味、後方からの追い込みという危なげな競馬。ミスターシービーもそうであったが、シービーは菊花賞までに、ちょくちょく負けていた。つまり、いつも勝っていたとしたら、消耗が激しく、とてもじゃないがクラッシックを勝ち続ける事は出来ない筈なのだ。
ルドルフは、いつも八分の力で勝ち、ゴール前はもう勝ったからと、失速さえしていた。ルドルフは騎手に指図されなくとも、ゴール板を知っていたのである。なるほどこういう馬なら、三冠は有り得るとするが、いつもぶっちぎりで勝つような馬は、そのほとんどが最後に取りこぼしている。
ナリタブライアンも、皐月賞から、どんどんとぶっちぎって勝っていたので、菊まで持たないと思ったが、他に強いライバルもいないし、なによりも、トライアルレースの神戸新聞杯で、負けたから、三冠も有り得るかなと読んだ。
さて、今回のディープ君。過去の三冠馬と比べると、タイプがかなり違う。勝ち方など、ナリタブライアンにタイプが近いが、ブライアンと違ってここまで無敗である。
無敗の三冠馬はシンボリルドルフのみであるが、ディープ君はお世辞にも、競馬が上手いとは言えず、ルドルフとは比べ物にならないくらい、無茶苦茶な競馬をする。
出遅れ、後方をのらりくらり、騎手の指図にも反応が遅い。それで二冠を獲っているのだから、恐れ入るが、どうも三冠を獲れるとは思えない。
だが、普通の馬なら一週間で蹄鉄が減るのに、ディープ君は二週間もつという。軽やかに走っているという事だが、確かに馬体のバランスは秀逸だ。血統も、母方に重厚なステイヤー血脈があり、長距離の菊花賞もこなせる。
さてさて、結論は? なんだかよく分からない馬^^;)
ナリタブライアンから、11年目。
@とりあえず、明日の神戸新聞杯を勝ったら、三冠に赤信号!
A負けて菊花賞に出てきたら、五分五分で三冠達成。でも、古馬での活躍は見込めず。三冠達成後、せいぜい有馬記念に出て、その後は故障引退。
B菊花賞に出て、負けてしまったら、その後の活躍は見込めず。
Cこれからも、長く活躍するような馬なら、菊花賞前に故障。
復帰後、古馬になっても、そこそこG1を獲る。
D無敗で三冠を獲り、古馬になってもG1を勝ち続け、
無敗のまま引退したら・・・、やっぱ有り得ないなぁ。
それに、ルドルフは超えられないな。
頭の良さでは、すでにルドルフに負けている。
と、頑固な私だが、はたから見ていると、随分お茶目なディープ君、なによりも無事、種牡馬になる事を祈りつつ、
本当は応援しているのだ。
「ルドルフ超え」と言うジャーナリズムには反対。
お茶目なディープ君に賛成!
三冠獲ったらその時は「ディープ師匠」と呼ばせてもらいやす。
(^◇^)

9/19
■「一橋レポート」
2000年12月に、ドラマにもなった一橋文哉氏のノンフィクション『三億円事件』という本がある。実に丹念に資料を集め、もちろん自ら関係者や現場に赴いて調査している。
より現実的な犯人像であり、CIAや政府の陰謀説など消し飛んでしまうくらいだ。
この原作を基にしたドラマではビートたけしが主役? を演じている^^;)
たけしはこの一橋氏の原作ドラマに参加しているのに、
『たけしの謀略のシナリオ』などと、知らん顔で別の説である「三億円事件」のテレビの司会をしている。実にしたたかだ^^;)
それはともかく、昨日書いたモンタージュ写真の謎も、警察のずさんな行為とともに追及されている。
実は、銀行員の四人は、はっきりと犯人の顔を思い出せなかったのである。犯人は、皮製のマスクをしていて、口元は隠されていたし、行員四人はパニック状態でもあった。
困った関係者は、既に死亡していた男の遺族に了解を得つつも? 行員四人の最終チェックを採用せず、ほんの少し変えただけの、「モンタージュ写真」を、公表する事になる。
これは、真っ先に疑われた、不良グループの少年に似ていたからだという。
こうなると、謀略説や陰謀説は有り得なくなるが、なにかしら引っかかるものがある。どちらの説も取り上げつつ進めると、矛盾点もあるが、私的には面白い。
特に一橋氏の本で、初めて知った事は、だいたいに於いて紙幣ナンバーが全て判っているから、犯人は国内で金を使えなかったという間違った認識だ。
実は、ナンバーが判っていたものは、五百円札の新札二千枚分だけで、あとは古札だからナンバーを控えようがなく、ほとんどの紙幣が使用可能であった事だ。だが、まさか銀行に預ける事もできず、急にそんな大金を使える訳もないので、確かに国内では使えなかったのだが・・・。

9/18
■「モンタージュ写真の謎」
事件から、11日目。
犯人のモンタージュ写真が公表された。
この写真はすでに、一年前に死亡していた犯罪歴のある、
全く関係のない男のものであった。
では、なぜそんな写真を警視庁は公表したのか?
事件後すぐに容疑者として浮かび上がったのが、当時、三多摩地区で不良グループにいた少年だった。
実際、現金輸送車に乗っていた四人が、口を揃えて
「似ている」と証言。
事件五日後には刑事が少年の家を訪れている。が、その日の夜に少年は自殺。後年、警察関係者が、その時点で迷宮入りしたようなものだと言う人も多いとか・・・。
しかし、筆跡の不一致や、唾液による検査から血液型が判り、この少年とは全て不一致と判定。
ますます、分からなくなる。
なにせ最近興味が湧いてきただけなので、あんまり資料がない。
つづく、が、あんまり期待しないでね。
(^◇^)

8/7
■作りとしては、『時空警察』のほうが面白かった。SFドラマティックに仕上げている事もあるが。
これらは全て、岩川隆氏の推理からなるもので、まず、『たけしの謀略のシナリオ』に取り上げられなかったものの一つに、当時、府中刑務所の所員が、事件の一部始終を目撃していた事に触れている。監視塔から見ていたらしいが、その白バイの男の一挙手一投足が、非常にキビキビしており、一つ一つに区切りがあった。これは警察官、或いは自衛隊の隊員のように、訓練された人間でないと出来ないと思う、と。
つまり、犯人は警察官か元警察官と『時空警察』、或いは岩川隆氏? は推理し始める。
それはともかく、話は日米安保闘争に続くのだが、もう一つ、決定的かな、と思った事に、遺留品が153点もあった中、一番重要なものが置き去られていなかった点にある。
それは、白バイに扮したとされている犯人が着ていた制服である。『時空警察』では、「犯人は唯一、捨てられなかったものがある」と、ほのめかしていたのだが、それが白バイ隊員の制服だったのだ。
捨てられなかった・・・、なぜならその制服は本物だったからだと・・・。ちなみに、白バイそのものは、塗装した偽物であった。
つづく。
なんか、『夜話』みたいになってきた^^;)

7/31
■なぜか最近、「三億円事件」に興味を覚える。
三億円といっても、当時の三億円は、今の三十億ぐらいにあたるとか、、、。
もともとは、TV番組の『時空警察』や、『たけしの謀略のシナリオ』などで、取り上げられていたからだが。う〜ん面白い^^;)
どちらの番組も作家岩川隆氏のノンフィクション小説から、作り上げた番組だ。・・・岩川隆?? お〜、私が若き頃、よく目にした競馬作家ではないか! なるほろ、こういうのも書いていたのか・・・。競馬作家が本職だからなのか、今、検索しても、岩川氏が書いた、三億円事件の本は、引っかからないし、手に入りそうも無い。それにネットでも、三億円事件がらみで、岩川氏の事はあまり出てこない。
が、この人の説はかなり核心に迫っていると思う。
ようは、日米安保闘争を終結させる為に、政府が仕組んだものだというのだが、最初はあまりにも無理があると思った。
日本の政府は、昔も今も、あまり謀略や策略というものに長けてはいなく(江戸幕府は長けていたけど)、露骨に汚職政治を展開し、計算や先読み、秘密主義といったものが皆無とも言える政治だからである。今の政府外交を見れば更に明らかだ。(カミソリ外交と謳われた陸奥宗光は凄かったけど^^;)
だが、『時空警察』にはあまりひけらかされてなかったが、『たけしの謀略のシナリオ』のように、アメリカが噛んでいたとなれば・・・、有り得そうな話ではなかろうか。CIAの策略という事だ。

この続きは、また後日^^;)

7/21
■忙しいだけの毎日であるが、私がネット上で詩を書き込んでから出会った人達は、皆、そういう素振りも見せずに、時には楽しく、時には穏やかに過ごしておられるご様子。
そういうのって素敵です。
私が、詩を以って出会った人達には恵まれていたと感じる今日この頃です。

「君が歌う クロッカスの歌も 新しい 家具の一つと 数えておこう」
〜寺山修司〜

7/2
■忙しいのである。寝る時間も削れてしまう程。
まっ、それはともかく、そういう風にまわりの状況が変わると、
観たくなる映画や本などが変わってくる。
詩なども、自分の状況次第で、同じ詩が、良く感じたり、そうでもなかったりする。
もともと、映画『シェーン』は大好きだが、社会に疲れてくると、やたらと何回も観てしまう。
冒頭の場面の台詞「見知らぬ土地から、見知らぬ土地へのさすらい旅だ」など、台詞がいちいち精神的に嫌な事を吹き飛ばしてくれる。
特に、最後の打ち合いの場面からは名台詞のオンパレードだ。
思うに、黒澤明の『用心棒』や『椿三十郎』などは、
『シェーン』をかなり参考にして作っていたと感じる。
『用心棒』より十年も前の作品だ。
そして日本人は、映画『シェーン』を好きな人が多いという。
そういう日本人が私は好きだ。

6/26
■全日本女子バレーはよく頑張ったなあ。
対ブラジル戦は一度も勝ってないらしいが、一度勝っちゃえば、プレッシャーも無くなるからなぁ。それまでは、壁も高いままかな。今日は、勝てなかったけど、勝ちに等しかったから、これからは結構いけるのでは。。壁が階段になることを願ってます。
是非、「東洋の魔女」を、復活させて欲しいものです。
そういうの好きなんだよね^^;)
「スタンレーの魔女」とか「サイレンの魔女」とか、、、
松本零士の世界ですけど^^;)

6/25
■女子バレーボールを観ていた。
大山選手や栗原選手がいなく、新しい選手がチラホラ。
中でも菅山選手のプレーは、まさに芸術のように美しい。スパイクの速さもさることながら、レシーブは元リベロというだけあって、また素晴らしい。別に女性としての好みという訳ではないが、動きに美しさがあるものは、手放しに賞賛できる私。まっ、見た目も「白い妖精」と言われるだけあって、可憐ではある。実際は違うと本人は言っているが^^;)
バスケットボールでも、ツインタワーと言われ、背の高い同タイプの選手を使ったりするが、大抵失敗している。
実際、アテネオリンピックでの、大山選手や栗原選手はそうであったように見えるが、あれはあれで高さのある攻撃という事でも、世界に対抗しようとしていたと思う。だが、今考えるとそれだけに頼っていたという感じ。
で、今回のメンバーを見ると、一人一人が違った個性を持っていて、持ち味がダブらないメンバーと見た。以前のメンバーだと、せっかくスパイクの才能のある高橋選手などが、すべてメグカナコンビに取られていたように思うし、持ち味が生かされていないと感じていた。だから、メグカナコンビが調子悪いと、すべての選手も、ペースが狂ってきていたようだった。
今回のメンバーは、ブロックも得意な選手を揃えてきたし、皆、レシーブも上手いから、繋がる繋がる。誰かが調子悪くても、カバーできる選手ばかりだ。観ていて飽きさせないバレーボールになっている。
柳本監督は、非常にセンスのあるメンバー構成で、技術力の高い新生全日本を作ってきたと思う。
後は、世界の高くパワフルなバレーに、どう通用するかだが、・・・って、別にバレーボール評論家でも専門家でもない私、
なにを偉そうな事言ってんだか^^;)
スポーツが多い期間は、楽しいです。明日は、バレーの後は、プライドだし(^^)v

6/19
■コクトーツインズは、ボーカルのエリザベス・フレイザーが結婚してから、その活動は現在ほとんどなく、数年前にフェイ・ウォンと仕事をする、という情報だけで今に至っている。
元々、パンクバンドとしてデビューしたコクトーツィンズだが、後にサイモン・レイモンドの加入によって、ガラリと曲のイメージが変わる。セカンドアルバムまでは、耳障りな音を奏でる、どこにでもいるようなバンドだったが、サードアルバム『トレジャー』から、
幻想的で美しいメロディを奏でるようになる。
何よりも、唄っているのに歌詞が無いというのには驚いた。
現夫であるメンバーのロビン・ガスリーでさえ、何を唄っているのか解らないと言っているし、それでいいとさえ言っている。
つまり、リズの歌には「言語」が無くて、人間の発する声や、喉から出る「響き」といったものに、母音や子音を乗せているだけなのである。私はその解説(英語が分からない私は実際英語で唄っているとしか聴こえなかったけど^^;)を読み、即座に、それこそ人間の根源的な「歌」だと感じ、理解した。
エンヤのほうが有名になってしまったが、エンヤのイメージに近い曲と言えば分かり易いかな。私はエンヤは悪いとは思わないが、特に好きというわけではない。何かしら、伝わってくるものが薄いのである。ああいう感じの曲の原点がコクトーツィンズなのである。
もちろん、先に紹介した、「トラディショナルフォーク」のほうが古いが、アイリッシュ系の民謡のようなものが、さらに原点として存在するのも事実ではある。

6/1
■ずーと忙しい(T_T)。
たぶん、年内に「賢者と旅人」は仕上げられないだろう。
『夜話』はなんとか、書きますが。次回書くとすれば、中岡慎太郎の事とあいなりまする。

5/22
■最近のお気に入りアーティストに「Riefu」がいる。
「リエフー」と読むが、最初耳にした時、リエ風?
それともリエwho? なのかな? と変な名前と思った^^;)
お薦めはシングル「I Wanna Go To A Place...」
それはともかく、声がとにかくイイ!
その声色の特徴は、まさに私の好きなブリティッシュトラッドそのものだ。まさか、日本人でそういう声色を持っている人間が出てくるとは思わなかった。ブリティッシュトラッドとは、分野的に「トラディショナルフォーク」と言われるもので、「ジョン・レンボーングループ」が私は一番好きである。特に『ベドラムの乙女』というアルバムは、私にとって決定的なものだった。ご察しの方もいるとは思うが、自分の詩の題名にもした「ベドラム」という言葉は、このアルバムで知ったものである。イギリスのスラング(隠語)だ。
ただし、Riefuが、「トラディショナルフォーク」だというものではなく、影響は受けているかもしれないが、今の所これといったジャンルのない人だと思う。ロンドンの大学にいたという事で、繋がりは見出せるが。
元々「コクトーツインズ」にはまっていた私は、この手の声に弱いのかもしれない。「コクトーツインズ」ほど、はまった訳ではないが、その後、好んで聴いたものは、「メアリー・マッグレガー」「サラ・マクラクラン」「フェイ・ウォン」「クランベリーズ」どれも、ヴォーカルの特徴は似ている^^;)
「コクトーツィンズ」の事は、また後日に。。。

5/15
■そのDVDに、いまだソフト化されてない映画として、
『未来世紀ブラジル』がある。VHSはあるのだが、DVDは出ていない。次世代DVDでは是非出してもらいたいものだ。
(追記:DVDソフト、実は出ていました^^;)教えてもらいました)
監督はテリー・ギリアム、かのイギリスコメディグループ「モンティパイソン」のメンバーの一人だった。
「モンティパイソン」が好きだった私は、そのテリー・ギリアムが、どんな映画を作るのか興味があり、当時公開されたばかりのロードショーを観に行った。
SFだという。テリー・ギリアムは、もともとアニメーターでもあったから、映像も期待が大きい。果たして、いかなる映画か?
観終わった後、映画館を出た私は、渋谷の街を一人歩いていた。
余韻がずっと続いていた。それはアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』とはまた違った、余韻であった。
情報量の多い作品の全体的な良さを解るまで、だいたい一週間ぐらいかかった。そして、その頃には、この映画の凄さが湧いてきた。
知り合いに薦めて、その人も観に行ったが、映画の素晴らしさを理解してくれなかった。何故にあんな素晴らしい映画を理解してくれないのか? 不満だったが、映画評論もしている長谷部日出雄氏が「表現主義の今世紀における最高傑作」と言っていたのを見て、不満も和らいだ。自分でもこの映画のどこが凄いのか、言葉に出来なかったのであるが、なるほど表現主義だったのだ。
例えば、映画にしても小説にしても、すでにストーリーやオチなどは、出尽くされている。では、どうしたらいいか? 演出を凝るしかないと私は結論づける。演出は時代時代に新しくできるからだ。そして、映画に於いては表現=演出と考える。詩作だとちょっと違うのだが・・・。
ストーリーの流れや構成自体に表現を盛り込む、各映像に、より凝った表現を盛り込む。それは役者の感情表現であったり、いままでの映画には無かった動きをさせたり、実写映像の芸術的アート表現であったりする訳だ。それのどれもが『未来世紀ブラジル』は優れていたし、手抜きが無かった!
管理社会がこのまま進むと近未来はこうなってしまう、という皮肉を込めて「表現」している映画だが、そこにカフカの作品のような「不条理」にとまどう主人公を描ききる事によって、観客に感情移入させ、自分も主人公と一緒に悩んだり、解決の道を考えてしまう。
自分が社会に対して、同じような憤りを感じている時、こういう映画は「他の人も同じ目に遭い悩んでいる」といった、一種の共感をもって迎えられるものだが、この映画はそれだけに終らない大変素晴らしい映画であり、私の中でも大事な映画の一つである。

5/10
■巷のDVD闘争は、まだまだ決着が着いてない様子。なぜかDVDを開発した松下がソニーのブルレイディスクに参入と、ソニーはプレイステーション3にブルレイ搭載宣言するなど、混乱と強行な姿勢が見え隠れしている。ただし、プレステ3にブルレイを搭載したとして、DVDをプレステ2に搭載した時とは、事情が違うと思う。あの頃は、デジタル端末が初めて低価格のゲーム機に搭載された為、アナログVHSビデオから一気に安価でデジタル化出来たという背景があった。ブルレイはDVDの延長にしかすぎないから、やはり次世代DVDの方がユーザーとしては有り難いし有利だと思う。
性能は断然ブルレイだけど^^;)

5/7
■ほんと、何がそんなに嬉しいのかしらん(^◇^)


5/6
■5/4久しぶりに姪御ちゃまに会いに行く。
もう、こんなに大きくなりました。
携帯なので少々ピンボケ気味ですが、私が初めて撮りました。


5/2
■随分久しぶりに、詩集からの作品を抜粋しました。
実は、このHPを始めた当初は、本が出てから二年が経とうとしていたので、少しずつ詩集から作品を書き込んでいって、全体のHPを完成させようとしていました。出版社からは「三年間は売ります」と聞いていたからですが、とっくに販売しなくなっていると思ったら、「版が無くなるまでは末永く」と言われ、家族には「まだ、本を売っているのだから、全部を載せない方がいい」という事で、全部を載せるのは止めたのでした。それに、出版社の方にも、まだ権利がありますし。
思えば何故に本を出したかと申しますと、当時は、インターネットが、まだまだ普及していなかったので、知らない他人に読んでもらおうとしたら、出版しか手段がなかったのです。そして、自費出版はしたものの、「校正は二回まで」と決められていて、校正が印刷所から帰って来る度に、ちゃんと直っておらず、結局納得いかないまま本にされ、出版というものに不信感を持ったのでした。そして、インターネットが急速に普及し、ネットの方が沢山の人に読んで戴く手段として優れているとするならば、当然そっちの方がいい訳であり、詩以外の事も書き込みながら、今日に至ったのです。
先日、私の詩を載せて戴いた、平成太郎さんのサイトを観ていたら、関連の自費出版に於いて、「納得いくまで校正をかける」との事。勧誘する訳ではありませんが、これから本を出される人がいたら、是非、そういう所で出された方がいいです。本を出す機会など、滅多にない事ですからね。
その、平成太郎さんが、「もっと詩を載せます」と言って下さり、今回また、詩集から抜粋したのでした。
平成太郎さんもランボォがお好きなようで、きっと、シュルレアリスムの理解も深いのでしょう。私なんかのシュルレアリスムで恐縮ですが^^;)
まだ暫くは、以前の詩集からの詩を消したりして、別の詩をまた詩集から書き換えるといった作業になりますが、ごかんべんを。
本が、絶版になったら、全部載せようとは思いますが。
今回の「真夜中の子供達」については、詩集本と違い、「アトモスフィア」のように、散文詩型と自由詩型との融合形式に、はっきりと変えました。まあ、本との差は、さほど無いのですけれど。これについては、特に校正での印刷に問題があった訳ではなく、場面によって、或いは表現したい文章形式が、同一の詩の中でも変化するのは、当然ではないかと感じていましたので、いきなり、散文形式になったり自由詩型になったりしても、私にはその方が自然に思える訳です。
ようは、その都度、表現するものに最も適した文章形式に沿っているだけなのです。

4/26
■この度、『平成太郎の館』サイト管理者様からメールを戴き、私の詩を掲載してもらう事に相なりました。
ここ最近は、随分と宣伝めいた事もやってこなかったので、
大変有り難い申し入れでした。
私は兎に角、有名にはなりたくないのですが、自分の子供のような詩達を、なるべく沢山の人に読んで戴くのは、嬉しい限りです。
この場を借りて、お礼をさせてもらいます。

4/25
■今回の写真は、米モトローラ社のRAZRという携帯電話の機種。えらくかっこいいし、近未来的デザインがそそる。

これを持っている人が、携帯を取り出すと、皆集まってくるそうである。デザインはSONYから引っこ抜いたデザイナーの設計らしく、モトローラはこれでかなり売り上げを伸ばしたらしい。
もっと、いい写真をと探したのだが、これぐらいしかなかった。私が雑誌で見たものは、もっとかっこよく、目にした瞬間、なぜかtonbori博士を思い出した(^◇^) きっと博士も欲しくなるだろう。
この機種はアメリカのみ使えるものらしく、日本では使えない。
で、日本で使えなくてもいいから、本体だけでも欲しいと思い、検索したら、十数万円するという事で諦めました^^;)
日本の感覚だと、せいぜい二万ぐらいだと思っていたからなのだが、日本の価格だけ異常に安いのかな。
最近、携帯を新しくして、実際に写真を撮ったのだが、いまいちだった。やはり、200万画素でも、人にお見せできる程のものは撮れなかった。今年中には、絶対デジカメ買うです。。

4/18
■毎年この時期は忙しいです。
最近、机仕事、云わばサラリーマンですが、そういう人達と接する機会が多いので、よく感じるのですが、まあ、よくやるな、と。
人格ゆがむ理由も分かります。人間関係がねぇ。
それとか、顧客の対応とか考えると、メンテに於いて不親切なのは、とにかく、クレームが付かないようにする事に必死で、会社内での理念がないという事かな。会社として、仕事として、隙を見せない事に必死で、結局ユーザーや顧客の事なんか、はっきりいってどうでもいいのだなと。自分達のステイタスばかり強調してゆく。それが、運営なのだといえばそうなのかもしれませんが、なんともあさましい人生。やっぱり仕事するなら現場が一番ですな。
まっ、全部の会社がそうという訳ではありませんが。

4/13
■なんか、早くも桜が散ってしまったようで・・・。
写真を撮る暇もなく、終ってしまいました。
私にとって、春という季節は、何故か別れの季節みたいです。
ツルゲーネフでも、読もうかな・・・。

4/10
■僕は、自分と同じ魂を持っていると感じた作家が二人いる。
いや、いた。
一人は中原中也、そしてもう一人は、岡田史子という漫画家だ。その岡田史子氏が四月三日、亡くなられた。五十五歳だったという。青春作家であったから、近年は作品に取り組んではいなかったが、同世代の萩尾望都氏や竹宮恵子先生が、まだまだ現役だし、早いといえば早い。本当に、もう一つの魂を失くしてしまった感覚だ。いずれ、氏の事は話す事になると思う。

3/31
■ちょっと気になった事。
最近、ホリエモンのライブドアが有名になった為か、
以前よりも、無断広告メールが多くなりました。
ですので、ついつい件名が文字化けしているのは、
サクサク削除してます。その中には、このHPを見て、メールしてくれた方の分まで削除してしまったかもしれません^^;)
もし、メールしたのに、返事がなかったという方。すいません。
m(_"_)m
私は、ちゃんと返事をするタイプですので、また気が向いたらメールして下さい。最近、友達から来たメールのアドレスが、文字化けしていたので、ハタと気が付いたのであります。
私がライブドアを利用しだした時は、ホリエモンが社長じゃなかったのでした。こうも騒がれると、ユーザーとしては、恥ずかしいものがあります。これから先、どうなることやら^^;) まっ、あんまり気にしない方がいいのかな。

3/28
■今年も桜が咲く季節になりました。
この季節になると特に思い出す人がいます。
とはいえ、普段から忘れた事は無いのですが。

春に詩うかわりに、写真でも撮ろうかと思います。
本格的なカメラはまだ買ってないので、携帯で^^;)
それでも、200万画素あるみたい。

ランボォの「陶酔の午前」を意訳しました。
小林訳だと「酩酊の午前」とされているものです。
今回の題は宇佐美氏訳からそのままに。
なんか、後半部分はスプリングスティーンみたいだな、と自分で読んでいて感じました。というより、スプリングスティーンがランボォの、この詩に影響を受けたのかもしれません。

3/26
■ちょっと競馬のお話。
地方から中央へ挑戦しているコスモバルク。
オグリキャップやハイセイコーと同じく、叩き上げの雑草魂で人気がある。ま、例のごとく、一般庶民の夢を託してという形で、クラシックや古馬G1に挑戦し続けている。いや、し続けなければならない、といった雰囲気をファンや関係者が醸し出している。
が、ちょっと待ってほしい。
私は素人ながら、長年に渡って馬を見ている。それゆえ、サラブレッドの走り方や全体の体型から、その馬がどういう距離に適しているかが、判ってしまう。はっきりいって、コスモバルクは短距離に適したタイプである。ワガママな気性ではなく、非常にレースに対する優秀な闘争心から、長距離をこなしているだけだと判断している。
適距離は1200〜2000Mぐらいだと思う。ジャパンカップの2400Mを、二着したのは人気薄だからである。今日のような一番人気で2500Mは勝てないのである。
では、なぜゆえ関係者がそれを判らないのか?
総帥とまで言われ、馬見では右に出る者がいないとさえ言われた、生産者の岡田会長までも、中〜長距離G1にこだわるのか?
地方関係者の切実たる思いや、取り巻く不況といった事は分かるが、結局、短距離G1では盛り上がらないからだ。
そして渦中にいる関係者には、バルクがマイラーである事を、認めたくないといった心情があると考える。
当の馬にとっては実に迷惑な話である。

3/24
■最近TVに出演していたのを、観たせいか、中村あゆみの
『翼の折れたエンジェル』にハマっている。
いい歌だったんだな。当時は、ただハスキーボイスなだけで、音域も広くなく、悪くは無いけど、特にいいとは感じない、といった受け止め方だったけど、あの時代にティーンエイジだったのだから、今は感じるものがある。90年代に入って、音楽評論家が、
「80年代はなんの収穫も無かった」と言っていたけど、そんなことはない。実際、現在になって見直され、やたらと取り上げられているのは80年代の音楽である。
十代は結局、つらい思い出しかなかったけれど、
『ブレードランナー』のレプリカントのごとく、たとえ辛い思い出でも、思い出のない人間など、寂しい限りだ。

3/17
■『名言集2』にちょいと、五味語録を。
後は本を買うべし。。。

3/16
■少々遅かったのですが『絶望に効く薬Vol3』が、手元に届く。最近はネットで買うことが多いのだ。
以前にも紹介したこの漫画。実はこの第三巻を待っていた。
五味太郎氏とのからみがあるからである。
この男は凄い。私が普段思っていても、なかなか言葉にする事が出来ない、或いは躊躇すらしてしまう言葉をストレートに言えるし、言っても似合う男である。とにかく、読め! としか言えない。
ん? 口調がすでに感化されている^^;)
ま、五味氏はともかく、他に出てくるというか、山田玲司氏が会いに行く人達全てが、私のお薦めではない場合もあったりするのですが(裏の面を持つ人もいたりする)、大体に於いては、しごく貴重な人々に会っているこの漫画、山田氏の「なんとかしなければ」という気概が、伝わる人生処方漫画である。
それにしても、五味太郎は私の言いたい事を言ってくれる。
泣けるぜ! (>.<) 

3/8
■暖かくなってまいりました。
最近ふと思う事。よく社会に出てからの、人との出会いに於いて、初めが肝心と、強気に構えたり、仕事などでも、言いたい事は言っておいた方がいい、と言う人がいますが、やめたほうがいいですな。たいてい恨まれます^^;) しかも会ったばかりとかだと、かなり後々まで根に持たれます。
言いたいことは言った方がいい、と言う人は、その人だけそれで済むという、いわば面の皮の厚い人でありまして、まともな人なら、煙たがれる事確実です。常に心がけておりますが、自分の性に合った振る舞いをしておいたほうがいいという事ですね。
私もつい人にノセられてしまう場合があるので、特に気をつけております。でも、言いたい事ずけずけ言って、少ししか恨まれない人もいますから、逆に頼もしかったり、羨ましくなって、自分もそうなりたいと、つい感じてしまうのだと思います。中原に対する太宰の思いも、そうなのかもしれません。

2/27
■2/26に書いたものとは別に、新しく夜話のつづきを書きました。
いよいよ、太宰治と中原とのからみです。

2/26
■2/12に書いた『夜話』の「中原中也」に、ちょいと書き加えました。あんまり、小林が可哀想なので^^;)
フォローになっているかどうか分かりませぬが。。
中原は、同時代の小説家や評論家に対しては、「間抜けな文章、ボンクラ」などと、クソミソでしたが、小林に対しては、そこまで言ってなかった感じです。
中原は「一に詩人、二に小説家、三に最低評論家」などと、云わば評論家無用論を言っていたそうですが、それでも小林の文章は認めていたのでしょう。

2/12
■久々に夜話を更新。そういえば、作品に於いて、言葉尻や句読点を、特に私は神経を使います。あまりに気を使いすぎて、気が滅入るほどです。
ですので、こういった日記みたいなものは、あまり気を使いません。そのほうが神経的に楽なので。
句読点に於いては、私なりにルールを決めているので、もし、はてなと思うところがあれば、それは気を抜いている時だと思ってください^^;)
『hitokoto』や、『夜話』なども、結構気を抜いてます^^;)
他は、気合入れて作っているので、ある程度の法則を見出せるかもしれません。ま、たいしたもんでもないですが^^;)
いずれきちんと仕上げるかもしれません。

2/9
■なんか最近、気が付いたのですが、文章の文字化けがちょくちょくあるみたいですね。印刷関係より、ネット環境の方が、誤字がなくてご機嫌な媒体だと思っていたのですが、これではまたまた幻滅です。フォーマットの統一がなってないのかな?
おかしいな、と思ったらブラウザの「
更新」ボタンなどを押してみて下さい。
私などは、作成ソフトで作っている訳ですが、すでに数年前のものなので、バージョンアップしなければいけないのかなぁ?
ヘ(^^ヘ)

2/8
■実際、人間とは、常に動いていないと、体はもとより、頭も鈍ってくるものですな。仕事の無い日が続くと、特に体力がすぐに衰えてくるのが分かります。まあ、ほどよく働き、動くのがいいのでしょうが。
そういった意味でも、プロの物書きさんとかは、机仕事とはいえ、売れっ子となれば、無理にでも働かなければならないし、忙しいとはいえ、仕事が継続的に続くのであれば、身体的にはむしろ良かったりするのではないでしょうか。とはいえ、プロの仕事はやはり大変でしょうけれど^^;)
アマチュアは確かに甘い所があります。が、それならそれで、プロでは出来ない環境とか、アマチュアのいい所だけ、発現させれば、いい仕事が残せるかもしれません。
ただ、アマチュアは、単期で終る可能性が高いですが。
継続が力となりえるならば、やはりプロには敵わないとも思われます。
昔の芸術家などは、パトロンがいた人はともかく、それ以外は、作品で飯を食っていない人が多く、では、なぜゆえ作り続けるかといえば、芸術に駆り立てられていたといえるでしょう。作り、生まなければ、いてもたってもいられない訳です。
私などは、もう以前ほど、駆り立てられないので、はたまた、自分がどういった趣で文学をやっているのかは、解らなくなってきています^^;) まっ、どうでもいいことですけど。
(^◇^)
書きたい時に書き、書きたくない時は書かない、で、やっていきたいと思いますm(_"_)m

2/2
■なんとなく、風邪は治まってきましたが、まだ八分の出来であります。仕事が休みなのが、せめてもの救い。
でもって、『ハウルの動く城』を観に行った訳ですが、キムタクの声は良かったですよ。元々、アクの強い演技をしても、自然さを失わない、役者としても才能のある人だとは、感じてました。役者をする前から、ちょくちょくTVで観ていたので、よく覚えています。
最近は見かけなくなりましたが、豊川悦司もドラマ『この世の果て』で、初めてみた時から、ブレイクすると感じてました。画面から発するオーラみたいなものが、凄かったのです。それは、アメリカ映画『荒野の決闘』に出ていた、ビクターマチュア以来の衝撃でした。仲間由紀恵もそうでしたが、売れる前に、オーラを出していて、そういう人は、周りがほっとかないのでしょう。
などと、自慢話になってしまいましたが^^;)、
話しは『ハウルの動く城』に戻しましょう。
ヒロインが「あの人は弱虫ぐらいでちょうどいい」みたいな台詞を言ってまして、確かに今の時代、男の弱さが浮き彫りになっています。私もそう思いますし、それぐらいでいいのかな、とも感じてます。ただ、弱いばかりでは駄目ですが、男は元々強いとされていて、そればかりが先走りしすぎると、よろしくない訳です。
ここでも、バランスの話になってしまいますが、弱いとされている女性が強いという事は、これバランスがいい訳でありまして、要はそういう事です。
以前、漫画家山田玲司氏の『絶望に効く薬』を紹介しましたが、山田氏が会いにいった人で「今の時代、女よりも男のほうが心配だ」と申されておる人がいました。ほんと、その通りだと思います。
ただし、場所柄か、大手町で颯爽と歩いている女性は、溌剌としてましたが、それ以外の所では、大抵ふてくさった顔の女性が多いようで^^;)、男は厳しい顔か、気の抜けた顔の人が多く、一概には言えませんけどね。
ふてりの入った顔が多い女性達・・・、私的には不愉快な印象しか持てませんが、やっぱ強いんだな^^;)。

2/1
■『ハウルの動く城』を観に行きました。
近作の傾向はみなそうですが、かつての宮崎駿監督作品が好きな人には、いい意味で期待を裏切っているかもしれません。
監督は、作り手として、リラックスして作っていると思われます。昔の作品のように、どうしてもこうでなければならない、といったような、無駄を省いた、説得力のあるストーリー構成にはしていません。なにかしら、監督自身には似合わない、ある意味、自分には興味が無いけれども、みんなが作りたいのならば、みんなで作りましょう、といったような感じでした。
今回の作品で、監督自身が、この映画について、あまり語っていないのも、みんなで作ったから、という理由があったような気がします。あくまで、推測ですが。
脚本は多分に女性が作ったような感じだな、と思ったら、原作がそうでしたね^^;) 何事にも柔らかいというか、繊細な感情の流れが、作品全体に流れています。

1/29
■「人を訪はずば 自己なき男 月見草」
〜中村草田男〜

「向日葵の 下に饒舌 高きかな 人を訪わずば 自己なき男」
〜寺山修司〜

「問われれば 自己なき男 月見草」
〜私〜

なぁ〜んて、遊んだりしてますが、まだ風邪が治らん^^;)

1/28
■なんとか一段落。
と思ったら、昨日から風邪を引いてしまった。
皆様も御気をつけをば。。

1/9
■今月一杯は、多忙につき、更新できません(T_T)。。
ですが、画像くらいは変えませう。

1/1
■私の上に降る雪は、いと貞節でありまして、

私の上に降る雪は、いつ また 果てる こともない、

私の上に降る雪は、たとえば狐の皮衣、

私の上に降る雪は、今日もあしたもあさっても、

私の上に降る雪は、ようやく溶けて朝が来る。

中原調、、、なんちゃって。
それにしても、今日の世界のなんと美しいことか。
世界も心もいつもそうであってほしいものです。


 2004

12/29
■東京は雪が降ったそうで、、、。
わたくしめは、ずっと寝ていたので気づきませんでした^^;)
連日、仕事で遅かったので、久々の休みの今日は、な、な、なんと、十六時間も熟睡という大記録、そして二度寝がさらに五時間、眠れる森のアホツバメ、、、。
だからといって、怠け者ではありませぬ。
でもほんと、これだけ長いと、森の中で寝ているようでした。
TVっ子な私、さあこれから録画していたVを観るぞっと。

12/21
■僕に激しい愛はない。
僕は男だから、至って自然に女性を好きになる。
そりゃあ、人間愛や動物愛、自然愛とかはある。
だから、あるとすれば「激しい恋」になる。
「恋」は「愛」より、持続性が長いものだと、勝手に思っている。
「恋」が来るまで、僕はいつまでも待てる。

12/20
■私はよく、人を笑わせる為に、俗に言うボケをかまします。
が、今日始めて言われて衝撃だったのが「天然ボケ」と言われた事でした。いや、確かに勘違いする時はあるけれど、まさか一連の、そうダウンタウンのようなボケ方を、「天然ボケ」だと思われていたとは、いやはや少々、ボケを飛ばしすぎて、本当にボケていると思われてしまっていたようです。どうも、「笑い」の分からない人には苦労させられますです。
「天然ボケ」は、いわゆる話しの流れを理解できず、勝手に解釈してしまう人の事だと思われます。がしかし、本当に「天然ボケ」の人に朗報! ってほどでもないですが^^;) 失礼! 
どうも現代人の会話は、「主語」を省いて話している場合が多すぎるようでありまして、勘違いする時も多いと思われます。もしこれを読んでおられる方で、「天然ボケ」と言われた人がおられましたら、「主語が足りない!」と言い返してやりましょう。
ご静聴有難う御座いました、はい。

12/19
■皆さん、お久しぶりです。
ほんと忙しくて^^;)
ネットにもあまり繋がらなかった状況でして、、、。
とりあえず、ここで今日の一言をば、
「優れた作品は現実を模倣し、そういう作品は現実が模倣する」
こんなんでました^^;)
『攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックス』を観ての一言。

12/6
■久しぶりの更新と相成りました。
このぐらいの文章なら、せいぜい三十分ぐらいで書けるだろうと思ってましたが、二時間も掛かってました。
思えば過去作品にしても、短時間と意識していたのですが、結構時間掛かっていたのではないかと思われます。
感覚的にはほんと三十分ぐらいで書いた感じですが、始めた時間を珍しく覚えていて、なるほど、実際は二時間掛かっているとなれば、意識よりも体の方が知らないうちに疲れていたのだな、と納得。。
昨日は『K1グランプリ』をTVで観てまして、つくづく「センス」の大切さを感じました。武蔵選手がもうちょっと格闘技に関するセンスがあれば、あゝじれったい、といった感じ。そう、なにごとも、センスなければいかんなと。センスといっても、服とかお洒落のセンスとかではありませぬ。それはわたくしとて、同じこと^^;)
その道に生きる対象へのセンスです。
武蔵選手、疲労困憊は分かりますが、結局勝つ闘いをするのではなく、KOされない闘いをしているにすぎないと。わたくしを含め、批判の多い武蔵選手ですが、ある意味自分にはこれがある、といった必殺技、得意技を身につけて、来年のグランプリも頑張ってほしいものです。今のままじゃ、ジャンボ鶴田の二の舞だ^^;)

11/30
■「世の中に不満があるなら自分を変えろ。
それが嫌なら目と耳を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ」
以前、名言集に投稿してもらい、Laurieさんに教えて戴いた
『攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックス』での台詞。
Laurieさんも言ってましたが、出典はサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だそうです。たぶん、その言葉は
「僕は耳と目を閉じ、口をつぐんだ人間になろうと考えた」
という一節からだというのが、『攻殻機動隊』本編中に示されています。
そして、物語の中心人物「笑い男」は、その一節にこう続けます。
「が、ならざるべきか?」
サリンジャーは『笑い男』という短編も書いていたそうで。
僕はサリンジャーの作品は『バナナフィッシュに最適の日』しか読んでいません。何故その作品なのかというと、当時、漫画で『バナナフィッシュ』とか、佐野元春氏の『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』などがあったので、ではその原作とはなんぞや? という事で読んだのでした。
サリンジャーの隠遁生活は知っていて、憧れてはいましたが、彼の女性とのスキャンダルを聞くにつけ、隠遁とはいってもあまりスマートではないなと感じてました。
作品と作者本人との人間性は別に捉えた方が、その作品を読む上で、障害にならずに済むので、サリンジャーとて、そういうタイプだったようです。
ああいう作品を書いたその背景は、いまだによくは知られてないようですが、なにかしら作品の価値を上げる為、私生活に於いて、作品のイメージを落とすような関係のないことは、伏せておくという意識が本人に働いていたように思います。
それには、過去にお手本があり、ロートレアモンの研究者が必死にロートレアモンの足跡を追おうと努力していたのですが、いつも肝心な所でパッタリと途絶えてしまうそうです。研究者曰く「どうもパリコミューンに関係していたので、そういう敵対者からロートレアモンの記録が、故意に消されたのでは?」と。
ですが、僕はそうは思いません。人の足跡や記録というものは、他人がどう消そうとしても、隠そうとしても、消しきれるものではありません。もし消しきれるのであれば、それは本人が足跡を残すまいとしている時だけです。
いくら他人が隠そうとしても、本人にその気がなければ、おのずと記録は残ってしまう筈。その前に、本人が世に出たがらず、意識的に足跡を残すまいとすれば、まず残るものではないのです。
そして、唯一残ればいいと考えるものは、作品のみでいいわけです。

11/23
■なにかと忙しい日々。
考えてみれば、師走ではないですか。忙しいのも当然なのでした。忙しいと、更新もままならない日々。昔、ある人が「忙しい人ほど何か頼むとやってくれる。暇な人だと、なかなか実行してくれない」などと言っていました。実際わたしなどは、確かにそういう時期もありました。忙しい時こそ、勢いにまかせてあれもこれもこなしてしまう、といったような。ただ、そういう時期が長いと、躓いた時に立ち直れないぐらいダメージを受けてしまうものです。ずっと、エンジンがかかりっぱなしに体がなっているので、ふと精神力が途切れた時など、いっきに肉体へガタがきてしまう。
今は、仕事に集中していればそれでいいし、余裕があればHPの更新もする、といった感じなので、私的には、肉体的にも精神的にも、いい状態といえるでしょう。
ちょっと、風邪もひいてしまいまして、今日あたり姪御様に会いに行こうと思っていたのですが、うつしたら大変なので断念。風邪といっても、喉と少々のだるさだけなので、動けることは動けるのですが。
11月は更新も進むと言っておいて、ほとんどなにもやっておらず、来月は予定がびっしりなので、まだまだ更新が進まないかもしれませんが、こう言ったら逆に進みまくったりして^^;)
ほんと、天邪鬼なのですが、意識的な部分もありはすれど、意図してはなく結果的に天邪鬼になってしまった、という場合もありますので、そこに他意はございません。
よろしく。

11/17
■こんばんは。
なにかと忙しい私です。それにしても、東京は暖かいです。
温暖化が原因なのでしょうか。でも、歴史的に氷河期が終ったのが一万二千年前であります。そして、だいたい一万年から二万年周期で、氷河期が来るのです。今は温暖期なので暑いのは当然なのだそうで、むしろこれから氷河期がくるほうが、確実なのですが、なんとなく、氷河期がくる直前は暑くなるような気がします。
気がするって、非科学的だ^^;)
まっ、学者さんによって諸説あるので、致し方ありません。
暗黒宇宙の中に一粒、青く浮かぶ水の星。
地球環境を気に掛けるのはいい事です。

■10/31で姪御ちゃまのお話しがでたついでに、叔父莫迦な私ゆえの貼り貼りをば。


('◇')ラブリィ〜♪

11/4
■仕事が落ち着いたと思ったら、次々と現れる始末。
まぁ、仕事はあるに越したことはないのですが、HPの各書き込みも、気が乗らないと、まるで手をつけない私なので、せめて仕事が少なければ、それなりに書こうという気にもなる訳です。
ですので、相変わらず更新の進まない日々。
別段、そんなにHP更新を気にしなくてもいい筈なのですが、どうも毎日訪れて戴いている方々の事を思うと、申し訳ない気持ちばかり募るので、なにかしら新しいページを始めて、書き込んでいるという、なんとも本末転倒な感じであります。だいたい、こういう風に書いているのならば、更新できるだろうにと思われるかもしれませんが、あれでなかなか体力使うのです。しかも、今度は「酔いどれ船」の意訳について、言いたい事があるので、解説文を書こうとしている始末^^;) 本当は「中原・・・」の話しや、「中岡・・・」の話しの続きを、頭では書きたいと思っているのですが、体がついていかないというか、精神的にも文章書く気が起きないというか、映画もあまり観る気も無く、本も読む気もなく、文章離れが著しいというか、そう、自分自身駆り立てるものや、充実していくものがないという感じだからかもしれません。スランプは私に関してはないみたいです。
(^◇^)

今日、「ドラえもん募金」なるものに挑戦しました^^;)
なぜか、幼い頃から「偽善」というものに、凄く敏感で、募金なるもののシステム自体に疑問があったわけです。例えば子供達の為になるものは、やる気が起きるのですが、それでもなんか漠然としたものがあり、ある時、ユニセフは葉書とかレターセットを買えば、それが募金になるというシステムに納得し、ちょくちょく買ったりしました。やはり、施しというものは、相手が確かに苦しんでいるとはいうものの、対等な気持ちの上に成り立つものでなければ、参加しにくい訳です。たとえ、私のほうが、生活や健康といったものに、優位があったとしても、それは物質的なものであり、私も相手も、気持ちが対等でなければ、意味を持たないと考えるのです。 とは言うものの、最近は偽善でも、自分に見合った方法で、「施し」というものをしても、何もしないよりはいいと感じてきています。それがたとえ、自分を納得させる為でも、私にそういう権利がないとしても、いいのかなと感じてきてます。ただ、募金詐欺や、相手方にきちんと物資なりが届かないという事が起きているならば、なんとも荒んだ人間が多いという事実に、嫌気が差しますが。
私はテレビ朝日自体の左方向が嫌いですが、「ドラえもん」は好きです^^;) 実に募金しやすいと思いました^^;)
今回は、被災ですので、より身近な危機感があります。
「ほんの少しの水」なら、私でも与えられるのではないかと、
「ドラえもん」に電話しました。

10/31
■今日は久々に、生後六ヶ月あまりの姪御さまに会いに行きました。
それにしても、なぜに姪御さまというものは、こんなに可愛いものなのでせう。無邪気な笑顔がたまりません。
でもわたしはというと、元気な暴れっぷりに、少々お疲れ気味。
姪御さまにとっては、
元気ハツラツ? オフコース! な一日でした^^;)

10/30
■この時期の海が私は好きです。
海水が夏よりも澄んでいて、とても綺麗だからです。
葉山あたりでも、凄く綺麗なのですよ。真っ青な海です。最近は行っていないのですが、昔はよくこの時期になると葉山に行って、ただ美しい海を見て帰るという事をしていました。
昔に訪れた時、ちょうどロケをしていて、間近で三国連太郎を見た事があります。私が三国連太郎を知ったのは、中学生の時に古い映画特集なるもので観た、市川昆監督の『破戒』という映画からでした。三国連太郎の演技が際立っていましたが、その映画で部落民という存在を知ったというのもあります。まさかその時までも、そういった差別があったとは、まだ若かったというのもありますが、大変ショックでした。
日本人は日本人であり、そしてどんな人種でも人間である事に変わりないという認識は、いまだ一部の社会に於いて、認められていないとは・・・。しかしながら、現在は差別を利用する人間もいる始末。善悪どちらも行き過ぎな所に問題があり、差別意識のない若い世代から、ナチュラルな認識を重ねて、広げてゆくしかないと考えます。筒井康隆氏も、苦労した事だし。

10/24
■新潟で大地震がありました。こういう時こそ人間の無力さが身に染みます。自分の無力さも。災害被害を知っても、何もできず、やろうとせず、また日々の自分の生活を続けていくわけです。役割というものがあるとしても、やはり救援に尽力されている方々、被害に遭われた方々には申し訳ない気持ちがつのります。

詩人の川崎洋氏がお亡くなりになりました。存命の詩人の中では、一番尊敬していた人でした。川崎氏だけは、その人柄から、私の中では別格の人でした。

やっと仕事が落ち着きました。朝早く、夜遅くに帰るという、まあ現場が遠いからという訳で、仕事内容はさして大変ではないのですが、来月からは近場ですので、もうちょっと更新も進むかと、、、。

10/17
■昨日のライブで、特に心に染みた曲がありました。
「希望」です。
リリックはまさに、ありふれた日々、日常を歌っている曲なのに、なぜか非常にロマンチックなのです。それに、この曲を歌っている佐野さんの声や、歌い方が、特に私は好きです。ステージでは中央に佐野さんが椅子に座りながら歌い、横で佐橋氏が竪琴のような、それでいて電気的な音色を弾
(はじ)きます。古代の吟遊詩人のコンサートって、きっとこんなふうなのかもしれないなと感じました。

漫画家、山田玲司氏の『絶望に効く薬』という本を買いました。
山田氏が各分野で活躍している人に会いにいくという漫画なのですが、よくあるインタビューものとは趣向が違います。自分を「乗り越えた人」達が、人生に於ける本音を「告白」してくれる、ある意味そういう人達との出会いを約束してくれる本なのかもしれません。
お薦めです。
その中のインドの子供が唄っていたという歌を、名言2に書きました。とっても哲学な歌です。一つだけなので、更新履歴に載せるまでもないと思い、ここに書き込みました。
10/16
■渋谷公会堂の佐野元春氏のライブに行きました。
佐野さんのライブは「ナポレオンフィッシュツアー」での、
横浜スタジアム以来であります。
暫く体調を悪くされていた佐野さんですが、だいぶお元気になられたようで、最近ビデオで観たライブに比べても、今日はかなり元気なライブでした。特にニューアルバム『THE SUN』を中心にした第二部の方が、昔の演奏より良かったという事には、感嘆しました。情感のある歌い方が、今の佐野さんには合っているのではないかな。今回のアルバムは、どの曲も声のトーンが低くて、今の佐野さんには一番歌いやすいと思われます。
結構ライブというものは、その時の場面や状況を、忘れがちで、記憶もおぼろげになってしまうのですが、それは曲に合わせて動いたり、手拍子をするからなのかもしれないと今日思いました。
周りが盛り上がっている中、わたくしめは曲終わりの拍手はするのですが、ほとんど微動だにせず^^;)もともとリズム感ゼロなのと、やっぱり恥ずかしいのとで、ああいうライブでのノリにはいまだついていけません。ですが、そのおかげか、今日のライブはかなり記憶に残っている模様。そういう意味でも、
今日は満足の一日でした。

10/11
■昨日、ダウンタウンの番組を自動録画した中身に、時間がずれたらしく、「東京キャンティ物語」の後半部分が録画されていた。
各方面の才能が集まるイタリアンレストラン「キャンティ」。
かつて巴里にあった「サンジェルマン・デュ・プレ」や、
この「キャンティ」みたいな「芸術が繋がる」社交場は、
やはり時代性が必要なのかなと、感じてしまう。
そう、エネルギーに満ちた時代が・・・。
それにしてもtantanて、知的で美しい人だな・・・。

10/9
■『攻殻機動隊スタンドアローンコンプレックス』の録画したものを、再び観ている。それにしてもよくできた作品だ。本やTV、ネットワークによって、情報と知識があふれすぎ、感覚、聴覚、視覚原野を巻き込み、オリジナルと模倣の区別がつきにくくなっている今の世界を、近未来という形で描きながらも、或いは哲学的でさえあり、人間感情や正義、深層意識といったものを忘れずに、描ききっている。そのプロットからも、卓越した作り手の腕というものが伺えるが、よくもまぁあれだけのモチベーションを、最後まで保ち続けたものだ。拍手ものである。
私の書き込みである『意訳』にしても、どこまでがランボォで、どこまでが、私の感覚言葉なのか、オリジナルと引用と演出が、自分でも解らなくなる時もままあり、こんなことしていいのかと、しばしば恐ろしくなったりしますが、結局、原詩の意味を損なわないよう気をつける事により、なんとか、これこそがランボォなのだというふうに、仕上げているつもりです。ですから、「酔いどれ船」などは特に、原詩の意味からかけ離れている事は少ないので、ランボォの詩はああいうものだと考えて下さって差し支えありません。
・・・たぶん^^;) 弱腰ですな。。

『夜話』での、中岡と龍馬の話しを、tonbori博士に誉められてからというもの、なにかしらそれ関係の本を、再び読み漁っています。いろんな素材に手を出しすぎて、逆に手付かずの中原の話しなどもありますが、いましばらくお待ち下さい。

10/8
■『坂本龍馬』関係の本が届くが、期待した史料はなかった。
『中岡慎太郎』のは、期待どおりでした。
それにしても、史料を拾いつつ、推理していくにつけ、
実に不可解な事件です。およそ私などが、推理に関わらなければよかったと、後悔している次第^^;)
などと言いつつ、なるべくマメに更新せねばと反省もしています。
欲しい史料は、岩崎鏡川の記した関係文書ですが、
おいおい手に入れなければならないと思います。
ちなみに、暗殺実行犯見廻組について、当時、勝海舟は知らなかったと書いてしまいましたが、今井が裁判を受けたその年に、松平勘太郎という人から、自供内容を聞いており、勝海舟自身の日記にしたためてありました。すいません、はいm(_"_)m

10/4
■こんばんは、いつも事の始まりは勢いのある私です。
されど、基本的には追い込み型であります。
今日、秋刀魚の丸焼きを食べました。
今までは、切り身でしたので、丸焼きは始めてです。
これが美味しい。切り身を焼いただけでは、苦味が強く、
丸焼きにすると、あまり苦味が無いので、美味しゅう頂けます。
わたくし、魚を綺麗に食べれません。なにかしら、見た目、グロテスクな部分を弾いて、身だけ食べてしまうので、食べたあとが汚くなる訳です。秋に向け、といっても暦上はとっくに秋ですが、空気も乾燥してきます。皆様も火の元には、お気をつけを。
「火の用心。サンマ焼いても、家焼くな!」

10/3
■これは、日記というわけでもないのですが、
日記と構えると、なにかしら手軽に書けない部分があり、
ほんと、日々における独り言のような感じです。
そのほうが、気分的に手軽なようで・・・。
でも、これも毎日というわけではないと思います。
すんません。

そんな事を書いていると、中原が非情に筆マメだった事を、
思い出します。私はそんなことないですが^^;)
こんな事まで書いているのか、というぐらいだったそうで、
さてさて、そのような内容は、数年前だったか、
『中原中也全集』なるものが、確か、二、三巻になって、
出版されていたので、それを購入すると分かるかもしれません。
凄い値段でしたから、私は当分買えませんが。

10/2
■最近は、「量子力学」の本を読んでいる。
「量子力学」は「相対性理論」が無力になってしまう世界です。
私は数学が苦手で、数学的頭も持ち合わせておりませぬ。
ですが、何故か物理は面白く感じます。
詩に数学的な要素を取り入れると、内容にキレが出てきます。
少しずつですが、私の詩にも、そういう要素が入りつつあります。
もとを正せば、「ミッシング」の後半部分のような、逆説的で、
数学的素養は、リンクさせて戴いている海月氏の発する「言葉」から、私なりに発展していったと思います。彼との出会いに感謝。

東京は急に寒くなりました。皆様もお体にお気をつけ下さい。

10/1
■仕事が忙しい。
それなりに時間はあるののですが、仕事疲れの為、なかなか更新できずにいます。
出張などある仕事は選んでこなかったのですが、
生活の為致し方ない感じ。

「坂本龍馬関係文書」が安く手に入るかもしれません。
あと、「中岡慎太郎」関連の本も。
まだまだ、先は長くなる話ですが、少しずつ核心に迫っていきます。とはいうものの、あくまでも説ですから、
そこら辺をお忘れなきよう。m(_"_)m

ここ数年、本らしい本を読んでない私ですが、読書の秋、
ある方が申します所「読書とは、心体を休める時間」とか・・・、
皆様も、よい秋をば、お過ごし下さい。

9/18
■MP3レコーダーを買った。ハードディスクタイプ5GBの1250曲ぐらい録音できるやつだ。大きさは、MDプレイヤーと同じくらい小さい。最初はアップル社のIPODにしようかと思ったのだが、色々調べて、やはり日本製がいいとなり、東芝のGIGABEATにした。一つ前のタイプだが、最新のはIPODを意識してか、デザインが似ている。仕様的に前ので充分だと思ったからだ。買ったやつは、横のボタンにより、片手で操作できるとの事で、決めたのだが、少々ボタンが押しづらい^^;)まっ、慣れが必要かな。購入のきっかけは、車でも聴けるし、なにしろテープとCDが、車内でやたらと、かさ張るからだ。バッテリー充電で、11時間再生出来るとなると、これしかないと決めたのだった。車ではFMトランスミッターで、音を飛ばそうとしたのだが、どうも無線は信用できない。カスタマーレビューを見ると、やはり評判が悪い。で、昔は馬鹿にしていたカセットアダプターにした。デジタルカセットアダプターとかいうやつ。普通のより千円高いが、良さげなので、それにした。実際それで再生してみたが、なかなか良い。まっ、贅沢を言えばちょっと平坦な音だが、MP3の音自体がそうなので、ある意味忠実に再生しているともいえる。中の上くらいの音である。あとは、車でセットしやすいように、配線をレイアウトすれば、そんなに苦にならないだろう。新しいMD付きのデッキに買い換えなくて良かった。カセットプレイヤーは、まだまだ使える! カーコンポだとやたら高いし、メーカーは未だにCDで圧縮するMP3か、SDカードで再生するものしか出していない。HDDタイプはあるが、十万以上! もっと安く作れるだろうに、アホらしくなる。
でも、所詮は圧縮された音、ノーマルCDの方が断然音はいい。もしこれから買う人は、便利さを優先で、音は期待しないほうがいいでやんす。ひどくはないけんどね。
8/16
■今日、生まれて初めて納豆なるものを食す。実のところ、あのネバネバや、匂いが気持ち悪いので、今まで食べた事がなかったのである。が、納豆好きの知り合いが、「醤油をかけたら食べれるのではないですか?」などと言うから、つい今日手をつけてしまった。私は醤油があれば、たいていのものは食べてしまうのだ。家人は、避暑で居ない。台所に行くと納豆が置いてある。ご飯は昨日の残りがある。では、やっつけてみるか! となったのだ。いざ食べてみると、んっん? やはり大して旨くない^^;) あゝ、今まで食べずに貫き通してきたのに、もったいない(>.<)  煙草もある意味、逆の意味、意地で吸い続けているようなものだ。今更禁煙なんて、ポリシーが許さん。というか、煙草は美味しいのだ(^◇^)
8/15
■オリムピック真っ盛りである。お盆だからという訳ではないが、今回のオリムピック期間中は仕事がな〜い。じっくり堪能できる、あゝしあわせ。。全然関係ないが、我が家の炊飯器は、最近、サンヨーのIHジャーにした。物凄い蒸気を出すのだが、優れものだ。ブロードキャスターでやっていたのだが、サンヨーには「お米博士」なる人がいて、なんとか釜炊きのご飯を食べたいが為、料亭に通い詰めて、釜炊きの原理を研究し、IHジャーを開発したのだそうだ。むむっ、(カビラジエイ風に)信用できるではないか。実は、私も我が家では、お米博士なのだ。ご飯を炊いたら、我が家では一番でR。水加減とかは、実にデリケートに扱う。まっ、いくら炊飯器の性能がよくても、お米自体がだめならばしょうがないから、家ではとにかく、新潟の米しか買わないよう言いつけてあ〜るのだ、ウォッホン。。。
8/14
■最近、この日記は、姪御様の成長日記となりつつあるが、いいのである。先週から二週間、ずっと滞在していた姪御様であるが、とうとう今日に、帰ってしまう(T_T) 実のところ、昨日からやっと私に懐いたばかりなのに。コンスタントにニッコリしてくれたのだった。運命とは実に皮肉なものである。束の間の幸せだった。でもそれでいい。私とは? そういう運命なのだ(^◇^) 
また、会おうね、ぷっぷっ〜(∂。∂)
8/12
■先週から、今週いっぱいまで、姪御さんがきているのである。なんでも、妹がお習い事をするみたいで、実家からの通いなのだそうだ。そんなことはどうでもいい。見るからにお目々ぱっちりになった、我が姪御さんは、かわいいのだが、あいかわらず、懐いてくれない(T_T) だが、路で車を見せたり、口笛吹くと喜ぶのである。子供は偉大だ。仕事が終わり、家に帰るのが楽しみでしょうがない。よく、子供の写真を葉書に載せて、送って来る親がいて、ウザいと思っていたのだが、まあ、気持ちが分からないでもない。
ということで、、、
  
たまにしか、微笑んでくれない姪御さま。はやく懐いてクレヨン。。。
6/25
■このところ、特に腰の調子がいい。それはひとえに低反発ピューロマットのおかげだと思う。寝ていても疲れないのだ。科学の恩恵はどんどん受けよう。ヘアドライヤーも、マイナスイオンドライヤーに変えた。これがまた凄い。確かに、髪がパサつかない。ヒートで使っても、痛みがないのでR。。ボリュームがダウンするので、私にはなかなか重宝なのだ。
この前、久々に、姪御さまのとこへ行きました。うちのババちゃまには、やたらと愛想がいいのですが、わたしにはなんかポケ〜としてしまいます(T_T) なぜかしらん。。ウケが、ババちゃまより良くありません。前はそうでもなかったのにん。
こ〜んな感じ↓
 ほげ、、、ぶちゅ? (^◇^)
上のお写真は、まだ実家にいた時のもので、最近はお毛々が、ぴんぴんとした長さだす。なぜか前の方だけが、いまだにおじさんみたいに生えてない^^;) 暫く笑わせようと遊んでましたが、こっちも疲れてきたので、おねんねさせようと抱っこの連続。普通に抱いていると、泣き出します。立ち抱っこさせないとだめみたい。両のお手々は、しっかりとわたしの服を握り締めてまふ。その時、はたっと気づきます。そうだ、赤ちゃんはミルクの匂いがする筈なのに、今まで全然しなかった。。それが、その時初めてしたのです(☆。☆) なんと、ミルクのにほひは、頭からするのでした。
6/6
■六月六日は雨ザーザー。。
最近買った「ボイスレコーダー」は活躍しているのだが、吹き込んでも文章にするのをおっくうがっている自分がいる。買った意味がない^^;) いや、意義はあるんだけど、なんかやっぱし、文にしようとすると気合が知らず知らず入ってしまって、エネルギー持っていかれちゃうんだよね。その点、この日記はまだお気楽だから、ホッとする。『意訳』も、気軽に遊ぶ程度で訳そうとしていても、なんか本気になっちゃうし。
ところで、家族が写真を整理していたら、もう死んでしまった我が愛犬のお写真が出てきました。愛犬家さんのHPとか見ていると、必ずお写真を載せているので、羨ましかった今日この頃。早速、スキャナーして載せようと思い立ったのでしたん。
写真は妹が撮ったもので、私も以前、撮ったことがあったのですが、あまりの可愛らしさに、その写真は行方不明。生まれて間もない頃の写真で、おっちっちしていて見つかっちゃった、、、みたいな感じで振り向いている写真だったのですが、どこかにいってしまいました。
子供の頃は狸みたいだったのですが、大きくなったら、凛々しくなりました。今回の写真は、大きくなってからのもので、妹の意図した通りに撮れたみたい。
  題:花とタンタン (^◇^)
5/23
■一週間の出張に行ってきました。普段は断るのですが、今回の仕事を引き受けた時は、出張があるとは聞いてなかったので、致し方ないです。一度引き受けたからには、多少の事があっても、文句を言わない精神なので。。
今回の仕事自体、疲れる内容ではなかったので、余裕だったです。長野全体に、行って来たのですが、特に「白馬」は綺麗でした。眺めがよろしかったので、ほんと、デジカメで撮りたかったです。私の携帯は、カメラ付きですが、画素数が低すぎて、人物でさえ、真っ暗にしか撮れません(ーー;)
山頂は雪が残っていて、そこだけ撮れば「スイスに行って来た!」と言っても、信じてくれるぐらい絶景かな! あっ、絶景かな! でしたん。白樺湖近くのペンションがまた素晴らしく綺麗で、仕事に来た感覚を失いかけましたよん。
というわけで、近いうちにデジカメ買うです。とりあえずは、本格的なものではなく、それなりに高性能であり、持ち運びに便利な、超小型のやつをば探します。そして、街の風景も、自然の風景も、撮るだす!乞うご期待
ところで、昨日、「ボイスレコーダー」なるものを買いました。これは前々から考えていた事だったのですが、なにかしら、言葉が浮かんだ時、すぐにメモに書いたとしても、書いているうちにインスピレーションが逃げてしまい、最初に思い浮かんだものとは、かけ離れてしまう部分があったからです。それにしても、なんとか文にしてきて、そのほうが逆に良かった部分もあったのでしょうが、ここはひとつ、声で直接保存しておけば、一番最初のイメージ通りになるし、書いているうちに追いつかなくなり、インスピレーションを忘れてしまうという事が無くなる為にも、随分よろしいという事で、購入に至りました。とは言っても、最近は「そこまでして文章を書かなくともいい」という感じだったのですが、「今日の一言」による、自戒とポリシーの発展の為に、購入に踏み切りました。ですので、これからは、もちっと、ペースが進むとは思います。詩は、まだやる気が起きないので、当面は「今日の一言」用に尽きますが、なにより『ツインピークス』のFBI捜査官役、カイル・マクラクランみたいで、カッコよくもあります。
5/15
■ネットで安く売っていた「低反発ピューロマットレス」なんぞというものを買った。最初は、普通の敷布団の上に敷いて、使っていたのだが、どうも効果が薄れているようなので(ようは敷布団が柔らかい為、ピューロの性能が引き出されないのだ)、思い切って(それほど力む事ではありませぬが^^;) やや硬いベッドのスプリングマットレスの上に、直接敷いて使ってみる。と、これが実に目覚め爽やか、腰、背中も痛くないのでR。。朝起きて、疲れもきっちり取れているのだ。さすがNASAが開発した素材だけある。寝るのは好きなのだが、いままでは毎日、朝目覚めると、腰や背骨が痛かった。あ〜、もっと早くに出現してくれれば、良かったのに。でも、今は快適睡眠なので、ほんと助かった感じでRよん。
4/8
■ふぅ〜、、、毎年この時期は忙しいとはいえ、去年よりもずっと今年は忙しいです。ピークは五月の連休まで続きます。未だ、「夜話」などが更新されてませんが、今しばらくお待ちくだされ。。どうも、肉体労働なので、体が疲れると、文章作る体力も失せてしまうのです。
今日、コンビニで、手塚治虫の「怪奇短編集」なるものを買いました。たぶん、収録されているだろうと思い、手に取ると「やはりな・・・」でした。小学生の時に読んだ『すべていつわりの家』が、収録されていたからです。この作品の内容と、まったく同じ事を、幼い僕は信じていた時期があったのです。もちろん、これは一時的に信じていただけですが。それは僕自身、自意識過剰なのではなくて、僕以外の人の意識というものが、よく感じる事が出来なかったからなのです。僕の感じている事、考えている事、それが他の人も考えて感じているとは、とても思えなかったのですよ。他人って、その時は、表面的な事しかしゃべっていないから、というか。真に相手の意識、或いは体に、自分が入っていって、完璧に他人の意識が、自分に感じる事ができれば、そうは考えなかったのですが・・・、ありえませんけど^^;)。
例えばその頃、自分の正面で、二人の人が僕を見ずに、しゃべっていたとします。で、僕がきびすを返し、僕の視界から、その人達が見えなくなった時、その人らは、「やっと視線の外に自分らをはずしてくれた」といった感じで、僕の見えない所では、リラックスしているというか、出番が終った役者というか、一休みしているといったとこです。今思うと、奇妙な事を考えていたなと思います。今となっては、むしろ他人を感じすぎる所がある私ですがね^^;)
手塚治虫は、そういった人間が感じるあらゆる感覚を、理解し尽くしているというか、それをまた作品にしてしまうとは、さすがにやはり巨匠ですな。そして、この作品の主人公のように、周りが実は??だったというまさに作品内容そのものの恐怖感も持ったりしたのでした。だから、幼かったわたくしめは「なぜ手塚治虫は、知っているのだろう。いや待てよ。手塚治虫もそう考えたという事は、やはりこれは現実の事ではなくて、想像にすぎないのか」という事で、幼きわたくしめの悩みはだんだんと、解消していったのでした。アホ??(^◇^)
3/25
■いつも行く、食品店に「ピヨピヨラーメン」というものが売っていた。思わず買ってしまう。peaしゃまはお元気かしらん(T_T)
もうすぐ、妹が婿殿のとこに帰ります。赤ちゃんも当然一緒だす。さびしー。まっ、大きくなって、また遊びたいものですん。
3/10
■ふぅ〜、今日は久々の休みでした。最近、特にこの時期は忙しいので、大変です。
休みということで、( ̄一 ̄)またまた、沐浴見学です。今日はご機嫌が悪くて、ずっと泣いてました。私は赤ちゃんのお目々が開いたとこを見た事がありません。ですので、犬っころと一緒で、生まれてすぐには目が開かないと思っておりました^^;) よくよく聞くとおっぱいと、しもの時は起きて、後は寝ているからだそうです。それで、目が開いている写真を見て「おっ、いよいよ目が開いたな」などと言ったら、そういうふうに教えられまひたん。
よく抱きぐせがつく等と申しますが、それは違います。お袋も「あんまり抱かないほうがいい」と言ったのですが、妹はちゃんと知っていて、「スキンシップはいいの!」とキレ気味でした^^;)  赤ちゃんから幼児期までは、とにかくスキンシップをすることです。そうすると、脳の成長や情緒といったものに、大変いいということが、医学的にも証明されてます。これはでも、学習しなくとも、なんとなく解るものだと思いますが、欧米などでは、早くから親離れをさせるところから、ああいう犯罪国家になったのかもしれないと考える程です。それと、母親の子育て拒否という問題は、母乳を飲ませない所から発生することもあるそうです。つまり、母乳が出ないという理由から、哺乳瓶ばかり使っていると、母親の母性も育たなくなるそうで、母乳が出なくとも、おっぱいを飲ませる事で、母親は子に対しての母性が発生するとの事らしいです。
今日の赤ちゃんは、お目々が開いていて、というより起きているのか、私の顔を見てくれました。おもちゃがないので、とりあえず手を広げたり、グーにしたり、とんぼを捕る時みたいに、くるくるまわしたりしたら、その時だけこっちを見て興味深げでしたん。
こ〜んな感じ
           ひゃっひゃっひゃっ、('◇')ラブリィ〜♪
3/3
■今日は、沐浴見学です。・・・でも、ビデオカメラを撮るとかで、私はカメラ撮りを押し付けられる。。そっちに集中してしまい、印象薄い。赤ちゃんの髪は濃い。あんま生えてないのに、いい髪の毛してます(^◇^) それでも、お顔の変化が見れました。お洋服を脱がされると、一瞬泣きそうになります。ありゃりゃと、こっちも辛くなりそう(T_T) でも、湯船につかると、気持ちよさそう。まだお目々は開いてないせいもあるのですが、気持ち良くって、ぴくりとも動かない感じ。お風呂好きなやつみたいん。
夕方になって、こっちも慣れてきたので、だっこさせてもらいましたん。首が据わらずおっかない。ずーと見ることができて、大満足。抱いている間に、目を閉じたまま、二回ほど笑った表情をしました。母曰く、八百万の神さまがあやしているのだとか。
それにしても、なんともいえない、人間の持っている中での、最高の笑顔を見た気分。命とは尊いものだなぁ。

3/2
■今日はしっかり、赤ちゃんを見せてくれました。最初見ていると、丁度もごもご動いてくれました。目を閉じて寝てはいるのですが、首を右に動かした時、なんか笑ってましたん。きゃわゆい〜ん(^◇^) で、再びじっと見ていると、急に両腕をパッと突き上げて、一瞬踊っているかのように、動いたので、姉と一緒に大笑い。少し声も出してました。今はとにかく大声をあげるなとか、TVをつけるなとか、大変ですが、僕が大笑いしても、おとなしかったです。最後は、妹の機嫌もよかったからか、だっこして見せてくれましたよん。ちっちゃいので、怖くてあまり触れませんでしたが、ほっぺはぷるぷるねん。
明日は仕事がないので、お三時から、沐浴を見学します(^◇^) もっと、声が聞きたいなん。。
3/1
■風邪っぴきながら、久しぶりに車に乗ったので、あいもかわらずお歌を唄う。・・・すると、おぉ! 声がぁ! 声が十代の頃の声に戻っている!! か、感動〜! アホですな(ーー;)  自分で唄っていて、ほんと感動しちまったよ。きっと、風邪で喉のイガイガが、痰と一緒に洗い流されたのだな。キチャナイ話し(^◇^) やはり、煙草も酒も、喉にはよろしくない。それまでは、酒が特に悪いと思っていたけんど、まあ若い頃は回復力があるので、酒、煙草をやりすぎても声に変化はなく、むしろいい感じで、シャウトできていたのだが、歳とるとすぐに酒の影響がでるし、煙草も声量を落とす原因になるということだす。
今日は、赤ちゃんが、お家に来ました。しばらくは居るみたいだけんど、どれどれと見ようとしたら、妹にシャットアウト! いまさら退院して、浮世に出たというのに、雑菌がうつるとかで、触らしてもくれん。兄上をバイキン扱いかい!!(-"-) 強引にお顔だけ拝ませてもらったのだが、・・・ち、ちっちゃいん〜。。生まれたての子をみるのは、初めてだす。確かに小さすぎて、触るのが怖い。なんとか、動いているとこを見たかったのですが、今度隙をみてじっくり観察してやるだす。
でも、ちょっとお口が、もにょっと動いていたよ。
2/28
■近頃、風邪っぴきでして、今までは、薬を飲まずに、ごはんを食べるだけ食べて、自然治癒させるのですが、今回は、丁度仕事が重なり、致し方なく、風邪薬を飲みました。普段、お薬は絶対に飲まないので、ごくんと飲んだ瞬間から、まあ効く効く。。ひき始めだったので、そんなにひどくならずに済みました。病院と薬は嫌いです。社会に出た時、同僚が風邪で病院に行くと聞いて、びっくりしたことがあります。風邪ぐらいで病院に行くの?! みたいな。。我が家は、みんな風邪ごときで病院には行きません。家族そろって、病院に入ると、なおさら悪くなる、と考えているようです。そういう環境のもと、育ちましたのでん。
お薬は、前に下痢が酷かった時とか、酒の飲みすぎで、胃の調子が悪かった時とかは、胃薬を飲んでいましたが、その時だけは治って、すぐまた悪くなるし、そのうち、正露丸でも効かなくなり、やめました。やはり、お薬は、根本的な治療にはならないと体で知りまして、ある時、飲むヨーグルトを飲んだら、暫く調子が良かったので、三日に一杯、そのうち一週間に一杯と、そんな感じで、思い出した時だけ飲むようにしても、ずーーーと、胃の調子が良くなったので、やはり薬なぞは、絶対的に信用しなくなりましたよ。皆さんも、病は胃からということで(^◇^)、なにかしら調子が悪かったら、ヨーグルトをお勧めします。特に普通のヨーグルトは、意外と効き目が飲むヨーグルトよりは無いので、スプーンでかき混ぜて、液状にすると、飲むヨーグルト並に効きます。実はコレ、金縛りにもいいようです。昔、二十歳代の頃、環境の変化もあったのか、金縛りにあうようになりまして、自分でもびっくりした経験があります。元々、そういうことには、全く縁がなかったし、それが霊の仕業とは思ってなかったので、特にそうなっても気にしていませんでしたが、ヨーグルトを飲むようになってから、治りました。最近、金縛りになりそうになり、目を覚ましたのですが、その時に、胃が痛くて、食あたりのような症状だったのです。すぐにヨーグルトを飲みました。で、その後は、ぐっすり眠れました。どうやら、普段でも、睡眠に入ると、胃の機能が低下するので、さらに胃の調子が悪いと、睡眠中の体の調子悪さが脳に伝わり、金縛りにあうようです。
胃の他にも、なにかしら体の調子が悪いと、特に睡眠中は体の変調シグナルが脳に伝わるようですから、これは、さすがに検査とかしたほうがいいように思われます。私は、ヨーグルトで治しましたが(^◇^) ヨーグルトが苦手な人は、なんか好きなフルーツの入っている、口に合いそうなもので、試してくだされ。

三月になったら、妹が退院するそうで、赤ちゃんも当然一緒に来ます。おほほほほ、楽しみぃ〜(∂_∂)〜♪
2/24
■無事、お生まれになりまひたん。よかよか、よか事ですたい。早くお披露目の日にならないかなん。(∂_∂)〜♪
2/23
■今夜、生まれるみたい。どうやら、姪っ子みたい。ほんと、いつの間にか、時は過ぎ、あっという間に、春うらら。って、まだ寒いけど(^^;)  こうなったら、蝶よ花よと育てませう。といっても、しょっちゅう居るわけじゃないけどさ。。ばぶぅ。
2/7
■最近買ったタオルが、なかなかイイ。へちまみたいにザラザラしているやつで、昔からあったんだけど、買ってみた。小さい時はけっこう使っていたのだが、未だにあるという事は、やはり需要があるのだろう。ピンクと青の二種類あるやつだ。これは結構泡立ちがよく、そんなにゴシゴシ洗わなくとも、古い表皮が落ちる感じ。そのあと、スキンミルクを使うと、標準ニベアを使わずとも、痒くならなかった。やはり、古い角質が原因だったのね。更に、風呂上りにポカリスエットを飲む。むむむ、もしかしたら加湿器を使わずとも、これだけでイケるのでは。。。ちなみに、アクエリアスはあんまり合わない。以前、バスケをやった後、夏場でアクエリアスをガブガブ飲んだらお腹こわした。ポカリもガブガブ飲んだが、そんなことはなかった。ポカリのほうが吸収がいいのだろう。今までは、夏こそスポーツドリンク! というイメージがあったが、考えてみれば冬のほうが乾くのだった。
1/26
■NOVAうさぎが、本当に欲しくなる。。。なんか、ちっちゃいぬいぐるみキーホルダーみたいなやつ。ぶあいそな奴。
1/24
■録り溜めしていたTV番組を観る。『HEY! HEY! HEY!』に松山千春が出ていた。しゃべりがおもろくてこの人は好きだ。歯に絹着せないから、辛辣だが、もっと言ってー、というのもあったりするのでは。。「恋」も歌ってくれたりして、なかなかカフェの私ともリンクしていて、リアルタイムな感じ(^◇^) その話しの中で、今の若いミュージシャンの声が出ない事について話していた。曰く、普段、大きい声を出さないからだと。自分は、バケットボールをやっていたから、よく大きい声を出していて、自然に声が出るようになったと。なるほど、団体スポーツでの、声の掛け合いでも、声の強化になるのだな。よく解る話しである。歌声というものは、声が大きいのを気にして、自ら抑えて発声すると、訓練どころか、声帯を悪くしてしまう。むしろ、声がつぶれてしまうのでは、というぐらい、遠慮せずに、しかも低く大声を発すると、声量というものが身に付くのである。ただし、高音の発声練習は、ほどほどにしたほうがいい。低く大きく発声すれば、高い声は、ちょっと練習すれば、すぐに出来るようになる。まあ、これはプロでもなく、バンドもやっていない、自分の経験からきているものだが、同じ人間の体の特性として、間違ってはいないと言い切れる。
松山ちーさまは、高い音域を、鼻声でごまかす所があるので、必ずしも、歌が上手いほうではない。ただ、声はさすがに出ているなと感じる。たぶん、ライブでもちゃんと出ている筈。よく、録音ものだとイイ声なのに、ライブだとイマイチ声が出ていないという歌手は、声量が足りないのである。リンドバーグのボーカルの子は、鼻声なので、歌が下手に聞こえるが、それは正しいとしても、ライブでの声量のあることにはびっくりした。女子では、声量のあるほうである。宇多田ヒカルはTVでのライブでも、エコーがかかっているので、イマイチ分からんけど、声量があるとまではいかなくとも、無くはないなという感じかな。男子だと、チューブの前田氏は、声量あると思う。いつだったか、TVで、氷点下の中、アカペラで歌っていたのを観て、なかなかああいう環境では、声が出るものではないなと。
ただ、歌というものは、声量だけで決まるものではないという事は、よく理解しているつもりでやんす。
1/7
■暇なのと、乾燥肌がまた酷くなってきたので、電器屋さんに行く。やっぱり、歳なのかもん。。。ただ、東京はずっと乾燥注意報が流れていたから、致し方ないのかもしれまへん。という訳で、ハイブリッド式加湿器を買う。これがまたイイ感じ。マイナスイオンもでるし、加湿の方法も二段階あるし、なまぐさな私の為? にお手入れ時期を知らせてくれる機能もあるわで、満足なのでした。
この時期、毎年乾燥肌になるので、ニベアが欠かせまへん。ただ、小さい時も、手のアカギレが酷かったので、もともとそういう肌体質なのかもん。今年はニベアのお高いボディミルクを買ってみたのですが、効きませんでした。。でも、つけると凄くイイにほひ。続けようかと思いましたが、痒さには勝てず、ノーマルのニベアをつけて治りました。冬場はどうも、汗をかかないので、あんまりゴシゴシ洗わなくてもいいかなと思ってましたが、ちょうどTVで、「キツく洗って、クリームをつける」などとやってたので、そうか、新陳代謝がままならないこの時期は、むしろゴシゴシ洗い、その後でクリームを塗ればいいのか、となりました。ただ、私のばやい、スキンミルク程度では、効かず、ノーマルニベアで治った訳ですが。。。
電器屋さんは、店員が寄ってこなければ、こんなに面白いとこはないです。あちこち、冷やかしたあと、DVDコーナーに行きました。サービス期間のDVDソフトが1500円で売っていて、見てみると、『理由なき反抗』には、特典映像として、ドキュメンタリーや、カットした映像まで含まれているとの事。買いました。これは、凄くお薦めです。ジミーのインタビューもノーカットで入ってました。
あと、レイ・ハリーハウゼンの『タイタンの戦い』も。 ハウゼンのインタビューが収録されていたからです。この人の大ファンなのですが、実物を見た事がなくて、興味があったからです。
実際観て見ると、想像していたよりも温厚な感じ。わたしはもっと、奇才の難しそうな顔した人かと思っとりました。ハウゼン氏の話しは、じつにクリエイターにとって、為になるお話しばかり。さすがでっす。
1/4
■皆様、あけおめ! 今年もよろぴく〜! 私は今年、年男。昨年は、あまりイイこともなく、今年はイイ年にしたいものです。
今年こそは、デジカメのイイやつを買って、横浜などを撮り捲るとか、それによって、いろいろな横浜を散策できると楽しそうです。狙うはキャノンのデシタル一眼レフ、イオスデジタル! なんか凄そう( ̄T ̄)だいたい、いままでも一眼レフの知識がないくせに、使いたがるとは、恐れ知らずな奴です。まあ、DVDなど、ひょこっと買ってしまうので、買えるといえば買えるのですが、まだまだ金と時間に余裕がない為、買う方向までいかないのです。
DVDの最新機を買いました。パイオニアの710Hです。再生能力桁違い! 編集機能桁違い! の満足いく奴でした。録画能力は、もともとデジタル方式なので、さほど変わらず、大切なのは再生機能の性能なのです。
さてさて、最近はこの日記もサボり気味ですが、たいして話す程の事もなく、致し方ございまへん。
カメラ買って、横浜に行けば、また色んな話しが出来る事と思われますので、早く金と時間に決着をつけたいものです(^◇^)